倉庫とパッケージ、7。

第21期(2015年6月-7月)

倉庫とパッケージ、7。

音楽、の話。

忘れないように努めていることは、
やがては忘れてしまう事であり、
思い出さないようにしていることは、
何かの拍子に必ず思い出してしまう事である。

この二つの事柄は、
或いは別々の倉庫に同じ名前で保管されているか、同じ倉庫に別々のパッケージで保管されている。
つまり、
記憶というものは僕たちの意思や考えだけでは完全には管理できないもので、その類似性が記憶の引き出しの取っ手のような形をして時折、僕の人生にその重要そうな「何か」を問いかけて来るのだ。

歌が、下手なのです。
それもちょっと笑っちゃうくらい、歌が下手なのです。
例えば、料理とか掃除とか、数学とか女の子との接し方とか、そういうのは発想の持ち方や努力やその他の色んな要素によって改善がなされる事が有るのだとしたら、僕にとって歌はどんなに頑張っても上手くならないものの一つです。
ただ、幼い頃は今よりもっと酷かった。聞くに堪えなかったし、自分でも極力人前で歌う事を避けていた。
それに比べたら、今はまだマシにはなったんじゃないかと思う。いや、自分ではって話で。
それでも、人前で歌うには、いや、エンターテイメントの世界に住んでいると誇るにはあまりにお粗末な歌声しか生まれつき持ってない。

そんな僕の、音楽の話。

子供の頃から、音楽というものにほとんど触れないで育った。嫌いだったわけじゃない。興味がなかった。実家は喫茶店で、店には開店から閉店まで音楽が流れていて、それを耳にする事はあっても、それを心に留めることはなかった。好きな音楽がなければ歌う事は必要な事じゃなかった。勿論の事だが。
けど幼稚園でも小学校でも歌う事は避けられなかった。子供は歌うものだという偏見との戦いが僕にはいつもあった。義務だった。義務だったから回避に懸命になった。

けれど(矛盾して見えるが)実際は歌う事そのものは嫌いではなかった。一人、自転車を風の中に紛れ込ませている間はよく歌った。誰にも迷惑をかけないからだ。
誰の耳にも届かないのなら歌っても平気だった。
でも、好きな音楽のジャンル、歌手、時代、そういうのは一つとして僕の心に芽生えなかったし、CDを買ったり借りたりしたのも単なる付き合いの延長でしかなかった。
音楽が僕にもたらすものが、僕にはずっとわからなかった。アイドルもスターも心に響く事がなく、感動もなかった。

ところが、である。

*僕らは、この『ところが』って奴と生きている。殊に、エンターテイメントの世界はこの単語が溢れ、その意味と結果は(つまりドラマトゥルギーは)物語の根幹的素養とリンクして時と共に大きくなる。

それは初めて、チェーホフの『桜の園』の演出を預かった時の事だ。その当時、劇のための音楽はうちの劇団が伝統的に使って来た楽曲がほとんどで変更は許されなかった。変更が許されない、なんてひどく芸術的でないと思ったが仕方ない、渋々言う事を聞いた。それが逆に僕の中の好奇心に火をつけたのかも知れない。僕は必死に音楽を聴いて回った。
『桜の園に合う音楽が何か?』を、見つけるために。
チャイコフスキーを聴いて、ベートーベンやバッハを聴いて、そして200曲程を聞いたあたりで、僕はラフマニノフに行き着いた。心に引っかかる何か、がそこにはあった。
何だろう?なんなんだ?
僕は何曲も何曲も、指揮者や演奏者の違うラフマニノフを聴いた。どんなに聴いても、それはチェーホフのために用意された音楽に僕には聞こえた。

そこで僕は初めて音楽の勉強をした。

ラフマニノフの生まれた時代、生きた時、生い立ち、好きなもの、友達…。
チェーホフとラフマニノフは友達だった。
二人は同じ時代を生きていて、観ているものや感じてる事が似ていた。それは作品世界に大きく影響し、現代の僕らにも通じる『共通』の心持ちを生んでいた。
僕は気付いた。勉強とはこうしてするのだと。
全ては人間の感情の在り方と結果なのだ。
芸術もスポーツも。
音楽と戯曲も。
小説と絵画も。

ワインのマリアージュと同じだ。
ブルゴーニュのワインと、ブルゴーニュの料理。
同じ時代や同じ土地を生きたものだけが抱えるその共通した何かが、人の心に何かを訴えるのだ。それは最初は目に見えないのだ。でも、勉強すれば微かに見える。朧に見える。それを確かにすべく行なう事こそが勉強なのだ。

僕はいつしか音源を聴くのを止め、作曲家の生い立ちやタイトルやその時代に存在した哀しみや喜びについて先ずは調べ物をし、その後で曲を聴いた。曲には常に感情が描かれていた。人生の非情や、ワルシャワの森への賛美や、恋人の美しさや、夢や、絶望だ。
そして、それを、必要な戯曲の音楽に使った。それらはまるで約束された恋人たちのように、決まった時刻に決まった場所で待ち合わせをするかのようにぴったりと重なり、寄り添い、世界を作り出した。

ところが、だ。(笑)

音楽と戯曲が定められた恋人のように活き活きとその時代を表現しても、僕らは今を生きているのだ。ショパンの暮らしたワルシャワでもなければ、イプセンの移り住んだイタリアでもなく、僕らは現代の日本を生きている。その僕らに音楽と戯曲の融合が生み出す『リアル』が根底から心に何かを芽生えさせるのではないのだと、僕は気付いた。(ちょっと難しい)
つまり、過去に存在したパーフェクトワールドを僕らは現代のツールでパッケージし直して再現しているのだから、現代における必要性の体現とは若干の溝がある。この溝は観る側の知識や要求に裏付けを求めてしまう事が大半で作り手の表現世界の親切心とは根底からズレがある。

では、何が必要なのか?

音楽と戯曲、僕らの時代、この三つの中にある蜜月と乖離は何によって埋まるのか?
一つには、音楽、戯曲、上演される時代を等間隔に置くこと。乖離を一定に保つこと、または、補完し相殺する関係に保つ事、つまり鼎立。
でもそれでは不十分だ。
だから僕は演出について勉強した。完成された音楽と戯曲を、進み行く時の中へ芸術的に存在させ、感動へのトリガーを持たせること。
僕は本を読み(それも年間に何百冊という小説はもとより、医学書、建築に関するもの、色を扱ったもの、歴史書に至るまで)、何百という楽曲を聴いた。
そして、今の時代に必要な組み合わせ、つまりマリアージュを試みた。
戦後日本の天才作家と言われた森本薫の戯曲にオアシスの楽曲をぶつけたりしてみた。
そこには化学反応と共に、今のお客様に訴える何かが存在するように僕には思えた。
相殺、補完、扇動、鼎立。
これが芸術活動の根幹的テーマである事は、もう僕の中では覆せない真実になってしまった。
つまり、システムと主義の確立。

僕が音楽に興味があったら、もし好きだったら、こんな勉強には走らなかった。好きな音楽を好きなように使えば良かった。
でも、そうじゃなかったから、勉強したのだ。
好きじゃなかったからこそ、そこにある真実に触れたいとより強く感じたのだ。

語弊があるし、誤解を生むかもしれないけど。
好きな事を勉強する、好きな事を仕事にするプロセスの大部分は興味を持たない事柄への的確なアプローチが60%程を占めているのだ。
ワインを作る人は、農作業について、土について、天気について、不易と流行について、瓶の材質とコルクについて、グラスについて、勉強する。ワイン造りが好きなら、その勉強は必ずついてくる。
演劇が好きなら、音楽と灯りを勉強し、新聞を隈なく読み、歴史と歴史認識について学び、命と暮らしについて学び、海の深さと天体について学び、夢と絶望について考えなくてはならない。

勉強する、とはそういう事である。
僕は感じる。

ソチ五輪で浅田真央がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をフリーで踊ったのを観た。
僕が初めて触れたラフマニノフはこの曲だった。
ラフマニノフは顔を上げよう、立ち上がろうといつも誘いかける、真剣に、切実に。まるでチェーホフがさぁ生きようと、笑ったのと同じ気持ちで。
彼女がフリーの演技を終えた時、ほとんどの人が泣いていた。ラフマニノフとスケートリンクと若いその競技者は、様々な要素を鼎立させた上で、笑ったからだ。
これこそ、芸術だと思った。人間のエネルギーは時と音楽を融合させて、観たことのない世界を生み出していた。それは、感動という誰にも手の届かない、そして誰もが憧れるサンクチュアリだ。

僕は歌も歌えなければ、楽器も弾けない。
だから、音楽を尊敬している。
素晴らしい戯曲と素晴らしい楽曲が融合し、現代を生きる俳優の身体を経た時、感動が生まれる。
僕は今日もその勉強をする。
誰にも聞かせない、拙い鼻歌を歌いながら。