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2F/当番ノート

僕の生まれた島

当番ノート 第24期

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自分の過去に関する記憶がとても曖昧だ。誰かに昔のエピソードを聞かされると、「え、そんなことあったっけ?」と新鮮な心持ちになる。人間は一度覚えたことは決して忘れないというが、何かのきっかけがないとなかなか思い出すことができない。三日も経てば、たいていのことは忘れている気がする。意識的に残したり、思い起こす作業をしないと、今の僕のように、いろんな場所で、いろんな人と出会い、いろんな経験をした、というふわっとした曖昧な印象しか残らない。過去は時が経つにつれて美化され、語られない記憶は次第に風化していく。過去から現在を照射することで、見えてくることもあるのではないか。そこで、今回は僕のルーツである石垣島のことについて書いてみようと思う。

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東京から2000km、沖縄本島から400kmに位置する日本最南西端の島々、八重山諸島。石垣島は八重山諸島の政治・経済・教育・交通などの中心地で、周囲約140km、人口は約5万人。沖縄県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広い島だ。
コンビニもなく、麦わら帽子にタンクトップ、島ぞうりで生活してるような、ど田舎をイメージしている人もたまにいるがTSUTAYAもゲオもイオンもマクドナルドもモスもある。
新空港がオープンしてスターバックスができたし、以前帰省したら、いつの間にかヴィレヴァンまでできていて、音楽コーナーには地元発の注目バンド、きいやま商店のCDが並んでいた。
今はわからないが、僕が住んでた頃は、東京で月曜発売の週刊少年ジャンプが木曜日に店頭に並んでいた。たまに用事で沖縄本島に行くときは、地元ではまだ売ってないジャンプを帰りの機内で読むのが楽しみだった。
台風が来ると、スーパーやコンビニの棚ががらがらになったりもする。そういった物流のタイムラグは多少あるにせよ、インターネットでアマゾンなどの通信販売が可能になった今となっては、手に入らないものはほとんどないと言ってもいい。

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沖縄本島とは、東京-岐阜間と同じぐらい距離があり、飛行機でだいたい40分。地理的には台湾の方が近い。2013年に新空港がオープンして台湾との国際線も就航した。昔は貨客船が出ていて、夕方に乗船すれば翌朝には沖縄本島に着いていた。枕と毛布だけが用意され、みんなで雑魚寝する船室の雰囲気や、自販機で売っているカップヌードル、人気のないゲームコーナーに並ぶ年季の入ったシューティングゲームやマージャンゲーム、風が吹きすさぶ夜の甲板、船首から流れては消えて行く白い波。ひと眠りすれば、あっという間に着いてしまう飛行機よりは、旅情を味わえる船旅のほうが好きだったし、今もしっかりと脳裏に刻まれている。

石垣マップ

僕は生まれも育ちも石垣だが、父ちゃんは沖縄本島の今帰仁(なきじん、方言で「やんばる」とも呼ばれる)、母ちゃんは島根県の小さい港町の生まれだ。そんな二人が、縁あって石垣島のキャンプ場で出会い、僕と7歳下の弟が生まれることになった。
両親からは色濃い影響を受けているので、また回をあらためてゆっくり書ければと思う。

生まれ育った家から二度の引っ越しを経て、島の北東の屋良部半島にある崎枝という部落に移り住んだ。観光名所として名高い川平湾まで車で10分弱の静かな地域だ。
石垣島では集落のことをいまだに部落と呼んだりするが、とくに差別的な意味合いはない。集落や、村と同じニュアンスで捉えてもらいたい。
小学校から中学校までの9年間は家から徒歩5分の地元の学校に通った。小中合わせて、全校生徒40人前後。人数が少ないため、小学1・2年、3・4年といったように、二つの学年が同じ教室で過ごす
複式学級の形を取っていた。同級生は小中9年間通じて、常に3~4人。中3のときにいたっては、中学校9人中男子が僕一人という状況だった。ある種のハーレム状態だが、みんなずっと一緒に過ごしてきた身内みたいな感覚だったし、思春期にありがちな恋愛沙汰もとりたててなかったため、わいわいしてる女子を尻目に、職員室に行って先生たちとよく話していた覚えがある。小学校のクラブ活動はミニバスケ、中学校の部活はバドミントン部しかなかった。女子が途中でバスケ部を作ったので、僕は一人で顧問の先生と練習していた。体育の時間は、人数が少ないので、ミニゲーム的なことしかできなくて、高校に入るまで、まともに野球やサッカーをやったことがなかった。わりとゲームっ子だったから、家に帰るとスーパーファミコンやプレイステーションでRPGゲームに勤しんでいた。こうして書いていると、組織や集団の一員として、何かをするということをまったくやって来なかったことがよくわかる。そのあたりも、今の自分のメンタリティに少なからず影響しているのだろう。

高校は、家から15km離れた市街地の学校に進学した。石垣島は高校が三つしかなく、他の二つは商業工業高校と、農林高校だったので、普通科のある高校に進んだ。その先の進路のことはまったく意識してなかったけれど、将来のことを考える時間が欲しかったので、ぼんやり大学に行きたいなあとは思っていた。

高校は自転車通学することになり、入学祝いで7万ぐらいするロードバイクを買ってもらったのだが、登校初日にいきなりどしゃ降りに遭い、下り坂でずっこけて、顔面ヘッドスライディングをかまし、前歯(永久歯)が三本折れて、病院送りという、悲惨なデビューを飾ってしまった。それにもめげず、最初の授業で、怪我をネタにした渾身の自己紹介をぶっ込むと、唐突の出来事にしばしの静寂の後、引き笑いが起こり、上京したての田舎者丸出しの僕は「よっしゃウケた!つかみはバッチリ!」とポジティブ勘違いで、予想外の高校生活をスタートさせることになった。

(つづく)

夕日

キャン語り第三回目は、僕の故郷、沖縄から。郷さんとは、大学時代に自分経営ゼミというユニークな授業で出会った。新潟出身なのに、僕よりも俄然うちなーんちゅオーラを放っていた郷さんは、「体がいくつあっても足りない」と本人も言うように、おもしろそうな人や場所を嗅ぎ分ける天才だ。いつもわくわくした少年のような笑顔を浮かべ、話してるとこっちまでうきうきしてくる。新潟→東京→大阪→沖縄と行く先々で心地よいホームを作っていく郷さんのあり方は、僕もうらやましく思っている。これからも”We Can Go”の精神で、おもしろいコラボレーションを生み出していきたい。

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喜屋武くんのことをいつもうらやましく思います。

僕が喜屋武くんと出会ったのは21歳のとき。
今思うと多感な年ごろでした。
上京して3年目の僕には
自分にはないものをもった周りの友人たちが皆うらやましく見えて。
学内の有名人だった喜屋武くんも、僕にとってそのひとりでした。

あれから、ちょっとだけ年を重ねて、
欲しかったものも割と手に入り、
ようやく「自分は自分でいいんだ」と思えるようになってきた今。
他人のことをうらやむことは滅多になくなりました。

それでも喜屋武くんのことだけはいつもうらやましく思います。

仕事もない
お金もない
彼女もいない
(と、ここまで書いて彼から「彼女ができました」との報告が入りましたが笑)

一体そんな喜屋武くんの何に自分は惹かれているのか、
そんなことを考えていたとき、
2年前に大ブームを巻き起こした、NHKの朝ドラの主人公を思い出しました。

彼女、天野アキちゃんは、マネージャーの水口にこんな言葉をかけられます。

「思うんだけど、いつもアキちゃんの周りには自然と人が集まってきてみんな自然と笑顔になるだろ?
それって才能っていうか本当の意味でアイドルとしての資質があるってことだと思うんだ。
アイドルって自分でなったり宣言したりするものじゃなくて周りに集まってる人間がアイドルにしていくんじゃないかな。」

きっと、喜屋武くんはみんなにとっての「アイドル」なのだと思います。

ある人は、喜屋武くんのことを応援したり、
ある人は、喜屋武くんに勇気をもらったり、
ある人は、喜屋武くんに自分を重ねたり、
そして、みんな喜屋武くんのことが気になっている。

そんな喜屋武くんのことを、やっぱりうらやましく思うのでした。

…ちょっと良く書きすぎちゃったかな?

喜屋武くんの生まれ故郷、沖縄より

郷 慎久朗

郷さん

喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

“過去は時が経つにつれて美化され、語られない記憶は次第に風化していく。過去から現在を照射することで、見えてくることもある” ー もしも消し去りたい、くすぶった過去があるのなら、それこそが、今を輪郭をくっきりと映しだす鏡である。

自分がどこで生まれ、そこにはどんなものが溢れていたのか、どんな人に囲まれて育ち、だれに尊敬の眼差しをもち、どんな大人が厭だったのか、善悪関係なく、自分の心に沸き起こった感情そして記憶に向きあうことが、革新へとつながる。

ちょっと痒くて、つらくて、ちょっと痛い道のりなんだけど。でも、そうやって、過去の自分の整理整頓、価値観の棚卸しをするために、現在から未来へと時間軸を越えようと、少しばかりの決意を持って、ぼくらは日々過ごしているのではないか。そんな気がしてしまう。

“アイドルって自分でなったり宣言したりするものじゃなくて周りに集まってる人間がアイドルにしていくんじゃないかな。”

喜屋武さんは、あまちゃんである。...らしく、3本目にして、少しずつ彼の人物像が分かってきたような、まだ分からないような。

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