割らない卵をあげましょう。

第13期(2014年2月-3月)

形から入る。を、
長いこと馬鹿にしていたような気がする。
そのくせ実際は、道具や服装からはいる。
雰囲気が大事だと言って買った靴で足を痛める。
絵を描くとき必ずつけるエプロンを、いつのまにかつけていないと落ち着かない。

ひとの話なら、正直どんな入り方をしていようがなんでもいいのだけど。
どんな格好でドアを開けたかを説明されてもなあと、思ったり。
入り口で引き返したことなんて山ほど、ノックしてみたい扉は千ほど、扉の噂話はもう万では足りない。
器用でないから、いろんな扉を行き来もできず、
いくつものドアが同じ部屋に繋がっていたりするらしいと聞いてうらやんでみたり。

筆を買う癖が長いあいだなかった。
とあるテキストにポイントとしてあげられていた言葉に、目をみはる。
「用途に合わせた筆を選びましょう」
いまさらなにを言ってんだ。
でも思い切って大きな筆を買ってみる。
畳二枚分くらいのポスターを描いていて、その広さを塗りきる自信がなかったから。
空き教室の机を寄せて、床に新聞紙。
腕をのばす。
声を出して笑った。
なんだ。馬鹿はわたしだった。
何年前の話だろう。

*

花をもらう。
一本。
手元に一輪挿しがなくて、瓶に活ける。
すぐしおれるだろうと思っていたのに、一週間かけてゆっくり開いた。
朝水をかえるたび、驚きをもって花びらをなでた。

ある夜、いつまでもつかなと、なんのきなしに触れた、直後、
花はあっけなく崩れた。
否、こぼれた。
ぽたぽた、ぽた、と
花びらが落ちる音を見た。

耳たぶみたいなやわいそれを、一枚一枚拾う。
とっておきたくて、並べて置いたはずなのに、
朝には花は縮れていた。

花びらは独特のにおいがした。
甘い香りなんかじゃなく、
公園のすみに転がったボールを探しに飛び込んだ生垣のなか、
家の前を掃いて集めた落ち葉を入れたちりとり、
ひとり横になった裏山の土、

葉や花の、枯れていくにおい。
襟を掴まれ引き戻される、くらくらするほど強い生。あるいは死。

*

あなたもわたしもなにものでもない
という、前提で話をすることにしている。
肩書きと経歴に頭をたれそうになるからだ。
(それだってそのひとが培ってきたものなのだから、軽んじていいはずもないけれど。)
わたしはとても弱くて、時折、自分が頭を下げているのが相手の何に対してなのかわからなくなってしまう。
だから、できるだけ頭を下げないでいることにした。
でもきっとこうした振る舞いは、場面場面で簡単にひとを傷付ける。

プロフィールを書く場面が何度かあって、経歴を書き出してみる。
空欄を埋めるたび「わたし」を縁取る線がひかれる。
そのひとつひとつの重みあるいは軽さ。
何年か前はただその欄に書くことがあるのかを問われることがこわかった。
何をしたら何かをしたことになるのだろう。
答えはまだ持っていない。

*

描くことと、絵と。
掴むことも温めることもできない生きるを扱いあぐねるのと同じ手で。
生卵のぐにゃりとした感触。手のひら、指の間からぬるり零れ落ちる。

彼や彼女と話した「表現者」の「孤独」。
括弧つきでしか話せない表現者という名前のあいまいさについて。
孤独というおこがましい現象について。
それでも、そう呼ぶしかないものを抱え込んでしまうことについて。

を、

あなたにも渡せるよう、殻でくるむ。
割ってみてもいいけれど、割らないでいることを選択する。
中身はある。信頼という幻想。あるいは答えのいらない事実。

形、かたち。

*
*
*

大きな筆はすいとのびて、想像よりずっと軽やかに画面を裂いた。
なににこだわっていたんだろう。
「形はない」という形にこだわっていたのかな。

*

どの扉を、どんな格好でくぐっても、
なんという名前をつけられ呼ばれたとしても、
花は香るし、その生は死ぬ。
その花はバラだった。
バラという形を持った花でした。
なにものでもないけれど、
なんという形を生きることにしたのかを、名前で呼ぶ。
互いに、なんという形を生きているのかを伝え合う。
扉の先が繋がっていようとも、別々のドアを開けることの意味について。
そのノブをまわすことにしたあなたの覚悟について。

「絵描きの身体になったんだね」
展示に来てくれた大学の先生が言った。
学生の頃わたしが彼のゼミで身体論を読んだことを覚えていてくれた。
はい、と応える。
そういう形を生きたいと思っているのです。

花だった.