地図の話2

第21期(2015年6月-7月)

一枚の衝撃的なドローイングがある。
オーストリアの建築家、ヴァルター・ピッヒラーの「Building on the Side of the Gable」と題されたドローイングである(※1)。このドローイングを実はここ数年、かぶり付くように眺め続けている。

ピッヒラーは1960年代より、同じくオーストリアの建築家ハンス・ホラインと共同でオーストリアの首都ウィーンを拠点として作品を発表していたが、70年代よりウィーンを離れ、イタリアとの国境に近いチロルの山奥で独自の作品制作を始めた。このドローイングがおそらくその作品全体のマスタープランとも呼ぶべきものである。いくつかの小屋が散在して配置され、それぞれに彫刻が格納されている。あるいは彫刻が散在して配布され、それぞれを小屋によって覆っているのかもしれない。小屋は彫刻のためにあり、彫刻は小屋のためにある。そして、中央には一人の人間の頭(おそらくピッヒラー自身)が描かれる。小屋・彫刻群はその頭に何がしかで接続され、頭脳がそれら散在する小屋・彫刻群を接続させる回路となっている。物質として存在するエレメントが一人の人間の想像力によって連関し、その想像力を生み出した人間も含めた一つの群体の風景を作り出している。このとき、散在するオブジェクト群が人間の思考にとっての一つのメディアとなっており、そのメディアを感得し得た人間の思考そのものもまた、オブジェクトを一つの群体たらしめるメディアとなっている。(※2)

その人間の想像力と空間の交感関係の構築への志向は、同じくウィーン出身の建築家、フレデリック・キースラーにも共通している。エンドレス、ギャラクシー、スペース、ユニバーサルという言葉たちが、キースラーの全生涯の仕事の上を覆っている。

「銀河系宇宙の中に、無数の天体があるが、それらはさまざまな軌道と運動の中を運行していく。一つ一つの星が、それぞれ近隣の星と関連を保ちながら、発生と消滅の無限の過程をたどっている。彼が銀河系と呼ぶ作品は、こうした宇宙観の具現化であり、まさに銀河系を構成している原理の視覚的実現としての対象物なのである。彼にとって、銀河系宇宙も建築も、彫刻も、人間の身体も、その様相の違いはあっても、等しく同一の原理に基づくものであった。それゆえに、建築や彫刻や絵画のような人間のつくる芸術作品もまたむしろ可能なかぎり、宇宙的構成空間と同じ働きをもつ状態にしたかった。 」(※3)

キースラーの「銀河系」とはつまりは人間が産み出すあらゆるエレメント群を束ねる人間自身の思考体系である。たとえ具体的な物体を扱う時であっても、その構築の形式、すなわち思考モデルとしての模型である。描き、彫刻することもまたキースラーにとっては建築であり、それらは宇宙原理の視覚的な具現をするための媒体であり、それぞれの創作媒体を接続させる媒体となるのが人間の想像的思考に他ならない。

私は日々模型を作っている。だいたいは一人で作る。材料は紙、粘土、発砲スチロールなど簡単なものが多く、大小さまざま、縮尺も様々であるがどんなプロジェクトの模型であれ、その作業は、他では得難い自分自身の思考を整理するためのものとなっている(※4)。模型制作における事物の抽象化と誇張=デフォルメーションの選択と統合、そして必ず生まれる矛盾。作った模型を後で眺めてみれば、自分がその時何を考えていたのかの子細がはっきりと分かる。このネットの投稿の群同様に、私にとってそれは写真の如くその瞬間の自分自身を映し出す記録媒体でもある。

※1 Walter Pichler「Building on the Side of the Gable」(1981年)、『Walter PICHILER Drawing Sculpture Building』、Princeton Architectural Press、1993年。
※2 Pichlerのことは、正直面白すぎてここでは書ききれない。もう少し時間がかかりそうである。
※3山口勝弘『環境芸術家キースラー』、美術出版社、1978年。
※4多木浩二「縮減模型の思考」『比喩としての世界 意味のかたち』、青土社、1988年。
「この幻覚(筆者註:模型のなかで実際の世界の隠れていた構造を発見すること)はフェティッシュなものではなく、逆に私たちを物から自由にする認識をもたらすのである。物を自在に眺め、物を現実に縛られた絶対な実在としては見ないようにする。模型とは、私にとっては、そのようにリアリズムを超えて想像力の世界を開き、多様性を横断する柔軟な思考の装置にほからないのである。」