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2F/当番ノート

霧の中で

第37期(2018年2月-3月)

2010年10月から2011年9月まで、夫と一緒に、ドイツのベルリンに住んだ。

2度目の大学を卒業する頃「海外で活動したい」という思いが強くなり、卒業した年にワーキングホリデービザを取り渡独。
スタジオを借りて稽古したりレッスンを受けたり、美術館やギャラリー、舞台を鑑賞したり、ドイツ以外の国に旅をした。

友人のFranziskaと街中を走り回って、夫に写真を撮ってもらったり。
Miss Heckerという場所で見た音楽やパフォーマンス、そこにいる人との会話や出会いも宝物のひとつ。

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そうこうしているうちに友人が紹介してくれた場所で4月に公演をすることが決まり、ようやく生活にも慣れた頃。
朝、夫が「日本で大きな地震があったらしい」と起こしにきた。
小学生の時に阪神淡路大震災を経験しているので、なんだか嫌な予感を覚えながら二人でパソコンの前へ。
画面の向こうに広がる景色は、もはや言葉にできないものだった。

日本にいる家族や在独の友人と連絡が取れた後も、ただただパソコンの画面を見つめるだけの日々。
自分が生まれ育った国を俯瞰する。
何かとても恐ろしいものがうごめいているような。
これから私達は、世界はどうなっていくんだろうという不安に纏われた。

4月になり、公演の本番を迎えた。
大きな公園を取り囲むような建物の一角で、窓から緑と空の空間が見えた。
夫に砂時計のような舞台美術を作ってもらって、作品中ずっと砂(実際には大量の塩)が時間の経過を表すように落ち続けるというもの。
ベルリンで出会った友人達やオランダからも友人が見にきてくれて、その時にやりたいと思っていたことを全部やりきった。

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日本を離れているたった一年の間に、甥っ子が生まれ、知人の作家が亡くなった。
自分がいた場所を距離的にも精神的にも俯瞰する状況の中、人の生と死を体験し、何かバトンを手に握らされたような、そんな感覚になった。
それまではずっと「それをやるのは私ではないから」と逃げていた私は「自分もその循環の中にいるのだ」ということをようやく自覚した。

「その時」を体感していない私達は、一体何ができるんだろう。
震災だけでなく、戦争やあらゆる事象が起きては過ぎていく、流れる時間の集積と体験の中で、はっきりと痕跡が残る「その時」。

過去からの文脈の中で、今を生きている私達は、どこに向かっていくのだろう。
そして、どんな時代を作っていきたいのだろうと二人で考え、いまの活動名である「UMLAUT」という屋号が生まれた。
発音記号で「音を変える」という意味を持つ。
自分の隣にいる人と手を繋いで、丁寧に、少しずつ、伝えていくことを大切にしたいという思いから生まれた名前である。

夏になり、大学の後輩から作品製作の依頼を受け、そのまま日本に帰国した。
「im Nebel」という、日本語で「霧の中で」という意味をもつタイトルの作品。
深い、深い霧の中で、たとえ前が見えなくても、そこにきっと光が見える。光があってほしいという心の風景だったように思う。

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そういえば、Franziskaとは作品を一緒に作り始めていた。
彼女はドイツ人で、リハーサルの時は英語でやりとりをした。
お互いに母国語ではないので、たどたどしい会話。
私は彼女の持つ声や、雰囲気がとても好きだった。
結局彼女との作品は未完成のままなので、いつか一緒に作品を発表するというのが、夢。

写真
「with Franziska」
「toc toc toc」2011
撮影:高橋拓人

「im Nebel」2011
撮影:宗石佳子

高野 裕子

高野 裕子

踊り手・振付家
1983年生まれ
関西を拠点に活動しています

Reviewed by
舩橋 陽

高野さんが現在の活動名「UMLAUT」を設える前日譚、ドイツのベルリンに一年間滞在していた頃の話。そして、その間に起こった日本の震災と身近な人の生き死にに向き合った話。

僕も2002年2月に一週間程ベルリンに行った事があった。その頃の海外渡航に伴う様々な情報収集や状況把握のやり繰りを思い起こすと、WEBやSNSの進化と発達のおかげで、「あちら」を「こちら」で把握する事が随分とたやすくなったのを実感する。

それでもなお、遠き彼の地に何らかの危機が起こった時、WEBが俯瞰する装置でしかなく、実際には距離を埋められない事を思い知る事になる。見聞きをして気持ちばかりが彼の地に向かうが、距離は闇になる。そして、不安は距離の闇の深さに比例する。
だから見知った人々の居る側に行きたい。普通、人はそう考える。

それでも、それが叶わぬ時に、人は何をするのか?
多分、正解や解決は人それぞれなんだと思う。

その時そこに居なくても、その距離と時間を手繰り寄せる事が出来なくとも、自らが向き合った何かを、表現や作品を通して、自分のものの言い方を伝え残す。それはきっと光になり届く。

高野さんのベルリンでの一年は、それに気づき覚悟を決めた礎になったのだと思う。

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