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2F/当番ノート

あの時期あの場所あの人 【第一回:1989九龍】

当番ノート 第23期

When, Where, Who.
The Period, The Place, The Person.

あの時期 あの場所 あの人。

それぞれの場所に、あの人、がいる。
それは、空間と時間によって少しずつ変化する。
今、自分の中にある、
その時、その場所で、その人に会って受けた影響。
頭の中に散らばった記憶のかけらを、こちらのアパートメントにお邪魔している
すこしの間、眺めながら埃を拭き取ってみようと思います。

あの時期あの場所あの人 【第一回:1989九龍】

1989年九龍のあの人は
バス停で英語の発音を直してくれた。

23期 travellrei 九龍
初めての海外は香港への移住から始まった。
日本を出発した時、小学校では丁度ローマ字を習い始めた頃で、アルファベットも昔、
父の仕事関係のアメリカからのお客さんからいただいた、プーさんの
アルファベット絵本で目にしたことがあるくらいであった。

スクールバスに乗って通った香港日本人学校。
私は中国大陸に続く九龍半島からスクールバスに
乗り、海底トンネルを通り香港島の香港日本人学校に通っていた。

そのバスに乗るのは基本的に日本人学校に通う生徒と
毎朝持ち回りで保護者が一名。ただ、週に何度か英会話の先生
が乗ることがあった。同じバスストップから乗るその先生は、
やわらかなウェーブのかかったブルネットの髪、宝石のような青い眼、
すらっと細いが背はあまり高くないイギリス人女性。
初めてバス停で見たその人に、なんと言えば良いか分からず、母の後ろに隠れた。

登校は毎日するもので、その先生も週に何度か
一緒になった。必然的に会う回数は増し、
いつまでも視線をさけ続けるわけにはいけない。
そんなある日、
その宝石のような眼を真っ直ぐにこちらに向けて
“Good Morning”
であったであろう音が、声が、発せられた。

朝の挨拶は、グッドモーニング。
カタカナでは覚えている。
“ぐゃむにゃー”のような判別不可能な音にしか聞こえないが、
朝である、”グッドモーニング”で良いに違いない。
カタカナのまま、おそるおそる声に出してみる。

先生は、少し笑顔になって、もう一度
“Good”
ひと呼吸
“Morning”
ひと呼吸
“Good Morning”
と歌うように声にのせる。

まだ慣れない外国の空気と家と音、
バスを逃せば学校に行けないという
緊張感と共にまとわりつく眠気。
それが一気に吹き飛ぶ、新しい緊張の一瞬。
先生の音を自分の中で精一杯の同じ音、を
出してみた。

青い眼が少し細くなり、美しい笑顔を
向けてくれた。
なんだかバービー人形と喋れるようになった
ような、浮き足立つような気持ちと
達成感と興奮が同時に身体を駆け巡った。

案外と簡単なものなのだ、と嬉しくなり、
学校での英会話のクラスもゼロに等しい
状態から、一学期でいつの間にか
周りの子達に追いついていた。
そんな中、もう笑顔で挨拶が
できるようになった私はハンカチを
拾ってくれた先生に、自信たっぷりに
“センキュー”と言った。
先生の顔がすこし曇った。
“Th”
“Thank”
ひと呼吸
“you”
ひと呼吸
“Th”
“Thank you”

何度も同じ音を出そうとするが、”Good Morning”
みたいにうまくいかない。先生にあの笑顔が浮かばない。
バスが到着するまでに、出せない。
がつんとげんこつで殴られたように、乗り込んだバスの窓に
頭をもたれながら登校した。
相当ショックだったことは今も記憶の片隅にある。
それ以降、”year”と”ear”の違いを
何度も直された。できないもどかしさ。
できない自分への苛立ちと問題点がわからない不安。
悔し涙がぽろっとでる。
でも先生は諦めないで朝のその時間、
直し続けてくれた。

そんなバス停で、「正しい」発音への憧れと
それを「正しく」することによりうまれる相手の笑顔を学んだ。
そして、それを追い続けていたら、相手に気を使わせない発音が身に付いていた。

私が言語に興味を持ち、今なお強くひかれているのは、
1989年九龍にあの人がいたから。

travellrei

travellrei

日本、香港、カナダ。それぞれの場所、同じくらいの割合で過ごした思春期。
ものの見方、軸の置き方、それは文化によって様々であることを肌で感じ、魅了されてきた。
どんな事を思っているのだろう、どんな風に思っているのだろう、
いつも気がつくとそんな事ばかり思っている。
出身地がどこといいきれないことに対して持ち続けたコンプレックス。
歳を重ねるたび、日本という国で培われた文化の層の多様性に
膨らむ恋心。
人はなぜ旅をするのか。
色々な事を思う事が、とりあえず好きなんだと思います。

Reviewed by
oco

今月から2ヶ月間 travellreiさんのコラムにレビュアーとして書かせて頂ける事になりました。travellreiさんが描く遠い國のリズムにのせて、私も一緒に旅をしてみよう、と思います。
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ある人が、生まれもった血の流れる場とは別の場所にいる、というのはどういうことだろう。
”誰もわたしを知らない”というのは”何処にもいけない”というのと同時に”何処にいってもいい”ということでもある。

土地の空気や湿度は、確かにそこにいた人に衣服のように纏わせるもので。そしてそのリズムもまた見えないベールのように雰囲気としてそこに存在している。
幼いreiさんの目が観てきた香港は九龍。回廊のように複雑に入り組み、極彩色の看板が立ち並ぶ街並。人と物が溢れ、狭い路地を抜けてそこかしこに夜の空気が残り香としてそこにあるような街。そしてまたそこで出会った、異国の地イギリスからきた先生。
なぜか最近強く惹かれる街であった香港が、最初の投稿であったとき、何か呼ばれているように感じた。わたしとreiさんを結ぶ一つの点、アパートメントで出会えた事をとてもうれしく思います。遠い街を旅してきた人が書く文章というのは、いつもとてもすてきではないですか。そして密かに自分が旅してきた街の空気を思い出したりしませんか。
東京にいながら遠くの街をインターネットを通してみるとき、実際の街とは幾分違ったとしてもきっとそれはそこに存在してその人を少しの間だけ旅人にさせてくれる。起きたらまたいつもの日常があったとしても、時々良く知る街並ですら、気温や湿度や光の加減によって、そして隣を歩く誰かによって、まるで遠い街のようにさせてくれるのだから、やっぱり何処かで繋がっているのかもしれない。その人が歩いた、どこかの、いつかの、誰かとの、街並と。

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