anonymousとonymousを巡る8のエッセイ (4) 「独居老人スタイル」展

第16期(2014年8月-10月)

恵比寿の少し奥まったところに、Nadiffアパートという、こじんまりとした芸術・アート系のギャラリービルがあります。今年の5月、ここで開催されていた「独居老人スタイル」展を訪れました。1階の本屋から螺旋階段を降りた、8畳くらいの地下室が会場です。

独居老人というと暗く悲しいイメージが世間的にはありますが、”好きな場所で好きなように暮らす”ためにあえて独居を選択したケースを紹介し、独居が”縮みゆく、老いていくこの国で生きるためのきわめて有効な生存スタイルかもしれない”と提案しています。
http://www.nadiff.com/gallery/tsuzukikyoichi2014.html

この提案からは、とてもポジティブで夢に満ちた印象を受けます。実際わたしは、ビレバンで買えるようなかわいいコンテンツを予想していました。しかし会場を見渡した時、思わず絶句しました。なぜなら、数名の独居老人たちによるエッジの効いた作品が、漫画や彫刻からパフォーマンス映像まで、狭い空間にぼろっと置かれ、一つ一つから放たれる彼らのオーラが地下室に生々しく充満していたからです。何も加工処理されていない、アングラ・サブカルチャーに不用意に触ってしまったという、後悔に近い妙な緊張に見舞われました。

その中でも一際目を引いたのが、『首くくりアクション』と題された映像です。”アクショニスト(パフォーマーに近いですが、「一回性の行為」という点に重きを置いて、あえてアクションという言葉を選択されているのだと考えます)”である、首くくり栲象(たくぞう)さんが、ご自宅の庭で毎日行っている首くくりの様子がおさめられています。しんとした夜に、平屋からゆっくりと、そしてなめらかに庭に降り立ち、木にぶらさがる縄を首(正確には顎)にかけ、宙に揺れ、暫く後に外して地面に降りると、また平屋に戻る…という一連の静かな所作です。

首くくりとは自死であり、本来は一度しかあり得ないプライベートな行為です。しかし拷象さんは、独居というプライベートな状況下でこの行為を通算40年以上、毎日過剰に積み重ね、営為化してしまいました。つまりコーヒーを飲むとか、掃除をする、夜に寝るという、日々暮らしていく中での自然な行為になったということです。そして、単に営為化するだけでなく、”庭劇場”と名づけた半公共空間である自宅の庭を利用することで、他人にとってvisibleな、認知され得る状態を作り上げました。

前回の『童夢』では、誰からも顧みられなくなった、まるで霊のようにinvisibleなチョウさんという文脈上において、情報の意味が破壊されるという、onymousからanonymousへの運動を観察しました。
今回の『首くくりアクション』は、存在を失う自死行為を扱っており、本来は『童夢』同様にonymousからanonymousへの運動といえるはずです。しかし実際はあくまでも営為としての自死であり、anonymousからonymousへ逆行し続けるという、逆ベクトルの運動といえます。

わたしたちはふだん、当たり前のようにonymousの世界に暮らしていますが、実はそうではないかもしれません。いつでもanonymousの世界は口を開けていて、気を抜くと落ちてしまう。それを、日々の所作や営為によって食い止めている、ということかもしれません。
興味のある方は、ぜひ観劇してみてください。月に数回、東京都国立市で正式に公開されているようです。
http://ranrantsushin.com/kubikukuri/index-1.htm

“独居老人”という記号に必然性を見いだせる今回とは全く逆のケースも存在します。野田秀樹の戯曲『農業少女』です。次回はこの作品を読んでみます。