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2F/当番ノート

Can’s BAR

第24期(2015年12月-2016年1月)

歌舞伎町の区役所通りを新大久保方面に少し進むと、左手に風林会館というビルがある。風林会館は、新宿歌舞伎町の中でもとりわけ付近のアウトロー密度が高い事で有名な総合レジャービルだ。1990年代の危険な歌舞伎町のイメージの最先端にあった場所で、1階にある喫茶「パリジェンヌ」は暴力団関係者による会合が頻繁にあったり、銃撃事件が多発するなど伝説的な喫茶店として名を轟かせていた。

hana soto

その向かいに思い出の抜け道という、狭くて薄暗い路地があって、小さな飲み屋が軒を連ねている。90年代に中国マフィアによる抗争が多発し、有名な「青龍刀事件」が起きたのもこの辺りだ。歩いて数分の新宿ゴールデン街は、東京を代表する歴史のある飲み屋街だが、最近はだいぶ敷居が下がり、外国人観光客にも人気の観光スポットになりつつあるので、今はこの通りが、歌舞伎町で一番ディープなエリアかもしれない。密集した小さなビルや店に人々がひしめき合う様は、かつて香港に存在したスラム街、九龍城を連想させる。すっかり治安がよくなった現在でも、堅気の人間が一人で歩くのは憚られるような通りを入って少し歩くと、ベテランオカマのカズコさんがやっている「カズコ」という掘っ立て小屋のような小さなお店がある。その目の前の雑居ビルの2階にあるBARはなというお店で、僕は現在、毎月第二土曜日にバーテンとしてカウンターに立たせてもらっている。

cover

この店では、曜日ごとに担当が決まっていて、一週間毎日異なるバーテンがカウンターに立つ。集まる客もバーテンによって変わるので、日によって雰囲気の違いを楽しめておもしろい。僕が知るだけでも、作家、ライター、役者、劇団主宰者、大道芸人、女子大生、三児の母のOL等々、バラエティー豊かな面々がカウンターに立ってきた。もともと店の常連だった人が、空きが出てバーテンをやる場合も多々ある。僕は、自分の担当の日には勝手に「Can’s BAR」と名乗って営業している。

ここを訪れたきっかけは、第四回のキャン語りを担当してくれた紙谷さんだ。初めて来たのは学生の頃だから、もうかれこれ3年以上前になる。早稲田の路上で偶然の出会いを果たした後、紙谷さんを当時住んでいたシェアハウスに連れて行き、ひとしきり話が落ち着くと「最近よく顔を出す店があるから行ってみないか?」と言われて、西早稲田から歌舞伎町まで、歩いて向かうことになった。
紙谷さんについて、歌舞伎町の狭くて薄暗い裏通りに入り、怪しい雑居ビルの急な階段を上って店に入ると、壁は一面黒く塗られていて、奥にあるL字型のカウンターをお客さんが囲んでいる。客席には、アングラ臭漂う怪しげな大人たちの姿がちらほら。爆発したようなパーマ頭に黒いグラサンでぷかぷかと何かの煙を燻らせていたとても堅気には見えないおじさんと紙谷さんが親しげに話し出す。後から聞くと、そのおじさんは石丸元章というサブカル界では有名な人で、ライターとしてドラッグの取材を始めたら、ミイラ取りよろしく、自身もドラッグにハマってしまい、それが原因で刑務所にぶち込まれた時のことを書いた『スピード』という作品で注目された人だそうだ。
僕が紙谷さんと訪れた日は月曜日で、当時は泉木蘭さんという作家の女性がカウンターに立っていた。アウトローな空気を纏ったお客たちに囲まれながら、にこやかにカウンターに立つ木蘭さんは、荒れ果てた荒野に咲き誇る可憐な一輪の花の如し。当時、世間知らずの大学生で、いきなり非日常の世界に迷い込んだ僕は、その美しさと優しい笑顔に一発でノックアウトされ、それからしばらく木蘭さんの日には店に顔を出すようになった。店に集まる人たちは、作家、編集者、役者から、何をやっているのかよくわからない人まで様々だったが、みな世間や組織におもねらず、個として、自分の力で生き抜いている自信のようなものが窺われた。
「喜屋武くんは何をやってる人なの?」と問われても「学生です」と答えて済まされてはいたが、この先どうしていきたいかもよくわからない、何者でもない僕は、その空間にいて、なんだかとてもいたたまれない気持ちになったことを今でもよく覚えている。

その後、第二土曜日に空きが出て、はなに出入りしていた先輩に、「喜屋武くんもバーテンやってみたら?」と言われ、オーナーさんを紹介してもらい、面接をしてもらえることになった。面接とはいっても、「人呼べそう?」「はい、友達は多いので、お客さんは呼べると思います」「じゃあとりあえず月一ででやってみようか?」といった簡単なもの。こうして僕のバーテンデビューが決まった。

月一とはいえ、早いもので、それからもう三年半が経とうとしている。この間、多くの友人や、新しく知り合った人たちが店に遊びに来てくれた。自分がそこにいるから、わざわざ会いに来てくれる人がいるというのは、本当にうれしいもので、僕の友人同士が出会い、盛り上がったり、仲よくなったりすることで生まれる化学反応をカウンターの内側から眺めているのもまた楽しい。

閉店後の店内で一人でぼーっとしているのも好きだ。スピーカーで好きな音楽を流し、本を読んだり、文章を書いたり、考え事をしたり。ほどよい狭さ、あかるさで外界から隔離された空間は不思議な落ち着きがあり、一人でずっといても寂しくなく、心地よい。
自分の場を持つ、自分が場になることの、たのしさ、おもしろさを教えてくれたCan’s BARの日々。毎月第二土曜日、月に一回のほどよいペースで今年もゆるりと続けていけたらと思う。よければ、この文章を読んでくれたあなたも、一度ふらりと遊びに来てくれたらうれしいです。もろびとこぞりて。

BARはな
新宿区歌舞伎町1-3-10寺子屋2F
http://s.maho.jp/homepage/009f5ed9ec6a7696/

第六回目のキャン語りは、マンガ家の新井英樹さんにお願いさせていただいた。ちなみに、新井さんに引き合わせてくれた某漫画誌編集者Fさんは、前回登場したふせちゃんである。ふせちゃんから「喜屋武くんに紹介したいマンガ家さんがいる」とのメールを受け取ったのは、2013年の夏も終わりに差し掛かった頃。3年ぶりに実家に帰省していた僕が、与那国島に一週間ほど遊びに行って、馬の世話を手伝っていたときだった。
東京に戻ってから、新井さんが僕が現在住んでいる墨田の長屋に遊びにいらして、ちょうどその夜に営業していたCan’s BARにもご来店くださった。それから忙しい仕事の合間を縫っては、定期的にお店に遊びに来てくださっている。
僕の石垣島の後輩の高田が、昔から新井さんのマンガの大ファンで、名前と作風だけはなんとなく知っていたので、あんな激しいマンガを書くのは一体どんな人だろうと思っていたが、予想とは裏腹に、謙虚で、礼儀正しく、気さくな方であった。新井さんはこう言われるのを嫌がるだろうが、とても「感じのいい人」なのだ。もちろん、作品に描かれているような激情が新井さんの中にも広がっているのだろうが、初対面の僕が感じた印象は、とても親しみを持てるものだった。
新井さんも、僕の好きなほかのおっさんたち同様、少年のような笑顔で笑う。そういう人たちは、偉ぶらず、対等に話をしてくれるし、言葉にウソがなく、信用できる。新井さんと話していて、度々言われる「今はいいけれど、30代になったら何かひとつ武器がないとキビしいよ」という言葉は、これから20代最後の一年を迎えるにあたって、肝に銘じておきたいと思っている。

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ボクが喜屋武くんに出会ったのはもう・・・2年以上前になる。某漫画誌編集者20代のFさんに「シェアハウスって見てみたいんだけど」とお願いすると「2箇所あります。私の大学の学友です」とのこと。シェアハウスへの興味は当世の若者文化とか社会状況とかからではない。「オナニー、セックスはどうするんだ!?」「男女の間に友情?で、同居?フザけるな!」っていう疑問と感情からだった。
そして当日、ボクが初めて見たシェアハウスはテラハのイメージからは真逆のところ墨田区京島木造築70年のまさに貧乏長屋!!もー笑うだけ!!
戦火を逃れた家屋にヒゲあとの濃いライトでニュートラルな瞳の若者と挨拶を交わした。それが喜屋武悠生だった。石垣島出身、ふわふわとした人間の質感、ボクが持っていた若者イメージの神経過敏な弱さを感じさせない。あれこれ下(しも)の話を振ってもペロっと答える。
取材2軒目へ移動するために最寄駅へ向かう道すがら、喜屋武くんはボクにやたらと話しかけてきた。ズケズケと距離を縮める彼はボクの漫画を一冊も読んでないから、ボクも「あ、人として扱われてる」って嬉しさもあったせいか、ベラベラと喋る彼と空気が心地良かったのだ。

でも、これが奴の手口だった!!

ナンパですよ。ひっかけられて、転がされてるんですよ。のちのち聞けば大学在学中にも五十代後半のおっさんに声かけ!職を探せば会社社長をひっかけ!
ツイッターで知り合い、Can’s BARへ来るおっさんたち!皆確信してました!「おっさん転がしだ」と!!
その見てくれとは裏腹に、洗練された人間を目指し気取る!セックスするために!
つき合えばつき合うほど脳内のセックス比重のデカさに驚かされる!
「こ洒落たモノ」への執着・探究心はモテるため!セックスするため!
あ!そうだ!去年こんなことがあった!
「自分は何をすべきか、やりたいのかがわからない」と喜屋武。
「だいたいの方向はないの?」とボク。
「文章とかで食べていけたらなんて考えもあるんすけどねー」
「じゃあ今日から書け!文章!」
果たして奴は書かなかった!
が、次にボクと会う予定日の直前、やっつけ仕事のように
「ブログに文章をアップしたんで読んで下さいよ」ときた!
読めば「さびしい誕生日を先輩が祝ってくれた。そして、その帰りに映画『ドラえもん』を観てドラ泣きした」との話。及第点を狙ったようなとり澄ました文章。ところが!
根掘り当日の情況を聞けば、先輩とメシ食ったあとラブホでデリヘル嬢をおごってもらったのちの!ドラ泣き!!
「てめえ!なぜそれを書かないんだ!!その人間に起きる事件!ドラマ!そこから浮かびあがるキャラクター、そこ書かないでどんな賞もらおうって魂胆だ!?」
「・・・そうなんすよね~」 ・・・・・だとさ!!

空っぽ!!
皆さん こいつ空洞なんですよ!!

でも、気付けば、なによりも恐ろしいのが、そんな空洞人間の若者に倍の年齢のボクが転がされているという事実!!
ボクは愚痴と皮肉と怒りを吐きまくるけど説教は嫌いで、というか「説教できるキャラじゃない」ってことが自身のアイデンティティーをこじらせてる人間なんで、空洞若人にとやかく言いたくて傍にいるわけじゃないんですよ!!
じゃ20代男子の肉体を狙うオレの隠れたゲイっ気がそうさせるのか?それも違う!
ゲイ人生を歩む人たちから「あなたは女が好きなのよ」とお墨付きを頂いている。では「なぜ?」に明確な答えが出ない。

・・・・やっぱ空洞か。空洞の奥の奥のほうに、なんかすげえ大きくて重たいもの、人を吸い寄せるような重力を生むなにかがあると思ってるのか?

ない!!アブね!買い被るな!!

そんな理屈で導き出せるような答えを持つ人間にボクが魅力なんて感じる訳がない!!あいつはあいつだ!!
そして実際あいつの元に人が集まるという事実。「人と人を繋げるのが楽しい」と言うあいつから事実、幾人もの人間をボクは紹介されているし・・・。それでボクの人生は予想もしなかった楽しいものになってるし・・・。あいつ誕生日にものくれるし・・・。
いややや!!得して感謝ってことじゃない!!
たぶん、わからないものをわからないままで見てることが楽しいのかもね。あいつの人生どこに転がるか、まるでわかんないし、だとしたら、どこに転がっても面白いことは間違いない!で、今そんな喜屋武悠生に転がされ続けることを願ってるボクがいる。ナンパにのこのこついていった尻軽おやじから、白旗あげて感謝とエールを贈る。

「キミはボクが選べなかった人生を歩くひとつのお手本です」

新井英樹

araisan

1963年9月15日神奈川県横浜市生まれ。1989年アフタヌーン(講談社)にて「8月の光」でデビューした。1993年サラリーマン時代の経験を基に描いた「宮本から君へ」で第38回小学館漫画賞青年一般向け部門を受賞。ヤングサンデー(小学館)連載「ザ・ワールド・イズ・マイン」は過激なバイオレンス描写と壮大なスケールで、批評家をはじめ岩井俊二、松尾スズキ、庵野秀明、高橋源一郎、町山智浩など多くの著名人から絶賛された。その他の代表作にフィリピン人女性と42歳独身男性の国際結婚を描いた「愛しのアイリーン」、“この世界”と激しく戦う少年・染谷輝一(そめやきいち)の人生を描いた「キーチ‼」、その続編「キーチVS」などがある。現在、スペリオール(小学館)にて「なぎさにて」、コミックビーム(エンターブレイン)にて「SCATTER–あなたがここにいてほしい–」を連載中。
 

喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

「キミはボクが選べなかった人生を歩くひとつのお手本です」 ー ないものねだりなのだ。隣だろうが、遠くだろうが、自分が持たざるものを他人にみると、目頭は熱くなり、その対象から色艶を見いだす。

持つもの、持たざるものは、人生のなかで選べたものかもしれないし、選べなかったものかもしれない。進んでいく道、進んできた道があるということは、必ずと言っていほどに、どこか満たせぬ心を共に連れてくる。

その道中に見れなかった景色であったり、つくりきれなかった出来事だったり、会えなかった人が、その心を生みだしているのかもしれない。自分一人では満たせないと気付いたとき、ぼくらは他人に寄り添っていく。

その他人は、違った道を歩んできたからこそ、その顔、その言葉、その立ち振る舞いに、不思議と惹かれていくのだろう。不思議と書いたが、実はN極とS極のように、しかるべき現象とも言えるだろうか。

世の中をみると、「違うから、非難する、拒絶する」といった事故は日常茶飯事だが、違うからこそ、ないものを持ってるからこそ、尊ぶことができれば、大きな物語に埋もれた(埋もれようとしている)、小さな物語のなかに生きる人も、もっと暮らしやすくなるのではないか。

解釈は自由にさせてもらうとして、冒頭の言葉から、つよいメッセージを受け取ったのです。

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