残念ながら、私は天才ではありませんでした。

第25期(2016年2月-3月)

昨年の春、夢を追い求めニューヨークに引っ越してきました。現在は、ブルックリンのアパートで陽気なルームメイト2人と楽しく生活しています。初めての海外暮らし、不安で胸がいっぱい、、、なんてことは来る前も来た後も一切なく。生き心地は抜群にいいけれど、生きていくにはなかなかの気合いが必要なこの街で、日々切磋琢磨しながらも、のびのびと生きています。

不安はないけれど、驚くようなことは山ほどあります。多様な人種と価値観が共存するニューヨーク。日本での当たり前はこの街では通用しないし、自分の価値観丸ごとひっくり返されるような出来事に遭遇することもたくさんあります。あらゆることに一喜一憂していては消耗する一方で、身がもたない。そんな時、諦めるのではなく、受け入れると、いう発想の転換が重要な気がしています。

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思えば昔から、発想の転換は得意だったように思います。そうならざるを得なかったのは、早い段階で自分は天才ではないと気付いたからだと思います。天才でもないし、スターになるほどのあれでもないなと。プロのサッカー選手になりたいと練習に明け暮れた小学生時代。誰にも負けないぐらい練習を重ねていたので、まぁそれなりの選手だったように思います。しかし、中学生になると話は変わりました。それまでのプレーが通用しない。自分より何倍も何十倍も上手い選手がたくさんいることを思い知りました。これが、私の人生最初で最後の挫折でした。

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サッカーも好きでしたが、同時に音楽もとても好きでした。「誰かを魅了する力がある」という部分で、私の中ではサッカーも音楽も一緒でした。違ったのは、自分がプレイヤーになろうとは思わなかったことです。TVの中の華やかなスターにふさわしい人が、自分以外にいることを知っていました。それに気付いても悲観的になることはなく、自分は光を浴びるその人を支える側になればいい、その光をより強いものに、そしてより多くの人に届けることをしたいと思っていました。歌手になりたい、芸能人になりたいという友人がいました。私は、“履歴書はこう書くといいんじゃない?”とか“写真はこの角度の方が絶対可愛いよ!”とか、よくわかっていないながらも友人たちに勝手なアドバイスをしていたのを覚えています。

中学1年の夏、生まれてはじめてコンサートを見に行きました。今と変わらず時代のスターだった安室奈美恵さんの東京ドーム公演。会場には5万人の観衆、ステージには憧れの人。肝心のスターは米粒ぐらいにしか見えなかったけれど、彼女のパフォーマンスに大勢が歓喜するその空間は、福島の田舎に暮らす中学生には十分すぎるぐらい刺激的なものでした。「音楽の仕事がしたい。この空間を私も作りたい」と思いました。スポットライトを浴びる安室奈美恵さんではなく、それを支える側の一員になりたい。私の夢が見つかった瞬間でした。

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そこからは、どうすれば夢に近づけるかひたすら考えました。音楽業界について調べてみると、名のある大学に入り新卒入社にチャレンジするか、それとは違うイレギュラーな方法で入社を勝ち取るかのどちらかだ!という結論にたどり着きました(当時高校3年)。とにかく早く働きたかったことと、自分の学力だと音楽業界に強い大学に入るのは厳しいなと思い、イレギュラーな方を選び、音楽業界の人が講師だという専門学校に入りました。早く音楽の仕事に触れたくて、入学してすぐに名刺を作り、配って回りました。実際の現場で手伝いをさせてくれる方がたくさんいました。そんな中で声をかけてくださった方がいて、念願の音楽業界に入ることができました。

どれもこれも自信があったからではなく、自信のなさからきている行動です。悲しいかな、字が綺麗ではないので、書類選考があれば100%落とされそうな気がしていて、どうすれば最初から面接に持ち込むことが出来るかもずっと考えていました(笑)あまりにも自分にないものが多すぎて、あるものから出来ることを考える術を見つけないと、生きていくには大変だ!と。諦めるのではなく、受けいれて、消化して、変化させていかねばと。

今もなお、そんなことの連続です。落ち込むこともありますが、落ちるだけ落ちたら、あとは上がるだけ。出来るだけポジティブシンキング。それでも立ち直れないときには、私にとって魔法のアイテム、高カロリーな揚げ物を食べて気分回復。揚げ物天国のニューヨークは、そういった意味でも生き心地抜群です。

今日もまた、揚げ物にビールで乾杯。