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2F/当番ノート

第一部最終話「34歳、夢はかなう!!」

当番ノート 第22期

2010年3月25日の卒業式の朝、
小雨が降る中、
僕は早稲田大学、大隈講堂前の広場で傘をさして
立っていました。
34歳になっていました。
3浪2仮面浪人し、入学して中退、復学と、
高校卒業から16年もかかってしまいましたが、なんとか早稲田大学の卒業式にたどりつくことができたのです。
僕は自分の夢を演説しようとしていました。
誰かに求められているわけではありません。
でも卒業式に出席するだけでは、自分は本当の意味で
卒業できない。
長い長い学生時代を終えるための通過儀礼が必要でした。
自分が学生時代を卒業し、新しい物語を紡ぎ出すための
出発点として、自分の夢を宣言しなければならなかったのです。
数人の友人が見にきてくれました。
その中にはビデオカメラを持った、
XYZマンガーズという漫画サークルで
一緒だったSという男がいました。

「加藤くんは、漫画や絵本より、加藤くん自身が面白いから、映像に撮ろうよ」

といって、今日の演説を撮影してくれるというのです。
友人が何人か集まると、僕はキャンパス内にある
大隈重信像前の広場に向かいました。
たくさんの卒業生がスーツや着物を着て、祝福しあっています。
僕が演説をするために立ち止まると、
周囲はたくさんの人でごった返していました。
誰も僕のことなど眼中にありません。
楽しそうに記念写真を撮ったり、談笑しています。
一瞬躊躇しましたが、
ここで演説しなければ、物語ははじまらないと思い、
小雨のふるアスファルトの上で両足をふんばり、
勇気を出して声をはりあげました。

「みなさんには夢がありますか?
僕にはあります。
僕の夢は妖怪になることです。
妖怪は死にません。
何百年も、何千年も、もっともっと永遠に生き続けます。
戦争にも、飢饉にも、テロにも、貧困にも、疫病にも、妖怪はくじけずに立ちあがってくるのです。
どんな絶望からも這い上がり、世界中の子供達が笑えるように、ばかばかしい、おかしなことをやり続けるのが妖怪なのです。
泣いている子供がいたら、世界の果てまで飛んで行って、おかしな絵本を読ませて笑わせる、それが妖怪なのです。

妖怪は子供に似ています。
いつもふらふらしていて、よくずっこけるけど、なかなかにくめないやつなのです。
子供を笑わせることなら、妖怪に勝てる人間はいません。妖怪の変な顔を見ると、どんなに泣いている赤ちゃんも、笑ってしまうのです。

妖怪は人間社会の中だけでとどまっていません。
社会の外に、もっと広い世界があることを知っています。
あなたが世界を知りたければ、東京の井の頭公園にいってみてください。そこでは人間だけでなく、猫や鴨や亀がいます。桜の木や、ちさの木や、四葉のクローバーが楽しくみんなで暮らしているのです。
石の上でひなたぼっこしている亀達は、とってもいい表情をしています。
そして井の頭公園で遊んでいる人たちも、みんないい目をしています。散歩したり、絵を描いたり、ピクニックしたり。お金なんて一円もなくたって、井の頭公園では最高の幸福が手に入るのです。
 井の頭は、サラリーマンにも保育園児にも、おじいさんにも優しい。大金持ちにも、
ニートにもホームレスにも優しいのです。
 そこに行けば、世界は学歴や就職やお金だけじゃなく、もっとたくさんのものが協力してできていることがわかります。
井の頭公園が大好きな妖怪は、世界の広さと輝きを教えてくれるのです。

 妖怪はどんな夢でも現実にします。
 この世界には不可能がないことを知っているのです。
僕はある、とっても素敵な夢をかなえた小学校一年生の女の子を知っています。
彼女は重い重い病気をかかえていました。
お医者さんも、もう病気はなおらないだろうと言っていました。
でも、その子は入院している病室でいつもにこにこ笑っていました。
手術や、にがい薬にも負けないで、いつも元気に笑っていたのです。
その子には夢がありました。
大好きなパパと結婚することです。
毎日仕事が終わってから、夜中まで看病してくれる大好きなパパと結婚したかったのです。
パパと結婚するなんて、ほとんどの人は無理だと思うでしょう。
でも女の子は、難病の子供に夢をかなえるボランティア団体の協力で、パパと素敵な式場で結婚式を挙げることができたのです。
パパと女の子の結婚式
ピンクの可愛いドレスの女の子に、白いタキシードのパパが入口から出てきました。
ママや家族のみんなも嬉しそうです。幼稚園の友達も、拍手してくれています。
そして式の終りに、パパが女の子に向かっていいました。
『今日はあなたの夢をかなえました。次はパパの夢をかなえてください。パパの夢は、あなたが大人になって、もう一度結婚式を挙げるところを見ることです』と。
夢をかなえた女の子は、その後奇跡的に病気がなおりました。
女の子はパパの夢をかなえるために、今も元気に生きています。

夢はかなう!
夢はかないます。
どんな夢でもかなうのです。
パパと結婚することだって、妖怪になることだってできるのです。
だから僕は願います。
僕は妖怪になる!! 」

僕が演説をしても、ほとんどの人達は見向きもしませんでした。
それでも
懸命に演説を30分以上続けました。
出会いと
挫折と
情熱と夢
僕は今までの人生を、ひたすら語り続けたのです。
そして最後に、一段と強い声で、
世界に向かって語りかけました。

「妖怪は
妖怪は、人々を笑顔にする存在でないといけないと思うのです。
不安や恐怖や孤独がいっぱいあるこの世界で、妖怪はたくさんの笑いをふりまかないといけないと思うのです。
どんなに馬鹿にされてもいい。僕がつまづきながら妖怪になろうとする格好悪い姿を見て、子供たちが笑ってくれたら、僕は後悔しません。
僕は妖怪になって、世界中の子供達に絵本を読み聞かせます。
妖怪になって、世界中の大人達に漫画を送り届けます。
妖怪は生きる絵本です。
妖怪は生きる漫画なのです。
そう、僕はもう一度漫画を創ることに決めました。絵本も完成させて、世界中の子供に読み聞かせてみせます。そして、荒川さんの不死への情熱を伝えるために旅立ちます。中途半端に放り出してきたことを、もう一度やりとげたいのです。
みんなに応援してもらったことを、逃げることなく、取り組んでいきたいのです。
そんなにたくさんのことを一人でできるわけないよと、みなさん思うかもしれません。
でも、僕はひとりではありません。
こんな僕と力をあわせて、夢に向かってくれる仲間が何人か現れたのです。
一緒に絵本を創ってくれる、素晴らしい絵を描く友達がいます。
一緒に漫画を描いてくれる、情熱にあふれた漫画家の友人がいます。
僕の不死への旅をビデオカメラで撮ってくれる、おかしな映像を創る友がいます。
ユニークなアイデアにあふれた絵を描く、イラストレーターの友達も協力してくれると言っています。 
他にもたくさんの友人が、こんなダメな僕を応援してくれています。
僕はやっと気付きました。
僕はひとりでは何もできないけれど、みんなと協力すれば、少しは面白いことができるかもしれないと。
みんなを喜ばせることができるかもしれないと。
僕は不死を克服するために、妖怪になるために、世界へと旅立ちます。
たくさんの人々にであい、学び、協力してもらって、夢をかなえたいのです。

僕は妖怪になります。

そして、命をかけて、死に立ち向かいます。

きっと勝利して、永遠を手に入れて見せます!!

でも万が一、死が僕に襲い掛かり、僕を殺そうとしたとしても、僕はその命がつきる瞬間まで、決してあきらめないでしょう。

たとえ体中が動かなくなり、ボロキレのようになったとしても、僕は死に抵抗するでしょう。

逃げないで、まっすぐに突進していくのです。
 
僕は妖怪になるために、永遠に子供達を笑わせるために、立ち向かい続ける!!

最後にもう一度言います。

夢はかなう!

どんな夢でもかなうのです!!

大好きな人と結ばれることも、大切な人を幸せにすることも必ずできる!

だから僕は生き続けます。

僕は妖怪になる!! 」

演説を終えた時、はじめて本当に卒業できたと思えました。
長い長い歳月がかかってしまったけど、本当に。
そしてこの日から、
僕は妖怪になるという夢と一緒に、
世界を面白くする旅に出発することに
なるのです。

第一部完

加藤 志異

加藤 志異

妖怪
加藤志異 かとうしい
1975年岐阜県生まれ
早稲田大学第二文学部卒業
絵本ワークショップあとさき塾出身
妖怪になるのが夢。
妖怪になって
世界を面白くするために
神出鬼没の妖怪活動を展開中。

自身のドキュメンタリー映画
「加藤くんからのメッセージ」
(監督 綿毛)が
イメージフォーラムフェスティバル
2012東京.横浜会場で観客賞を受賞。
全国各地で劇場公開。
《公式ホームページhttp://www.yokai-kato.com》

スペースシャワーTV
ナンダコーレ
『読み聞かせグルグルグルポン』
(監督saigart)
出演

絵本の原作に
「とりかえちゃん」
( 絵 本秀康

Reviewed by
大見謝 将伍

“みなさんには夢がありますか? 僕にはあります。僕の夢は妖怪になることです。” ーー 妖怪は、生きる絵本であり、生きる漫画であり、人々を笑顔にする存在でないといけない、くじけない。

なぜ、加藤さんが妖怪になりたいのか、そのすべてとは言わないまでも、その片鱗に触れることができた。図々しくも、その心がすこし分かった気もした。

妖怪という不可解な存在が、その不可解であるがゆえに、人の役に立つのだと、ぼくはそう受け取った。ひとつの世界だけでも肉体は足りるのかもしれないけど、もうひとつの世界がなければ人間の心というのは満たされないことがあるからだ。

その充足を(敬意を込めて)彼らのような存在が担うのであれば、その存在を真っ向から否定をして、ないものはない、とつまらない整然としたきれいな論理だけを言うような大人にはなりたくない、と恐ろしく思うのだ。そりゃないぜ、と。

もしかしたら、妖怪は“こきたない”存在かもしれないが、こきたない大人になるくらいが、心身のバランスをとれ、かえって健康とも言えるのではないか。そんな矛盾した世の中に生きているというのも、それを実感すると、また日々の面白がり方も違ってくるのだろうな。

かたちのない妖怪が、かたちのある世界を、変えていく。ここで“かたちのない”と敢えて言ってはみたが、加藤さんは“かたちのある”妖怪になるかのではないかと考えると、ふたつの世界を重なるところにいる、とてつもなくへんな(「変」と書くよりも「へん」のほうが限りなく近い気がしたので)存在を目指しているということになる。

加藤さんがこれから、何をするか、ということではなく、どのように居るか、という姿勢そのものが、身近なところから、そして、大きな社会までをパァっと明るく侵していく、怪しい灯火になるのではなかろうか。いや、そうなってほしい、と、つい願ってしまう。

にしても、全八話を読んでいて思ったことは、妖怪になりたいくせに、だれよりも人間臭い人だなよなぁということ。最後の最後に、ぼくのなかの天邪鬼を出してみて、皮肉を言っておきたいと思う。ありがとうございました。

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