お味噌汁のにおいにお腹が鳴った。

第13期(2014年2月-3月)

お味噌汁の手
母と大叔母の家を訪ねる。

お味噌汁のいいにおい。
日が暮れる。
自転車の漕ぎ出し。あ、ライトつけなくちゃ。
ここいらの電線、こんなにぎざぎざだったっけ?
気をつけて道渡ってよ。母が後ろから。いくつの子やねん。
危ない。車きてるよ。

がらがらがらと音。小さなこどもが遊んでいる。
こんばんは。こんばんは。

小さな村の細い道へ入って、年明けにいつも訪ねる神社の一本前で曲がる。
大きな古い家の勝手口を開ける。
お邪魔します。母屋から明かり。敷地に平屋があと二つ。
奥の建物、薄い扉が開いている。
こんばんは。こんばんは。
ようきたね。

*

諸事情あって家の近所にひとりで暮らしている彼女は、わたしの祖父のお姉さんにあたる。
父母の仕事が遅く、兄妹が小さかった頃、お夕飯を作りに来てくれていた。
いまは母がお夕飯を届ける毎日。

家族と呼ぶには遠く、親戚と呼ぶには近い。
おばあちゃんほどには甘えきることもできずに。
「おばちゃん」と呼ぶ声に、てらいなく親しみを込めるのは母と妹。
わたし自身はいまだに、そこに違和感を抱いたまま。
ナニーのようでいて、そこまで強く律されたこともなく、
家事をしてくれたひとだけど、任せきりでいていいわけもなく、
親戚のおじおばのように強い個性にあてられることもなく、
空気のようにいるだけというわけでもなく、
笑っていたし、話していたし、なにより彼女のご飯を食べていた。
年頃をすぎて母に聞くまで、彼女がそれまでどうしていたか考えもしなかった。
踏み込むことも、踏み込ませることもない、静かで、強靭な笑顔。

*

絵を描いたことがないなと、ふと。
そう思ったら、描きたくなったのだ。
なにということもなく。
何度も、なんて綺麗なんだろうと見とれたのに、どうして描いてこなかったのかと、首をかしげて。
おばちゃんは、彫りの深い、漆黒をたたえた目元をしている。

*

おばちゃんは玄関入ってすぐの椅子に座っていた。
腰も曲がらずしゃきっとしていて、布団のあげさげも掃除も、どこも手を抜かない。
ご飯はついこのあいだ、彼女が転んで手の骨を折ってしまったことを口実にやっとはじまったことだった。
おばちゃんはとてもプライドが高い。
誰かの世話になったり、弱みを見せるようなことの一切を自分に許さなかった。

お久しぶりやね。
うん、久しぶりやね。
あんな、絵描いてもいいかな。
え?
おばちゃんの絵描いてもいいかな。
そんなんおっかしわ。

母は台所で、タッパから小皿へ料理を移す。
靴を脱いですぐスケッチブックと鉛筆をとりだす。お気に入りの4Bがはじめに見つかる。

描かせてな、といいながら鉛筆を滑らせる。
途端に表情を固定して、おばちゃんの目線がまっすぐ紙に注がれる。
笑顔だ。

上手やな。
まだ目しか描いていないのにそう言う。
上手上手。
ほんとはあんまりすきじゃない言葉なのに、うれしくなる。
綺麗に描きたくて、その目も笑い皺も、丸い頬もなぞるように。
おばちゃんはほとんど動かなかった。
動いても大丈夫やねんよ。
そうか。
うん。
あかん、おじいちゃんに似てしまう。
上手やな。
ありがとう。

*

もっといやがるかと思ったのに、描きやすいようじっとしていてくれた。
これおくれ。
え、あ、うん。
ありがとう。
ちょっとまってな。
日付とおばちゃんの名前とサインを。
ありがとう。おおきに。
いいえ、こっちこそありがとう。

*
*

帰りの空はまだほんのり明るくて、深い青を溶かしている途中。
水面に映りこんだように濡れて見える星、ほし。

夜になって、これを書いている。
やっと甘えられたのかもしれないと、
さっきそう思った。
二月も終わるね。

うちのうさぎの話をしようか

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転寝の曲線

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彼女だけの方法で

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ハカセとボクジュ―探検隊のひとりといっぴき

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