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2F/当番ノート

あの時期あの場所あの人 【第二回:1992東京】

当番ノート 第23期

When Where Who
The Period, The Place, The Person

あの時期あの場所あの人 【第二回:1992東京】

1992年東京のあの人は
訪問する旅の始まりをくれた。

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住んでいた場所から飛行場まで車で15分。今はなき、香港啓徳空港。
ビルの合間を縫ってひっきりなしに着陸する飛行機の行列。
爆音と機体のお腹を真上にみながら登校することが日常で、
飛行機や空港は生活の延長線上にあった。
家を一歩でれば海外旅行。どこからが旅でどこからが生活か、
今振り返ればグレーな境界線もその時は日々のあたりまえだった。
そんなある日、それは中学生になったばかりの頃、
東京出身の友人と二人きりで日本へ遊びにいくことになった。

昔、愛媛の叔母たちが、東京にはパスポートもっていかないかん、
なんて冗談をいっていた事が、本当になった。
当時はまだ大きめの赤いパスポートと、カーボン紙がついてる
分厚いチケットを持って、東京への二人旅。
大人が一緒にいない出入国審査、荷物受け取り、
税関、今まで何度も日本には帰国していたが、そこにはいつも
母親がいたのでただついていけばよかった。
何も気にしていなかった。あんなにもやらなければいけないこと、
気をつけなければいけないことがあるなんて。
沢山のタスクをこなしていたはずだが、気が張りすぎていて、
どうやって成田まで着いたか、どうやって東京までたどり着いたか、
記憶からすっかり消えてしまっている。

初めて過ごした東京での時間。東京は想像していたよりもずっと
せわしなく、人で溢れ、フワフワと気持ちを上昇させる
不思議な空気が漂っていた。

都心で育った彼女は、とても自然に、なにも力まず、
その空気を切るように歩いていた。
惑わされるでもなく、懐かしむでもなく。ただ、あたりまえの
空気のように呼吸のようにその中にいる。
ひとつひとつ、かっこよく見えてしまう。彼女が買うもの、
頼むもの、しゃべること、全てが眩しかった。

渋谷の109に行ったり、原宿の竹下通りを歩いてみたり。
少し背伸びした、トーキョーという大都市を、
心に覆いかぶさるような畏怖とも憧れともとれるあの
感覚にふらつきながら歩いた。

人ごみは香港でも日常茶飯事だが、なにかが違う。
圧倒的にエネルギーが奪われるような東京の人と店の群れに、
竹下通りの真ん中あたりで立ちくらみ、へたっと座り込んでしまった。

今も渋谷や竹下通りを歩く時、ふと思い出す。

そんな東京という街で、友人が過ごしてきた時間も垣間見る。
彼女の東京友達とファミレスでお茶をしたり、
東京親戚と焼肉屋に行ったり。その街に住んでいた頃、
話していたこと、食べていたもの、見ていた風景。
少し前の過去を一緒に歩かせてもらった旅。香港にいたときには
気づかなかったその人のこと。

その人に見る空気に私が憧れを抱いていた理由が、少しわかった気がした。

旅には色々な種類があると思っている。私は旅をする時、
友人が暮らす場所で時間を過ごす、訪問旅、とでもいおうか、が好きだ。
同じ時と場所を過ごした人と、違う時を過ごす。特にそれが違う場所であると、
今と過去がとても面白い具合に混じり合い、初めての場所であっても
懐かしさと新鮮さの波がうまれる。
少し、”ホーム”感を持ちながらその土地に心を開く事ができるような
気がする。友人達のお陰でこわがりな私(そういうと驚かれるのだが)
は少し開いた状態で旅をする事ができている。

私が人を訪ねる旅をするようになったのは、
1992年東京にあの人がいたから。

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日本、香港、カナダ。それぞれの場所、同じくらいの割合で過ごした思春期。
ものの見方、軸の置き方、それは文化によって様々であることを肌で感じ、魅了されてきた。
どんな事を思っているのだろう、どんな風に思っているのだろう、
いつも気がつくとそんな事ばかり思っている。
出身地がどこといいきれないことに対して持ち続けたコンプレックス。
歳を重ねるたび、日本という国で培われた文化の層の多様性に
膨らむ恋心。
人はなぜ旅をするのか。
色々な事を思う事が、とりあえず好きなんだと思います。

Reviewed by
oco

旅をしよう、と決めるきっかけはなんですか。
誰と何処へゆきますか。逢いに行くのは風景か、それとも遠い街に暮らす友人か。
旅の仕方は人それぞれ、そしてまたその人の状況によっても変わってくる。
日常の場を離れてあそこへ行こう、と決めるとき、その人の中で小さな変化を期待しているところも、もしかしたらあるのかもしれない。

reiさんが"訪問旅"と呼ぶ旅の仕方、きっとうんうんと頷く人もいるのでは。
中学生同士、親元から離れて飛行機に乗り降り立つ東京。
わたしはずっと東京で暮らしましたが、なんだか聞いただけでもわくわくします。
その東京は中学生のreiさんを圧倒し、竹下通りで目眩を起こさせる程だった。
多感な少女が見る外国、親元から離れてももう大丈夫な年齢だけれど、しっかりと”大人”ではない曖昧な年齢に映る景色は想像を超えて色鮮やかだっただろうと思う。
その景色はいまのreiさんの血液にしっかりと流れているのだろう。
そして”大人”になったreiさんを旅に突き動かす力は、確かにここから始まっている。
いつでも旅をする隣に、中学生の、目眩を起こしそうなほどの感受性をもった少女がいる様子が見えた。

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