あらかじめ与えられている

第13期(2014年2月-3月)

ぱたぱたと音を立て、走りよって腕をとる。
大人と遊ぶことをよく知っている。
ペンギン!と声をあげてわたしの靴に足を置き、
ブランコに乗る身軽さで身体を預ける。
思わずぺたんと、彼女を抱えてペンギン歩き。

*

大人と呼ばれるひとびとと話し続けていると、
こどもと呼ばれるひとびとの、間合いの近さに驚かされる。
あるいはそこにある、突然に自分に向けられる一種の信頼に驚かされる。

このこは、わたしが大事に思っていることをとうに知っていて、考えるまでもなく甘えきることができるのだ。

むかしむかしになくした宝物を懐かしく眺めるような、不思議な気持ち。

*

いっしょに暮らすうさぎは、うれしいとぴょんと大きく跳ねる。
後ろ足を宙で蹴り上げて、そのままポーズ。
予想よりさらに高いその跳躍に毎回驚きながら、これはどこかで見たと思う。
天のボールを目指すイルカ、
鉄棒を回転して飛ばした靴、
校舎の窓から投げた紙切れ、
階段の踊り場から踊り場へ、
制服のスカートのひだがいっせいになびく。

とぶと落ちるはよく似ているのに、絶対に違う。

*
*

妹に連れられて、ボルダリングへ。
耳慣れない名前にひやひやしながら。
壁につけられた色鮮やかなプラスチックの岩をつかんで、身体を上へ上へ。
説明を受けたときには、絶対にひとつも上がれないだろうなと頷きながら思った。
手本を見せてくれた先生の動きの美しさ。
どこにも過分な負荷のない、どこへでもいけるしなやかさ。
常連と思しき年配の男性が黙々と、とても無造作に腕を伸ばす。
いちばんめ、にばんめ、さんばんめ。
淡々と、でも確実にひとつひとつの岩を持ち壁面を進む様子は、
歩き慣れた道を散歩するようなゆったりとした空気をまとっていて、
静かだ。

つかんでいい岩はコースごとに決められていて、課題と呼ばれるそれはいくつもの数字で分けられている。
最初の岩を両手で持ち、両足を地からそれぞれの岩へ置いて、完全に地面から離れてからやっとスタートをきる。
とりあえずやってみましょうとにこやかな笑顔を向けられて。
とりあえずやってみましょう。
言われたとおりに、ひとつひとつ岩をつかむ。
足をあげる。
次の岩。
身体をあげる。
息をつく。
言われて顔をあげ、次の岩を見つける。
手を伸ばす。
足をあげる。
身体をあげる。

気づいたらゴールの岩だった。
でも終わりではない。
手を下ろす。
身体を下ろす。
足を下ろす。
手を下ろす。
手が指が震えているのがわかる。
あと数回で落ちる。
とんでいいよ、と声がして、足元のマットを確認して、
鈍い音をたてて着地。

休憩を置いて次の課題を見上げながら、仰いでいるのに地を這うようだと思う。
登るひとの姿はまるで違う生き物で、角度をつけて反り返ったほとんど天井のような壁をゆく横顔には気高さのようなものを感じたりしたけれども、たぶんそれはなんの意味もないのだろうな。
そのひとと課題だけがある。
どこに足を置くのか、どうバランスをとるのか、どんな姿勢であがれば次の岩に手が届くのか、だけを、真剣に考える眼差し。
三つ目は息を丁寧に吐いて、スタートした。
そのほうが、足がすこしだけ楽にあがったから。
それでもつかめない岩があって、
今日のゴールを自分で別に決める。あそこまでは行こう。

何度も、明日の仕事と自分の体力とを眺めた。
今日倒れたくはなく、
明日も変わらず動いていたくて、
どこまでなら無理なく帰ってこられるか、
何度までなら腕を動かしていられるか、
明日の自分を確実に生きられるか、
岩をつかむまで考えて、つかんだら忘れて、
その繰り返しが心地よかった。

妹にあと一回がたぶん限度だよと忠告をもらい最後。
目指した岩の次の岩に触れて落ちる。ゴールはまだ遠い。
また来なくちゃね、と、ふたりで足場を検討した。

*

*

イルカの空での跳躍の下には深い深い水がある。
靴は広い広いグラウンドの真ん中を目指していた。
紙切れは風に乗ることがわかっていたし、
踊り場からの跳躍はなにより自身の身体が跳べると知っていた。

うさぎはやわらかなマットの上で跳ねる。
横倒しになるときも、そのふわふわの毛皮を下に敷く。

岩をつかんでいられなくなって跳んだ足元はしきつめられたマットだった。
その上を足を沈ませながら課題の壁へと歩いたときに、このやわらかさあるいは固さなら大丈夫だととっくに身体は確認してた。

*

とぶと落ちるは違う。
飛ぶもしくは跳ぶとき、そこには着地への信頼がある。
着地する地への信頼なのか、着地する本人への信頼なのか、どちらもかもしれない。
幼い姪がそれを素直に見せたとき、とてもどきりとした。
わたしは彼女を抱き上げ、抱き上げられる自分を知っていたことを思い出す。

*

彼女の跳躍の、そこにすでに予告されている着地を支えるひとつの信頼でありたい。
遠いむかしからさきのさきまで、彼女を想うことをあらかじめ約束されていたささやかな存在でいたい。
ぺたぺた歩きの靴の上で、少女は軽やかに跳ねた。

*

ハカセとボクジュ―ぴょんと跳ねる。

ハカセとボクジュ―ぴょんと跳ねる。