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2F/当番ノート

キャン的な何か…

当番ノート 第24期

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19歳で上京してから、8年経つが、いまだに一人暮らしをしたことがない。予備校時代の下宿から始まり、大学の寮を経て、今の墨田の長屋に至るまで、ずっと誰かと共同生活をしている。今まで家賃が3万を超えたことはない。経済的にも助かるし、周りに人がいる生活は単純に楽しかった。

そんな中でも、一番思い出に残っているのは、早稲田の学生時代に2年間暮らしたシェアハウスだ。大学から徒歩3分、都電荒川線早稲田駅の目の前にある不動産屋の古びたビルの3・4階がまるまるシェアハウスになっていた。1階のドアを開け、長い階段を上って、靴やサンダルが所狭しと並ぶ玄関を抜けると、ぼろぼろの畳、破れかぶれの障子、床にはものがやたらと散らばっていて、お世辞にもきれいとは言えない部屋が広がる。雑然とした室内は、昭和の香りが漂っていて妙な居心地のよさがあった。

ちょうど2年暮らした大学の寮を出ないといけないタイミングで、面識のあった早稲田の先輩、薫さんが新住人を探していると小耳にはさみ、半ば転がり込む形で住み始めた。他にも人を集めないといけなかったので、一緒に住んだら面白そうな妖怪の加藤さんに声をかけた。最初は乗り気じゃなかった加藤さんも、実際に建物と部屋を見て、「ここに住んだらいろいろと面白いことが起きそうだ」と気が変わり、入居を決めてくれた。あまり覚えてないけど、僕がけっこう熱心に口説いたらしい。もし、あのとき加藤さんと一緒に住むことになっていなかったら、今ほど関係は深まっていなかっただろうし、今こうしてアパートメントで文章を書くこともなかったかもしれない。実家が埼玉だから週の半分だけ住みたいという友達の大久保と、加藤さんが声をかけた早稲田の8年生の伊藤さんを加えた男4.5人で新しい生活が始まった。

住人がそれぞれ人を呼んでくるので、家にはよく人が遊びに来ていた。シェア生活が一年経ち、くされ縁の友達の慶野が住みだして少ししてからは、その流れが次第に加速していった。毎日のように入り浸ってレギュラー化していた友達や先輩が、いつの間にか6人も居候するようになっていた。みんな、実家や、近くに一人暮らしの部屋があったのだが、いちいち帰るのも面倒だからと、毎日顔を出す部室に、そのまま住み着いちゃったような感じ。とくに家賃を払うわけでもなかったけど、僕をはじめとする他の住人も細かいことは気にしない性格だったし、なにより楽しかったから、なんら問題はなかった。
男10人で夜中にメシを作って食べたり、ゲームをしたり、酒を飲みながら朝方まで語らったりと、モラトリアム生活を存分に謳歌していた。定期的に飲み会を開けば2、30人近い人が集まる本当に自由で、開放的で、なんでもありな空間だった。玄関のドアに鍵がかかっていなかったのも、今思えば象徴的だ。

老朽化のため、ビルが取り壊されることになり、いつまでも続くかのように思えた生活にも終わりがやって来た。思い出深い場所だったので、どうにかして記録に残したいという思いがあり、大学の自分経営ゼミという授業で知り合った五木田さんというフリーのライターさんが飲み会に遊びにいらしたときに、相談してみたら、ドキュメンタリーの制作経験を活かして映像を撮ってくださることになった。最初はただの記録のつもりだったが、撮影中に、僕と同居人の間のいさかいなど、いくつかの出来事が起き、最終的には、シェアハウスと、その住人たちをめぐる人間ドラマとして形になった。タイトルは、監督の五木田さんが、迷った末に『キャン的な何か…』にした。自分の名前が入っていて、やや恥ずかしいが、あの空間の不思議な心地よさ、人を引き寄せる独特な空気感は、中心にいた僕から発せられる、言語化しがたい「何か」だと感じたそうだ。完成した作品は、その年の早稲田の学園祭で上映し、多くの友人たちが観に来てくれた。その後も、観たいと言ってくれる人がいれば、定期的に上映の機会を作っている。

あの場所は今はもうない。老朽化でビルが取り壊された跡地には、黒々とした立派な高層マンションが建っている。かつての住人たちも、今はそれぞれの場所で、それぞれの道を進んでいる。たまに集まって飲むと、過ぎ去りしあの日々を懐かしく思う。

場の力というものは、不思議だなと思う。あのとき、あの場所で、あのメンバーだったからこそ、成立していたものがある。それは、どんなにがんばっても、もう再現不可能なものだ。
それでも、ときどき、思ってしまうのだ。僕の青春そのものだった、ただそこにいるだけで満たされていた、あの時間と、いつかまたどこかで出会えることを。

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キャン語り第八回目は、前回の町田と同じく、高田馬場の早稲田予備校で出会った慶野。先日のCan’s BARに来たときに、この連載の話になり、今回の文章を書いてくれることになった。
上京してから、一番付き合いの長い友達の一人で、僕のことは、いいところも、ダメなところも、よくわかってくれていると思う。こういう企画には乗り気じゃなさそうだったので、話は振らなかったけど、「おいおい、なんでおれに話が来ないんだよー」と言ってくれたときは、うれしかった。
学生時代のほとんどは、彼女との恋愛と、マージャンに明け暮れていた慶野。そんな彼も、今は柄に合わないITベンチャーで、バリバリ働いている。昔やんちゃしてたからか、出会った頃から、妙に落ち着いていて、どっしりと腰が据わっていた印象がある。「大切な人を幸せにするために、ばしっと働く」っていう慶野の価値観はシンプルで、ぶれがなく、ときどきうらやましく思う。だらしないところや、いい加減なところなど、ダメなところはけっこう似ているから、一緒にいてとても楽だ。それでいて、大事な場面では、ちゃんと必要な言葉をかけてくれる。気の置けない仲っていうのは、こういうことなんだろうな、と思える数少ない友達だ。
人生まだまだ先は長いけど、これからも変わらず、酒を飲んで、語り合って、たまにマージャンとかしよう。今後ともよろしく!

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拝啓
喜屋武くん

時が経つのは早いもので、君と出会ってから9年ぐらいになります。
あれは高田馬場にある、予備校時代。
石垣島からでてきたばかりの、さつまあげが服を着たような君は、年は一つ上だったけど、とても子供じみた印象でした。
(ふわっとしてたけど、汚いからはんぺんではないな)
そして、生粋の童貞。
いつも同じ服着てさ、はなくそほじってたよね。
こんなにほじる奴いるんだと驚いたよ。
大学4年ぐらいまでやってたよね。

でも意外と予備校の成績は優秀。
おれはあんまりだったから、同じ大学の同じ学部に合格したときは電話して喜び合いましたね。

それからは、濃い学生生活をお互い過ごしたね。

喜屋武は社交的というか、色んな人と会っては、
感化され、かわいがられてました。

俺の大学生活はどちらかというと、マイペースであんまり社交的じゃなかったから
「この間○○さんに会ってさー、かっこよかったよ!」
みたいな話を聞くと、すごいな、ちょっとうらやましいなと感じたり。
どこかに行くときは誘ってくれたけど、半分はバックレてました。

なんかウマが合うのか、
(俺が家に泊めてあげるからなのか)
週一ぐらいは会ってましたね。
彼女がいても泊まりにくる君は、神経がいかれていたよね。

学部もゼミも同じ、そろって留年、最後は喜屋武のシェアハウスに転がり込んで。

そこからは野郎10人での共同生活。
「毎日が修学旅行」という生ゴミ学生のスローガンは、
今思い出すと少しノスタルジックな気持ちになる。

あのときのメンバーは今は様々だ。
教師になった奴、ベトナムに行った奴、沖縄出身のくせに北海道の除雪会社に入った奴、
ガテン系、漁師、妖怪兼絵本作家、清掃員、ゲーム会社、都庁、大学院、AVメーカー、弁護士…..。

今でも声かければそれなりに集まるわけだから、
それぞれに、あの時感じた何かがあるんだろうね。

そして、君は、やはりプータローだった。

やはりね。

俺らの暗黙の了解は、
「今はこんなんだけど、社会にでればそれなりにやるよな」
というものだったと思う。

そのときも意見が割れたんだよ、
喜屋武はどうだろうかと。

今のところダメだよね!

喜屋武よ、今何を想う!

別に働いてる人が偉いわけでもないし、
人生すぐすぐ熱くなれない。

でもなー、なんかぬるぬるやってるよなぁ。
気合入れるときはバシッと決めないと!

ということで、きゃんに言いたい5つのこと!

1.シェアハウスをでよう
甘えるので。というか彼女と住んだら!

2.自分語りをやめよう
気持ち悪いです!今回の連載も、正直ゾッとしました。まだやってんのかと笑
俺の好みかな、でも自分語りばっかりの人と飲んでておもろくないもんね。

3.特別な自分は捨てよう
そんなもんはありません。みんな健気に生きてて、喜屋武だけ特別なわけじゃない!
昔はまだ甘めに見られただろうけど、飽きちゃうよね。

4.組織で働いてみよう
辛いだろうけど、いろんな人がいるところで腰据えてみたら?
喜屋武にはうまくやれる力あるはずだから、ぴーぴー言わずに修行だと思ってさ。もちろん「臭い」とかで嫌われちゃうこともあるだろう。でもそれでいいと思うよ。学びがある。

5.カレーでも食ってろ
インドいくとか言ってたけど、いかないでしょ!神保町でカレーでも食ってなさい。そもそもインド行ってもなにも起きないし、インド行く喜屋武は、特別なコンテンツではない!
インド行きたいとぼやいてる喜屋武はちょっと面白いけど!

喜屋武くん、これからもよろしくね!

彼女大事にしろよ!

時間無かったらここまでにします!

敬具

慶野 忠志

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喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

「毎日が修学旅行」 - 日常を非日常に変える、あるいは、日常のなかに非日常のパートを増やす。そういう、日々のなかの小さなレジスタンスは、積み重なっていけば、生き方、という名前に変わるのかも。

シェアハウスのように、だれかと一緒に暮らすということの良さってのは、文字通り「シェア=共有する」ことにあるのではないだろうか。

例えば、テレビを観る、そんな些細なこと一つでも、映像が流れているのを眺め、ああ〇〇やなぁ、と自分が思ったのに対して、あるやつは△△だね、と言うし、あるやつは××じゃん、とも言う。もしかしたら、〇〇対××で議論が生まれて、◯×という新しい視点を手に入れっちゃたりなんかしてね。

そうやって、ある対象を多角的にみる訓練的なものを、一緒に暮らしていただけで自然とやっちゃってんだから、うらやましくもなる。そんなこともあり、10人で住んでいたということは、なんでも10倍に感じることができたのではないか、単純な頭ではそう思うのです。

今回のキャン語り、今までで一番刺激があった。居心地のよい場所から(一度)離れてみることは、“そうじゃないかもしれない自分”が本当にそうじゃないのか、と実証するチャンスであり、仮説通りであればまたその場所に戻ればいいし、(ややこしいけど) ”そうじゃないかもしれなくない”予想とは反して心地のよい自分が見つかる可能性だってあるわけなので、とりあえずは、その外へ出てみるのは一興で、大人の遊びだ。

体験したこともないことを体験したかのように頭だけで考え、モヤモヤと物事の判断をくだすことは、一度もヤったことのない童貞がうだうだ言っている様に少し似ているかもしれない。なんて、思うわけで。

慶野さんの5箇条はとても愛情深くて、それはキャンさんに向けたものだけど、キャンさんとは逆の性格の人なんかは、その5箇条をひっくり返してみると響き方がちょっと変わるかもしれない。

1.シェアハウスをでよう→シェアハウスにはいろう ー だれかと暮らすことのおもしろさと知り、煩わしさを確認してみよう。
2.自分語りをやめよう→自分語りをはじめよう ー 他人のあれこれにしか目が向いてない人ほど、まずは自分の本能に目を向けてみよう。
3.特別な自分は捨てよう→特別な他人は捨てよう ー あの人は特別だけど自分は...と卑下せず、特別でなく自分の特別独特をみつけよう。
4.組織で働いてみよう→個人で働いてみよう ー 自分一人で全部やるからこそ、見えるものを感じて、他人との関わり繋がりを確認しよう。
5.カレーでも食ってろ→インドへはやくいけ ー 心の底からいきたいなら、言い訳せずに、はやくいってみて、何が自分の身に起こるのか、体験してみて、何か起こったにしろ起こらなかったにしろ、気にしてくれてた人に教えてあげよう。

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