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2F/当番ノート

あの時期あの場所あの人 【第七回:2012ニューヨーク 】

当番ノート 第23期

When Where Who
The Period, The Place, The Person

あの時期あの場所あの人 【第七回:2012ニューヨーク 】

2012年ニューヨークのあの人は
混乱の中にある美しさと生み出す力を
思い出させてくれた。

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東北で出会った東京在住のあの人は、ニューヨークのきらびやかな街に
そっと現れた。初めて会ったのは宮城県の石巻、車の後部席で
ぎゅうぎゅうになりながらだったと思う。すこし距離を
おいたような、口は少し笑いながらも気持ちを離して
眼の奥で静かに観察している。すこし近寄りがたい。そんな印象だった。
少し時間が空いて、次に同じ場所であったあの人から受けた印象は、
がらりと変わった。車に満員、ぎゅうっとなりながら、海岸と山奥を抜け、
向かった浜で、迎え入れてくれたお母さん達にいじられながら、あの人も
周りも笑顔になっていた。

それからまた少し間があいた頃、あの人がニューヨークへ渡ったと
聞いた。同時期にニューヨークに住んでいた友人を一日だけ訪問する機会が
あり、あの人へ久しぶりに連絡をしてみた。大学院で日々を過ごしている
あの人は、忙しいのに夜、街中にでてきてくれるといって、Wi-Fiが
繋がるからと大型書店での待ち合わせにしてくれた。

夜の待ち合わせまでの時間、朝から友人と昼のニューヨークを楽しんだ。
道から階段が玄関に繋がる建物が並ぶアッパーイーストサイド。
その階段には人が立っていたり、コーヒーを飲んでいたり、
壁には蔦がなんとなく行儀良くつたっていたり。
乱反射する陽の光の中、パンケーキとエッグズベネディクトのブランチをしたり
持って帰れるはずもない鉄鍋や焼き菓子型をウィリアムソノマで見ながら興奮したり、
アメリカのテレビドラマの世界を生で感じた。昼はSeinfeld、Friends、
夜はSATCやNYPD Blueのイメージを五感全てで感じた。

夜、待ち合わせた書店はマンハッタンのど真ん中、
真っ直ぐ先には柔らかく輝くエンパイアーステートビルが見えた。
数々の映画で描かれている景色の中の本屋であの人と待ち合わせ。
よく考えるとその状況がなんだか可笑しく思えて、笑いをこらえて
待っていた。

あの人は、街の風をまといながら、自然にその本屋に現れた。
ニューヨークという混沌の中にすうっと馴染んでいた。

夜の雰囲気の、人と光源と感情と建物でごった返している
タイムズスクエアを通り、数々のブロードウェイミュージカルの
名館が立ち並ぶシアターディストリクトで人気のハンバーガーショップ
でハンバーガーを食べた。オーダーに並ぶ間も、受け取るのを待つ間も、
食べている間も、自分もまわりも、飛行場の出国審査を終えた
ゲートのエリアのように、落ち着かない感じに、落ち着く。
マンハッタンが大きな出国エリアのように感じた。
作り立てのハンバーガーをほおばりながら、話をしているうちに、
重い人生論なんか喋ったりして、軽いものと重いものが無重力の中で
ふわふわまどろむようにそんな場所でそんな事を自然と
喋っていたのは、ニューヨークのあの空気によるものなのかもしれない。

観光で訪れそのまま住んでしまうという事が少なくないであろう
あの土地は、江戸っ子より外からの人が多く住む東京のような、
ある一定のルールを知っていれば馴染むことが比較的難しくない場所だが
根付く為には多くの時間とエネルギーを必要とするように思えた。
世界中から人が集まりその場所を作っている。
人々の理想と現実がぶつかり合い、破壊され、創造され、巡る。
その中であの人は沢山の悩みに出会い、考え、感じ、混ざり合い、
迷いながら、進んでいた。そして、別れ際、頑張ってね、と言った時、
少し疲れている表情を浮かべながらも、少し肩の力が抜け潔さと柔らかさが
増した笑顔で、またニューヨークの生活へと戻っていった。

コントロールできない環境の中にある辛さは、
自分の中の新しい何かを作り出す源になり得ることを
思い出せたのは、2012年ニューヨークにあの人がいたから。

travellrei

travellrei

日本、香港、カナダ。それぞれの場所、同じくらいの割合で過ごした思春期。
ものの見方、軸の置き方、それは文化によって様々であることを肌で感じ、魅了されてきた。
どんな事を思っているのだろう、どんな風に思っているのだろう、
いつも気がつくとそんな事ばかり思っている。
出身地がどこといいきれないことに対して持ち続けたコンプレックス。
歳を重ねるたび、日本という国で培われた文化の層の多様性に
膨らむ恋心。
人はなぜ旅をするのか。
色々な事を思う事が、とりあえず好きなんだと思います。

Reviewed by
oco

旅の延長で住んでしまおうか、と思うときがよくあるのですが、いつも何かが引き止めておとなしく自分の街に帰ってきてしまっていた。でも世界の、どこかの街には、旅行で来たのに何となくそのまま住んでしまった人たちが少なからずいるのだろう。その人たちは、ずっと長く住んできた人たちや、計画されて移り住んだ人とはまた違うニュアンスをその街に与えるんだろうと思う。
街の空気や、佇まいにはいろんな側面があって、東京はその街その街に文化があって本当に面白いと思うのですが、ニューヨークの、何かを得ようとしまた何かを失った人が同じ場所に同居し、光と感情が渦巻く街で出会う経験は、街のエネルギーとあわせて色彩がはっきりと見えるような記憶の焼き付け方をしそうだ。どうしても今回はその話を書くのはどうか、と考えたのですが、これは一つの話として、ある街に暮らしている日常が、突然に奪われる出来事が起こった時に、人は何を思うのだろうとずっと考えていました。あそこでいつも食材を買い、あの道を散歩し、あそこの店には知り合いがいて、あの家にはあの人が住んでいる。日常に危険がつきまとうという経験は、日本にいるとあまり感じることは少ないように思いますが、ある日突然誰かによってそれが奪われてしまった時。あったはずのものがなくなってしまった時。reiさんの描くニューヨークを浮かべながら、なぜかどうしてもそのことを考えずにはいられませんでした。そして日常的に奪われている人たちがいるということも。どの国の、どの人からもその小さな幸せを奪わないでほしいと、祈るような気持ちで読んだのです。
reiさんが見たニューヨークの街、その旅先で出会う人。その日常。私たちの日常。誰の名においても傷つけることはできない大切な日々を懸命に生きることで、怪物のような暴力に静かに抵抗している名もなき人々。頑張ろう、私も、あなたも。

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