「人魚が星見た」第一話・横浜

第21期(2015年6月-7月)

▼ 横浜

物心ついた時にはもう人魚を飼っていた。どこの海で拾ってきたかは記憶にない。小さなマグカップに塩を入れ、毎日水を取り替えた。子どもなりにいろいろなえさを試したが、人魚がいちばん好んだのは角砂糖だった。雑然とした勉強机の上、ペン立てにしている空き缶の横にマグカップを並べてカムフラージュして、誰にも知られずここまで育てた。家族を離れてひとりで暮らすようになってからは、台所でひっそり飼った。たまに恋仲になった男が出入りすることもあったが、シンクの端っこに置かれたマグカップの中を覗こうとする人はいなかった。

人魚は手のひらに乗るくらい小さい。えびみたいにしっぽが曲がっている。うろこが多くて、かわいくはない。言葉はしゃべらない。のどの奥を鳴らすようなことは、ある。

Nとは何かの会合の場で出会った(今でも正確に日時を覚えているけれど、それは別に彼が特別であるためではなく、ただの私の性質)。それから別の場所でもまた偶然会って、私の顔なんて忘れているかと思ったけれど、Nは一直線に私を見つけて声をかけてきてくれたのだった。そして、え、何で忘れられてると思ったんですか、と心外そうに言った。それからは、出くわすのが偶然ではないように私の方からだんだんと仕掛けていった。同じ場所にいくらか人がいることがあっても、Nが私に気付かないことはない、というふうになるくらいまで。

めったに自分の話をしないたちだが、Nとは馬が合ってよく喋った。私たちの言葉がなじみ始めてしばらくした頃、Nがほどよく酔っている時を見計らい、私、実は人魚を飼っていて、と小さな声で言ってみた。聞こえなかったかな、と思うような間があいたのち、彼は静かに、人魚ならぼくも飼ってたことがある、と言った。目はねむそうに半開きで、白目の部分が少し充血していた。

はじめてNと寝た時、ためらわず彼の髪を指で梳くことができたので、やっぱりこの人のこと好きだな、と思った。他人の髪なんて、義理ではさわれないし、としみじみ考えたのを今も覚えている。あの頃は、もうNと喋るためだけに口を使うのでは足りないことがわかっていて、会った瞬間から別れがたさが、先立ってひろがった。でも、すぐ近くのホテルにしけ込むとか、どちらかの家に上がり込むみたいなことは何だかしっくり来なくて、店を出てからひょいと地下鉄に乗った。京急線に、初めて乗り入れた。そうしてふたりでずいぶん揺られ、横浜駅まで行ったのだった。

横浜駅には足りないものがたくさんあって、不満をあげればきりがないのであんまり行かない。中でもカフェはぜんぜん足りない。別に普通の、炭水化物やたんぱく質のような栄養素を取りたい場合のたべもの屋には事欠かないが、道を歩けばコーヒーチェーンばっかりで、本がたくさん並べてあって落ち着いた雰囲気があるとか、焼き菓子がとてもおいしいとか、テーブル同士がじゅうぶんな距離を取っていてリラックスできるとか、日当りがよくて外を見ているだけで楽しいとか、そういうカフェがないのである。そのくせ、安っぽい居酒屋チェーンとかラブホテルだけはひそやかに、しっかりと、あるのだ。人間のごく普通の欲望のラインを、過不足なく満たすだけの町。よぶんな洒落っ気や、空間のあそびがあまり存在しない町。

とはいえラブホテルはあるわけだから、それでよかった。Nが私から身体を離して、ねえ、ちょっと変な感想言っていい、というので聞くと、情が深い人の肌って感じがする、と言われた。質感がね、初めて思った、そういうの。聞いて私は、まあ情ならば確かに深いと思うけれど、あなたはどこまでそれを知る覚悟があるかしら、とぼんやり考えた。抱きあったまま、今度人魚連れて遊びにおいでよ、と言われた。え? と私が聞き返した2秒後に、Nはもう寝ていた。

おそるおそる、人魚を連れてNの家に行った。人魚とふたりで暮らし続けるのは、何か重しを負わされて生きるようでもあって、そこにもうひとり別の人がいてくれるだけでずいぶんと楽になるのだった。ちょっとこちらが覗くと、いつも人魚はじっとり見つめ返してくる。ねむっていても即座に目を覚まして細い目で私を見る。その湿ったまなざしはときどきすごく厭わしい。でも「あっ、いま目が合ったよ」と、Nがこともなげに言う時の、鷹揚な口調は好きになった。

セックスは、二度おこなえば比較的習慣づいてくる。Nの部屋にもそれで居やすくなって、ときどきは人魚を預けたまま帰宅しさえした。人魚はNによくなついた。基本的に、彼の家にいる時はビールグラスの中に入れられていたけれど、たまに風呂場で遊ばせてもらうこともあったようだ。えさは角砂糖、と伝えていたが、Nはいつもコーヒー用のグラニュー糖を指先にちょっとつけて、人魚に舐めさせていた。指、長くて綺麗ね、と声をかけると、昔はもっと綺麗だったんだよ、と言った。

あなたの人魚はどうなったの、と訊ねた時、死んじゃった、とNは言った。死ぬなんてことがあるの。あるよ、小さくなってにぼしみたいになって死んじゃった。そうなんだ。それまで興味なさそうに仰向けになっていたNが、ふと体に手を回してくれた。抱き寄せられ、また組みしだかれる。夕方の薄暗さのもとでは、自分の脚の青白さがいっそうきわだつ。一体あの人魚はいつまで生きるのだろう、と思ったことはあったけど、死ぬことがあるとは思っていなかった。びっくりしてそれ以上訊けなかったけれど、
「だから死ぬ前に海に帰すのがいいんじゃない」
と彼が言ったのは聞こえた。そういえばNと初めて行ったあの横浜のホテルは川沿いにあった。あの先はきっと海だろうけど、あそこじゃ、ちょっとなあ。しばらく考えていると
「海、ぼくも行きたい」Nが言う。
「じゃあ行きましょう」と返事をすると、彼が目を閉じたままうなずくのが見えた。私はじっと、昼の光を受けて緑色に波打っていた横浜の川の面を、思い出していた。風呂場の方からは、遊ばせたままにしている人魚の這いずる音が聞こえる。

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