はなれても、福島。

第25期(2016年2月-3月)

今日のニューヨークは土砂降りだ。こんなにも降り続く雨を、久しぶりに見た。普段は雨が降っても傘をささない人たちも、さすがに今日ばかりは傘なしではいられない。思いゆくまま降り続けてもらい、明日からカラっと晴れてくれたらいいなと思う。春はまだか。

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福島からの来客があった。とは言っても私が呼んだわけではなく、ニューヨークで開催される講演に参加するためにやってきた。知り合いと久しぶりに会える、しかもニューヨークで!と胸躍らせていたら、もうひとつサプライズがあった。同じ福島県いわき市出身で共通の知り合いもたくさん、会ったことはないけれど、なんとなく存在を近く感じていて、いつかお会いする機会があるだろうと思っていたけれどなかなかその機会がこない方がいた。なんとその方も、今回ニューヨークに来た。私たちは、ニューヨークで出会い、この街の話と、福島の話をした。話をしながら、どこにいようとも、出会うべき人とは出会えるものだ。

私が生まれ育ったいわき市小名浜は港町だ。実家が祖父の代から続く海産物の卸業をしていることもあり、とにかく美味しい魚を食べて育った。小さい頃には祖母の家の倉庫でワカメを詰める作業を手伝ったり、魚市場によく足を運んだものだ。海がいつも、身近にあった。何かあってもなくても、暇さえあれば海を見た。私は、海が大好きだ。

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いわき市は、福島県内で最も大きな面積を持つ市で、海岸部は北から南まで60kmもあり、とにかく広い。人口は35万人の中枢都市。新幹線は通っていないけれど、東京からは特急電車で約2時間。田んぼだらけでもないが、これというデパートはない。大自然はあるが、北海道や沖縄ほどのスケールではない。週末に何かするなら東京ないし、仙台へ。楽しそうな大人もいるといえばいるが、そこまで魅力的に映らない。思春期の私から見ると、自分のまちはすべてが中途半端に見えた。それに加え、音楽の仕事を夢見ていた私には、夢が叶うまちに到底見えるはずなどなく、とにかく早くここを出たいと思っていた。高校卒業と同時にいわきを出て、東京で暮らし始めた。それからは、年に1、2度帰省するぐらいで、故郷に対してこれといって新たな感情が芽生えることはなかった。

しかし、人の思いというのは、ふとしたことがきっかけで変わってしまうものだ。2011年、東日本大震災が起こった。あのときから、私の故郷への思いは180度変わった。大人になったせいもあるだろう。あれほど退屈に感じていた何もないまち。その美しさを感じようとすることもなかった、身近に溢れる海や山などの自然。何気なく通っていたショッピングセンター。暮らしに溶け込みすぎて、ありがたさを感じることのなかった海の恵み。何もないと思っていたその場所の、何もなささえもすべてが愛おしく思え、無くなってしまうことのないようにと、心から願った。

すべては、最初からそこにあったのだ。若かった私には見えなかった。わからなかった。故郷に帰れなくなるかもしれないとか、もしものことがあった時どこで生きていくのか家族会議をしなければいけないとか、そんなことを考えなきゃいけない日がやってくるとは、夢にも思っていなかった。失ってから気付くのでは遅いのだけれど、人はそんなことでも起こらない限り大事なことに気付くことの出来ない生き物なのかもしれない。

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気が付けば今年も2ヶ月が過ぎ、3月になった。3月11日が近づいている。
なんだかソワソワして落ち着かないあの日が、またやってくる。

今週末には、ニューヨークでも追悼式典が開催される。世界中に県人会というものが存在していて、ニューヨークにも福島県人会が存在する。同郷のものが集まれば、方言や訛りが飛び交い、そこに福島の時間が流れる。自分がどこにいても福島で生まれ育ったという事実が変わることはなく、そこに対する思いも変わることはない。また、離れることもできない。私は、福島の人間なのだ。震災がなければ、こんなにもそれを強く意識するようになかっただろうと思う。

福島から名物のお菓子が届き、むしゃむしゃ食べている。一生忘れることのないであろうあの日のことは、そのお菓子をむしゃむしゃ食べながら書こうと思う。