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2F/当番ノート

水やりをする人

当番ノート 第37期

小学5年生の時、私は学校に行っていなかった。
いわゆる不登校である。

時間の感覚って不思議なもので(大人になって小学校の時の机や椅子を見て、すごく小さく感じるように)、今となっては一体どれくらい学校に行っていなかったのかも思い出せない。

担任の先生が家に来てくれたこと。
母とハンバーガーを買って公園に行ったこと。
塾の先生達が本当に面白い人たちで、いつも応援してくれていたこと。
踊るのが楽しくて仕方なかったこと。

学校には行けなかったけど、学校とは違う世界に生きる人と出会い、救われ、いま私は生きている。

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ここ数年でダンススタジオでコンテンポラリーダンスのクラスを教えたり、中学校などに行きダンスの授業を行うアウトリーチ授業で「先生」という役目になることが増えてきた。

教えることを始めたのは、ここ5年くらい。
それまでは、ダンスを「教える」ということに、正直興味も自信も持てなかった。
それに、自分が「先生」と呼ぶ人達への尊敬の気持ちもあり、そんな人たちのようにはなれないと思っていた。
でも少しずつ少しずつ時間というバトンを渡され、気づいたら今に至る。

私の中では教えるという行為は、シェアするという感覚に近い。
それは今まで出会ってきた先生や先輩に由来するものが大きい。
そしてもちろん、それはダンスというジャンルに限ったものではない。

彼ら彼女達は一様に、自身が一番汗をかき、一生懸命に生きる一人の人間である。
弱さを隠さず、毎日を積み重ね、生きる姿をさらし続けている、そんな人達である。

その人たちを見て「先生」というのは、毎日植物に水やりをするような仕事だと思った。
早く芽を出す人、ゆっくりと根を伸ばす人、それぞれに水をやり続ける。

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そんな存在に、自分はまだまだ程遠いけれど、では自分に出来ることはなんだろうと想像し、クラスを組み立てる。
自分が知っている知識や体感をありとあらゆる手段を使って「伝える」。

例えば「プリエ」という動きがある。
フランス語で曲げるという意味を持ち、膝を曲げる動きを指すが、この動きひとつでも
・プリエしましょう
・膝を曲げてください
・折り紙を折るように曲げてみて
・(動作しながら)こんな感じに動いてみましょう
・bend your knee
などなど、様々な伝え方がある。

相手のからだや動きや様子を見て、観察して、一緒にその「時間と空間を作っていくこと」も大切なことのひとつ。
お互いにキャッチボールを繰り返して、ひとつの布を編んでいくような、そんな時間。

自分の口から出た言葉は、そのすべてが自分に返ってくる。
私にとって、「生徒」という相手は、いつも何かを気づかせてくれる存在である。
そういう気持ちがここ数年で自分の中に生まれたことが不思議で、新しい感覚でもある。

だから毎回が真剣勝負だし、真剣に遊ぶ時間である。

なんとなく、不安。
社会の中に流れる、実体のない価値観。
いつの時代も、きっと見えない明日に心を砕くのだろう。

たった数日間の授業や数時間のクラスの中で、相手と対峙できる時間というのは本当に一瞬。
もちろん、教えていることはダンスのテクニックであったり振付なのだが、結局は全部ひっくるめて「生きててよかったなー」なんて思ってもらえたらいいなと思っている。
自分に出来ることはなんだろう、と時々、小学校の頃の私に耳を傾ける。

写真
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http://waterstory.petit.cc

高野 裕子

高野 裕子

踊り手・振付家
1983年生まれ
関西を拠点に活動しています

Reviewed by
舩橋 陽

高野さん曰く、先生は水やりをする人。
自らの姿や教えを通じて生徒に表現者としてのノウハウや姿勢を伝え続ける様な。

僕にとって、先生とはどの様な存在なのだろう?

大学のジャズ研の同期達からは「フナハシは努力家だ」と言われていた。
確かに昼休みと夕方以降の時間帯に、部室でバンドの練習やセッションをする時以外はいわゆる基礎練を馬鹿みたいにやっていた。
幼少に習っていたチェロがノルマ感覚だったのに対して、サキソフォンは中学校からやっていたトランペットを経て、大学2年の夏から自主的に選んで手にした楽器だったので、単にやりたい楽器に好きで触れ続けていたに過ぎなくって、特にそれが努力だとは思っていなかった。
それでも在学中は我流でやっていて、学校を出て数年後に行き詰まりを感じ、当時最も聴きに行っていたサキソフォン奏者がレッスンをするようになった事を知り、教えを乞う様になった。
既に自力で種蒔きをして水をやり続け、芽吹かせて枝葉を勝手放題に伸ばしていたのが僕だったとして、師は、その後の僕が歪みなく端整に伸びる様に、不要な枝葉を剪定して、足りない肥やしを与えてくれる様な存在だったと思い返す。当時に教わったノウハウを辿り直せば、いつでもニュートラルに、フラットに自分の演奏表現を調整できる。あらためて、かけがえのない様々を授かっていたのだとも思う。

そんな風に、生徒の在り方や、教わるに至るまでの経緯によって、先生の在り方も様々なんだと思える。
そして、高野さんが言う様に、先生だって人なんだとも思う。生徒同様に修練していた時期もあるし、現在においての不安や疑問もきっとある。生徒を鏡に自分を確かめてもいる。

機会があれば、師の演奏は聴きに行きたいと思っていながら、気がつくと、随分と足が遠のいてしまっている。
久しぶりに行ってみようか?行けばきっと、言葉を交わさずとも、演奏を通して教わるべき様々を知れるだろうから。

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