天体予報.8 心の声、仏の声

第17期(2014年10月-11月)

sunset-hair

僕と彼女は休日になると、大抵どこかにご飯を食べに行くのだけれど、その日はふらっと高速に乗り、京都まで行った。その帰り、やっぱり何かご飯を食べて帰ろうということになった。なんとなく二条か三条通りあたりにしようと決めて、駐車場を探すためにくるくる車で周っている時に、店の明かりだろう、なんとなく雰囲気の良さそうな店を見つける。そして、その店からそれほど遠くないところに車を停める。

夜の河原町通りは、三条通りと四条通りの間は賑わい過ぎている。だから、少し離れた場所で、ご飯を食べようと思っていただけだった。実際、その辺りに車を停めると、街の中心よりは、人がいないし、信号のないところで通りを横断することもできる。僕らは夜の京都でそんなふうに歩きながら、どこか良さそうな店を探す。

彼女は疲れていたのか、駐車場からそれほど離れていないイタリアン・レストランを見つけて、そこにしようと言う。僕は、さっき駐車場を探している時に見つけた明かりが気になって、少しそこまで歩こうと言う。

この時には、一体どちらの店がいいのかということはわからない。知らない場所で僕らにできることは、ただ店の外観の雰囲気と、店の前に飾られたメニューを見て、なんとなくどういう店か、直感的に判断することだ。確かにもう少し慎重になれば、ネットでその店の評判なんかも調べることができるかもしれない。でも、今日はふたりとも疲れていたし、そこまでは調べなかった。

昔の人のエッセイを読んでいると、だいたい男は、30代になったら、行きつけの店を持つことが粋だなんてことが書いてあったような気がする。確かに自分の行動範囲の中では、年とともに、自然に良く行く店というのはできてくる。でも、そういう店も、最初は未知なる店だ。偶然何かの行きがかりに入った店が、どこかとても良いところがあって、そして何度も店を訪れるうちに、行きつけの店になったりするのだろう。でも、本当に必要な力とは、知らない場所で今、これから食べるご飯が過不足なく良いということだと思う。もちろん、とても良いという店ばかりに行くことができれば、それはもっと優れた能力だろうけど。

実際、その日は何かを間違ったのか、僕らにはいささか高級すぎる店で、ちょっと味が濃い料理を食べることになった。僕と僕の彼女は、もう何年も付き合っているから、僕が見栄をはって、そういう店を選んだわけではない。付き合いたての頃のように慎重でいられればいいけれど、なかなかそういうわけにもいかない。でも、ちょっと自分たちには合わない店に入ってしまうと、どっと疲れてしまうし、一体、何のためにご飯を食べているのかも、わからなくなってしまう。

店を出た後で、僕は、彼女が言ってくれていたことの正しさを知る。彼女は、駐車場から離れていないすぐそこの店でいいと言っていたのだ。

心の声は、もう少し先まで歩いてみようと言う。でも、そういう誘惑がいつもあなたを良い場所へ連れていくとは限らない。そういう誘惑にかられた時には、必ず側にいる人が、何か無意識に、そこまで歩いてはいけないということを教えてくれている。

彼女は、ただ疲れていて、もう歩きたくなかっただけかもしれない。そして、もう少し歩けば未知なる新しい場所へたどり着くのかもしれない。でも、それが行きすぎた場所であることもある。一度は行きすぎた場所へ行くことも悪くないだろう。実際に身銭を切り、学べることもあるのだから。でも、何度もそういう間違いを繰り返すべきではない。

話していることは、夜の京都の料理店の話だ。でも、それは何か別のことを語っているのかもしれない。京都で過ごすと、よくそういう象徴的なことに出会う。そして、本当に粋な人は、そういう兆しから、何も言わずに物事を判断できるのだろう。