父になっていく

第17期(2014年10月-11月)

転校というものを経験したことが無いのでわからないのだが、こういうものなのだろうか。

誰も知る人のいない教室の一番前に立って、数十人のクラスメイトに挨拶をする。クラスメイトといっても、まだ何も関係を持っていない人達の前で、身体ひとつ、名前と、いくつか、自分に関する情報を伝える。
私にとって今がその始めての瞬間だ。文章でそれをするのだから黒板だけを使ってそれをしているようなものだろうか。

アパートメントは、元々読者ではなく、見かけたことはあったが読んだことは無かった。
そんな場所に今立っているのだと思うと頼りない心地がしてくる。ここに書くことになったのは縁あって知人から依頼をされたからだ。
一人の知人を頼りに転校してきたというわけである。そんなところで何を書こうというのか。
誰が読んでいるかわからない場所に向けた言葉というものを、私はまだ知らないのである。

例えば小説のようなものはどうか。見ず知らずの他人の小説(それもプロのものではない)を読むなんて、よっぽどの物好きだろう。
それにインターネットにフィクションは似合わないと思っている。タイムラインに流れてくる現実のリアリティに埋もれてしまうからだ。
ただ見ず知らずと言えど、ノンフィクションだったら話は少し別なのかもしれない。

人は何故だか異常なまでに他人に興味を持つ。それでいて、他人のことなんかどうでもいいと思っていて、偶然や特別な時間が作用しない限り、近づこうともしない。
川の向こう岸からガラスケースに入った他人を見るのが好きなのだろう。僕も、きっとそうだ。

タイトルからわかるように、私は父になる予定だ。子どもが産まれれば戸籍上の表記は父親となるのだが、それだけで父親になれるなんてちっとも思えないのが妻と7ヶ月の妊娠生活を送った上での実感である。
痛ましいニュースを日々目にしながら、親とは、母とは、父とは、と、自問を繰り返しながら毎日を過ごす。外にはこんなにも多くの親と子がいたのかと驚く。幸せそうな家族を見て、自分の数年後を重ねようにも、どうにもうまくいかないことだってある。

「自然と父親然としてくるよ。」そんな声をかけていただくこともあるが本当にそうだろうか。
どうしてもその言葉通りだとは思えないのである。
父はなっていくものではなく、自らの意思と参加でなるものだ。そしてそれには時間がかかるし、30年経っても上手に「父親」にはなれないのかもしれない。
親とはそういうものではないだろうか。
母親や父親の先輩方の前で恥ずかしいことではあるけれど、父になっていく当事者としてこの数ヶ月の体験を少しだけ書かせていただこうと思う。