anonymousとonymousを巡る8のエッセイ (8) 民芸

第16期(2014年8月-10月)

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ヒカリエというショッピングビルが渋谷にあります。「渋谷から世界を照らす」というコンセプトの下、アートからブランド服飾まで多様なコレクションが揃います。その8階に並ぶのが民芸品です。民芸品とは、民衆の工芸品の略、つまり器や布巾など、普段使いの品物のことです。ヒカリエは47都道府県もあまねく照らして、各地に伝わる民芸の良さを訴求しているといえます。
http://www.hikarie8.com/d47designtravelstore/

柳宗悦の『民芸の趣旨』によれば、民芸品とは最も生活に即したものであり、民衆を美しく(正しく)導くものであるといいます。また、そのために民芸品は、職人の個性の角が完全に落ちた、純粋に用途を満たす道具でなければならないとしています。
http://www.mingeikan.or.jp/guide/public.html

前回のウォーホルは、マリリンなどonymousな存在をcopyすることで製品を産み出していました。それに対して民芸品は、柳宗悦に依れば、anonymousによるanonymousの生活のための製品であるといえるでしょう。

ただし今現在、民芸品が真に生活のために存在しているかといえば、疑わざるを得ません。なぜなら消費社会の中で、民芸はヒカリエに再発見・吸収されると共に、「てしごと」や「◯◯県」といったラベルを貼られて、すなわちonymousな存在として吸い上げられているからです。anonymousでなくなった民芸は、もはや民芸とは言えません。ここにも、農業少女で見たような、普遍的なanonymousからonymousへの運動が見て取れます。

それでもわたしはそうした”民芸品”が好きだし、近所にある「ぬいや」さんという、染色家・芹沢銈介のお弟子さんがやってらっしゃる染物屋さんなども好きで、こうしたものが残っていることを嬉しく思います。部屋に取り入れれば、なんとなく整った気持ちにもなります。
おそらく吸い上げられた”民芸品”にも民芸本来の力が残っていて、生活者であるわたしにそういった気持を起こさせるのだと思います。

たぶん、農業少女の百子やミリオンダラー・ホテルの住人たちがanonymousな暮らしを否定し、ウォーホルがもたらしたonymousのコピーがもてはやされた頃よりも、時代はanonymousへ向かってゆるやかに逆行しているのだと思います。そしてヒカリエは、onymousとanonymousの中間に立ってどちらの方向にも向いている、過渡期の象徴的存在なのかもしれません。

こうしてこの連載は第一回目の『ボトル』に戻ります。すなわち、onymousな製品から、ラベルを剥がしてanonymousにしていく運動が、今まさに私たちの世界で起きているのです。そして、『ボトル』が教えてくれたように、「認識はできないが知覚できるもの」としてのanonymousな民芸が、知覚を鋭く刺激し、整った気持ちにさせてくれるのだろうと、気付かされるのです。