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2F/当番ノート

あの時期あの場所あの人 【第四回:2004サンパウロ 】

当番ノート 第23期

When Where Who
The Period, The Place, The Person

あの時期あの場所あの人 【第四回:2004サンパウロ 】

2004年サンパウロのあの人は
辛い時も笑顔を心にもち続けられたら
大丈夫、Tudo de Bomよと笑ってくれた。

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楽しいとき、辛いとき、様々な凝縮された時間を過ごした
仕事場を辞めるのが決まっていたある日、
ブラジルで暮らす友人から送られてきた空の写真を見た。
透けながらも深い青。そんな空があるなら、みてみたい。
そんな空の下暮らす人達はどんな人達か、会ってみたい。
何かに興味を持ち始めると、無心に調べてしまう性分で
その写真をみてからというもの、ブラジルについて、
ポルトガル語について、検索したり本を探しまわったり、
仕事を辞める寂しさはどこかにいってしまっていた。

英語を学ぶ本がいくつもの棚を埋める中、ポルトガル語の
本を見つけるのは思ったより大変だった。いくつ本屋を巡っただろう。
その中で手に入れた中の2冊を持って、2ヶ月ブラジルに滞在
することにした。友人の親戚がホームステイ先として受け入れて
くれるというこの上ないありがたい言葉に甘え、言葉の通じない
国に行けるチャンスに飛び乗った。

よく考えたら、どんな人達か、どんなものが必要か、どんな食生活か、
どんなあたりまえか、全然知らないで動いていたことを行きの
飛行機で一人になった時、気づいた。
地球の裏側、どんなことを見るのだろう。
過ごしやすい当たり前の日々の中に居て
忘れていた感情が、この旅のお供となった。

人見知りの上、慎重な自分にとって
言葉も通じない、街並もわからない、この土地の
当たり前も知らない、といったことは更に
臆病にさせた。空気感に慣れるまではじっと観察する。
飛行場まで迎えに来てくれた友人とホームステイ先の家族。
どきどきしながらもあたかい笑顔で迎えてもらったのだが、
ステイ先に着いてから、最初の2週間、日中は部屋で言語の勉強ばかりしていた。
朝晩、家族とのご飯の時だけ、ポルトガル語のシャワーと
それぞれの報告を浴びた。友人の親戚はブラジル人日系三世の共働きのご夫婦と
息子さん二人の4人家族。そして日中は通いのアフリカ系ブラジル人の
お手伝いさん。
精一杯知っている日本語で心細かった私を包んでくれたその家の
母であるあの人は、40代だがお手伝いさんを「ジョチューサン」と言っていた。
その後も時々、日系人の中に残る古い日本語にとても驚かされた。
日系人のこと、世界に集団移住して残している文化が地球の丁度
裏側で1世紀以上も続いている。ライフワークの一つに、外にある
日本を見ていきたい、拾い集めていきたい、という想いはこの旅で
強くなった。

サンパウロ郊外の町で暮らす家族の日常に身を置かせてもらい
初めての南米という土地の一部を自分の呼吸と感覚で味わう時間。
香港、カナダ、と植民地という時代を経た国で暮らして来たが
同じ植民地でもまた違う色を持つブラジル。
車で1時間など当たり前の広い土地。サントスまでの小旅行は
3時間ほど車に乗っていただろうか。何レーンもある真っ直ぐの道
を走る。走り続ける。途中バケツをひっくり返したようなスコールが
降る。急に晴れる。虹が目の前に大きなアーチを描く。
ネバーエンディングストーリーのファルコンの背中に乗って
飛ぶ場面がなぜか頭をよぎった。

そんな移動時間の長い滞伯中、車中が私の教室となった。
家の中では「母」であり「妻」である
彼女は私に多くの時間をさいてくれた。
話の内容の大半は家族のこと。家族の枠は広く、親戚やそれぞれの配偶者、
パートナー、子供達、年間の家族イベントで集まる人達で
その人の「家族」枠の範囲を知ることができる。
姉妹が多い彼女の家族、それぞれがブラジルドラマ、novelaの様で、
生きている同士の力がときに団結し、ときに分裂し、波を生んでいた。
女として、生涯女の魅力を持ち続けたい。ワークアウトも欠かさないし、
適度な露出も見られるというエッセンスとなり重要。色彩も多く取り込み、
華やかに。ジュエリーも大きめの方が楽しい。爪の手入れも抜かりなく、
基本は赤のマニキュア。愛しいご主人の為、子供達にとってかわいい
母でありたい為。

地方で農園を営む嫁ぎ先で同居しているしっかり者の姉、
お店を切り盛りしているかわいらしい義妹、
凛とした姿勢とスマートな笑顔の歯医者の妹、色々な姉妹。
親戚達の中では自由でブラジルな人という位置づけの彼女と生活を供にし、
お互いの静かな気持ちを掘り起こしながら話していたら、彼女の
夫をたてて、親戚の中和剤になって、激しさの中に奥深い静かさをもち、
なにより周りの人の為に自分でありたいと思う、昔の日本に住む女性を
あの人に見た気がした。

ブラジルで過ごした時間は今もまとまらずざわざわと自分の中にあり、
マントルのように固まらず動いている。

2004年サンパウロのあの人は、姉のような存在となり、
心が凝り固まった時、どんなに悲しくて切なくても、心のどこかに微笑みをもてば
すべて大丈夫。だからあなたにこの言葉を知って欲しいと
Tudo de Bomという言葉を教えてくれた。

travellrei

travellrei

日本、香港、カナダ。それぞれの場所、同じくらいの割合で過ごした思春期。
ものの見方、軸の置き方、それは文化によって様々であることを肌で感じ、魅了されてきた。
どんな事を思っているのだろう、どんな風に思っているのだろう、
いつも気がつくとそんな事ばかり思っている。
出身地がどこといいきれないことに対して持ち続けたコンプレックス。
歳を重ねるたび、日本という国で培われた文化の層の多様性に
膨らむ恋心。
人はなぜ旅をするのか。
色々な事を思う事が、とりあえず好きなんだと思います。

Reviewed by
oco

人生は旅だ、とよく言われることばですが、自分の身体と精神がもし大陸の形を成していたならば、今この瞬間この時間は国で言うなればどの辺を旅しているのでしょうか。
今回の舞台はサンパウロ。ブラジル最大かつ南半球最大のメガシティ。一時期ウォンカーワイのHappy Togetherとマヌエル・プイグの影響で勝手に南米ブームになったことがあります。暴力的なほどの色気と強烈な色彩のジャングルに咲く花や鳥たち、またその自然の威力に負けない精神を持った南米の人々。そして地球の裏側。想像力を掻き立てられて、いつか行きたい憧れの街でした。何かを吹っ切るにはぴったりの、というよりここでなくてはならないかのような街。reiさんの分岐点でもあり、また未だに消化しきれない、いつか再訪したいと望んでおられる大切な街。

悲しい、とか、もうダメかもしれない、とか。受け入れられるだろうか、とか、失ってしまうかもしれない、とか。怖い、とか、逃げ出してしまいたい、とか。
生きてれば全然大丈夫じゃない時があります。決してそんな顔はしてなくても。言葉には出さなくても。私満たされているの、と自信を持って完璧な笑顔を浮かべたとしても、明日どうなるかなんて誰にも分からない。そして彼女のほんとうを。でも、誰もがどこかで知っていること。"大丈夫じゃない"、という日は、いつか終わる、ということ。少なくともその濃さは、薄まる、または別の色を持つ、ということ。子供の時、悲しい気持ちでうまく寝付けない夜に、真っ暗だった部屋に一筋の光が差し込んで、一緒に寝ようか、と言ってくれた家族の、その誰かの顔を見た瞬間の安堵の気持ちのような。家族の中で、妻であり、母であり、一人の女性であった、ブラジル人の女性が言った、"全て大丈夫"の言葉の中には、決してただの楽観視ではない生き抜いてきた人だからこそ放てる光がありました。私もいつか、誰かにそう言えるようになるだろうか。
暴力的なまでの自然の力に負けず、日々の暮らしを営み、家族の日々をつないできた彼女が、今どんな表情でいるのだろう、と。そして今のreiさんを見て、彼女は次にどんな言葉をかけるだろうかと考えた。

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