天体予報.2 Oh! my God!

第17期(2014年10月-11月)

0026

僕はあまり国際経験が豊かなほうではないが、Oh! my Godという言葉にはとても関心がある。何かとんでもないことをしてしまった時、何かとてつもないことが起きた時、彼らが「私の神よ。何してくれるねん」と関西弁で自分の神様につっこみをいれている情景が目に浮かぶからだ。

神様につっこみをいれるというのは、彼らのその自身のメンタリティを守るために、とても役立っているのかもしれない。僕はと言えばどうだろう?

僕は何か不安に陥った時には、念仏を唱える。

今自分が行っていることが、正しいのか、正しくないのかという漠然とした不安がある時は、もちろん何かを間違っている時だし、自分のあり方を見つめなおすひとつのチャンスだといえる。
けれど、そんな時に、「私の神よ。何してくれるねん」と突っ込みをいれるのが、ひょっとするとこれからはもっと簡単で楽なおまじないなのかもしれない。

僕は「KID A」という小説で神や仏というものに対して、しっかりと自分なりの物語を書いたつもりだし、今やすっかり生活の中に、お寺に行って、おみくじをひくという習慣が馴染んだ。パートナーなんかは、なんでそんなにお寺に行かなきゃならないのよなんて、せっかくの休日の過ごし方にぶつぶつ言っているけれど。

しかし、宗教でも音楽でも映画でも、なんでもいいのだけれど、しばらくの時間、自分の意識というものから解放されて、何か大きな存在にその身をあずけるということは、ある意味ではとても健康的な生き方だと思う。たとえば、クラブなんかで音楽に身を任せて踊ることだって、ひょっとするとそういう行為なのかもしれない。僕は、よく踊りに行っていた頃は、踊り念仏ってこういうことなんだろうなって思っていた。そして野外レイブなんかに行って、その起源であるアニミズムの世界にとても関心を抱いた。
何か、とても大きなものの中にいることを、踊りながら感じていたし、暗闇の中で、誰かが誰かを思う気持ちや気遣いについて、ふと感じさせられたこともあった。

昔、僕は第六感とか、霊的なこととか、そういうことはぜんぜん信じていなかったのだけれど、そういうものは確かにあるということを経験してきた。目隠しをしながら音楽を聴いたりすることだって、ある意味では開かれていない扉を開くための、ひとつの方法だ。

そして、文章を書くことは、緻密に計算する人はどうかわからないけれど、自分の奥深くにある何かに触れる行為だ。それはとても大変なことだけれど。

すべての責任が自分にあると言える人は、とても格好が良いと思う。けれど、こういう文章だって、自然にふと心の奥底から、誰かがささやいたOh! my God!という言葉から書いてしまったものだったりする。

そんなふうに、僕は僕の感じる感覚で、この2か月、その時、その時、思うことを書いていきたい。そしてできることなら、読む人にささやかに何かプレゼントすることができたらと思っている。それでも、僕の文章でとても気分を害された方がいらっしゃったら、その時には、なんてひどい文章に出会ったのだとそっと自分の神様につっこみをいれてください。

追記:この文章を書いた後、たてつづけにひどいことが起きて、どうにもならなくなっている。文章というのはとても怖いものだ。そして、僕は今は念仏を唱えながら、神様に祈っています。 Oh! my God!!!