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2F/当番ノート

ままならない

当番ノート 第24期

eyecatch

何かの拍子に僕が「ままならないなあ」とつぶやいたのを、そのとき一緒にいた後輩の高田が「喜屋武さんっぽい」といたく気に入り、この間、こんな似顔絵を書いてくれた。友人たちに見せたところ、「おー、似てるー」とのリアクション。寝起きとはいえ、もじゃもじゃの髪、無精髭、半開きのうつろな目にジャージ姿はお世辞にも清潔感があるとは言い難い。自分のだらしなさは自覚しているつもりだが、こうしてビジュアルで突きつけられると、なんとも言えない気分になる。

僕は自分に甘い。ストイックとはおよそ無縁な生き方をしてきた。あらゆることに対してルーズな性分で、ついつい易きに流れてしまいがちだ。人から何か言われても、生来のおめでたい性格のせいか、寝て起きると頭の中がすっきりリセットされ、また同じことを繰り返してしまう。以前、アルバイトしていた出版社の社長には「お前は前頭葉がない」と言われ、「あー、そうなのかあ」と妙に納得してしまったのを覚えている。

人間は一長一短。長所と短所は裏返しで、みんなそれを自覚しながら、プライベートや仕事の場面でオンとオフを切り替えて生活していると思うのだけど、僕の場合、その境界が限りなく曖昧だ。

東京に出てきて、8年近く経つので、さすがに集合時間に遅れて行くことはほとんどなくなったが、いまだに時間ぎりぎりであたふたということはよくある。自分の中を流れている時間と、社会で流れている時間が根本的に違うように感じることがよくある。

大学時代のレポートやプレゼンの準備を余裕を持って終わらせたことは、ほぼの一度もなく、だいたい前日一夜漬けで形ばかりのレポートを提出し、プレゼンはしゃべりで会場を巻き込んで、無理やり乗り切ってきた。
自他ともに認める怠惰さがゆえに、基本的にぎりぎりにならないとケツに火がつかない。それでなんとかなってしまうから、また次も
「なんとかなるだろ」と直前までのんびり構えてしまう。その繰り返し。人として社会生活を送る上での、危機感が決定的に欠如しているなと時々思う。

そんなわけで(どんなわけだ)、このアパートメントの連載も、始まってまだ2週目なのに、締切が近づくまで一向に筆が進まず、ぎりぎりになってやっとエンジンがかかる始末。直前になってにわかにに焦り出し、「もうちょっと余裕を持ってやらなきゃなあ」と何度繰り返したかわからないセリフをぼやきながら、この文章を書き連ねている。そのくせ、変に完璧主義というか、自分が納得できるものにならないと、人に読ませたくないなんて思ってしまうから、これまた厄介だ。さしたるこだわりもなく生きてきたくせに、こういうときだけ妙にこだわってしまう。
自分自身とどうやって折り合いをつけるか、というのは誰しも抱える問題だろうが、そのへんをもう少しうまくこなせるようになりたいなあといつも思う。

今回、連載を始めてみて、あらためて「書くって大変だなあ」と実感している。
とくに今回のように、字数の制限もなく、何を書いても自由となると、全て自分で決めないといけないため、なかなかすらすら書き進められない。もちろん、自分が「何を書きたいか」が第一なのだが、公の場で書かせてもらう以上、「何を、どう書いたらおもしろいか」ということもある程度意識せざるを得ない。まあ力まずにたのしんで書けばいいんじゃないか、とも思うのだけれど、頭でっかちな僕はなかなか心の声に従うことができない。そんなことをうだうだ考えながら、今まさにスマホの画面に向かっている。ああ、まったく、ままならない。

なんだかとりとめのない文章になってしまったので、次回は、僕が生まれた石垣島のことについて書いてみようと思う。

さて、僕について友人たちが語る恒例のこのコーナー。
名称があると便宜的に楽なので、仮に「キャン語り」とさせてもらう。

第二回のキャン語りは、ベトナムで働いている川村泰裕さんにお願いした。
川村さんは早稲田大学の先輩にあたり、僕が今住んでいる「あかりや」という墨田の長屋シェアハウスで出会った。
もともと、大学を卒業して働いていた会社をリストラされ、「川村くんの今後の人生を考える会」なるものを後輩に開いてもらい、50人近くの人が集まるという、愛すべき人物だ。
その後は、ご縁があって単身ベトナムに渡り、試行錯誤しながら、自分の手で一つずつ仕事をつくり出してきた。川村さんの少年のような屈託のない笑顔は、思わず周りが助けずにはいられない魅力を放っている。
自分の人生を切り開いていくその姿には僕も励まされて来たし、川村さんが僕の生き方、あり方を面白がってくれるのは、何気にとてもうれしかったりするのだ。本人には普段あまり言わないけれど。
川村さんのベトナムでの活躍は、以下のブログをご参照ください。

「ベトナムフエで仕事をつくる!」
http://kawamurayasuhiro.blog36.fc2.com/

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” たびんちゅ たびんちゅ 旅路の果てに 何があるかはわからぬが
たびんちゅ たびんちゅ それでも僕は 一歩ずつ進んでく ”

この歌は喜屋武が酔っ払ったときよく歌う曲だ。 名前を『旅人(たびんちゅ)』という。
彼が大学2年生のとき、東京から鹿児島まで自転車で旅をしたときに創作したとのこと。

彼がこの曲を歌うとき、僕はいつも「今の喜屋武は暇人(ひまんちゅ)だろ」とからかうのが定番となっている。

皆、喜屋武が旅人で暇人であることは知っている。そんな彼をからかうことで、しっかりと働いている自分は立派な人間なんだと思い込みたくなる。

でも、不思議なことに、彼を否定することは自分を否定していることと同じなのではないか、という気持ちが沸き起こってくるのだ。
僕も当然だが喜屋武のようなダメなところを持っている。 時間にルーズだったり、働きたくねーなーと思ったり。
(これを”喜屋武的な何か”と呼ぶ)

でも、年を重ね、働く過程でそういったダメだと思う部分はどんどん捨て去っていく。
ただ、喜屋武は成長しても、働いても尚、”喜屋武的な何か” を持ち続けている。
しかも目に見える形で、時にうっとおしいほど突き付けてくる存在なのだ。

「お前も本当はそう生きたいんだろ?素直になれよ」と。

僕が捨て去ってきたもの。 決して自分の意思で捨てたわけではなく、社会から言われ、気が付いたら捨ててしまったもの。
喜屋武は旅人、暇人という生き方を体現することで、僕にいつも、生き方を突き付けているのだ。

「お前はそれでいいのか」と。

まあ、今のところそれでいいんですけどね。

川村

川村さん

喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

“「なんとかなるだろ」と直前までのんびり構えてしまう。その繰り返し。人として社会生活を送る上での、危機感が決定的に欠如しているなと時々思う。” ー なんとかなる、の裏側には、なんかする、がきっと隠れている。

沖縄といえば、「なんくるないさぁ」という言葉をイメージする人は多いかもしれない。同時に、この意味を単に「(何もしなくても)なんとかなる」と捉えている人がほとんどのようだ。

ただ実際には、「(やることをやっていれば)なんとかなる」という意味を含み、やることをやりきって、自分たちの力じゃあどうにもならなくなった時に、目上の人や、周囲の人たちが、祈りとともにかけてあげるような言葉である。

喜屋武さんの話に戻ろう。社会における危機感を持ち、このままで大丈夫なのか?と自問自答しながらも、なんとかなるだろう、と毎度のようにピンチを乗り越えてきている彼は、おそらく、“(これまでの蓄積によって)なんとかしてきた”だろうし、それは、言い換えれば、“なんとかしてきた”、のだとも思える。

無自覚なのかどうかはわからないが、おそらく喜屋武という人間は、自分でなんとかする力と、(自分たちの力じゃあどうにもならなくなった時の)他人がなんとなくしてあげる力との、絶妙な「なんくるないさぁ」のバランスによって、生きているのではないだろうか。

沖縄、大学から上京、文章、そして、カクテル、と自分を因数分解したときに重なる部分が多いからなのか、ぼくは、喜屋武さんの文章を読んでいる、とてもくすぐったいような、あるいは苛立ちのようなものを感じてしまう。

それは、彼を通して、自分を見ているからだろう。

“不思議なことに、彼を否定することは自分を否定していることと同じなのではないか、という気持ちが沸き起こってくるのだ。”

と川村さんからの喜屋武語りがあるように、人間のだれにでもあるようなモヤモヤした部分を映し出す、ひとつの存在として、喜屋武という人間があるのではないか。そう思わせれるのが、彼の魅力なのかもしれない(まだ会ったこともないですけど...)

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