それでも紫陽花は咲いていた #2 「青天郵便」

第25期(2016年2月-3月)

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 その夜は今年一番の冷え込みだった。
 氷のように冷たい雨は夕暮れどきからみぞれになり、夜半過ぎには雪へと変わった。
 凍て玻璃の外は群青いろではなく、こっくりと塗り込めた漆黒の闇だった。その墨いろの中を、羽で撫でるように軽やかな白雪が舞うのだった。
 こんな夜は雪が音を吸い込んで、自分以外の生き物が滅んでしまったような錯覚に陥る。
 魔女はしんと静まりかえった雪の夜が好きではないらしかった。
 「冬はきらいよ」
 誰にともなくぽつりと呟いた魔女は、硝子窓に指で星座の絵を描いていた。この人は昔からこういった子供っぽいことをする。
 星座は蒼白くぴかぴかと瞬いて、本物の星か街灯りのように暫くのあいだ魔女の目を楽しませた。魔女の瞳は光を映して宝石のように綺麗な色をしている。
 どうして冬がきらいなの、と訊ねると、ぼくの羽を撫でながら寒いから、と簡潔に応えた。
 きっと彼女の魔法が天候を操れたなら、迷わず四季を春夏秋秋、に変えてしまうんだろうなあ。
 暖炉の中で薪がはぜる柔らかい音がする。ぼくはこの静かな冬の空気も、雪の気配も好きなんだがなあ。

 
 冬の間、郵便局員は二人一組で行動することが決まりになっている。
 雪が降る心配のない地域ならまだしも、大地を白い真綿がくるんですっぽりと覆ってしまうような地域は、運悪く吹雪に見舞われたりしたら方角を見失いかねないからだ。
 以前一人で配達に出かけた職員が三日間行方をくらました挙句、目的地から三十キロ離れた森の一番高い木に引っかかって発見されたのは有名な話だ。
 重たい荷を運んでいたら風に煽られることも多い。そんな時、相棒としっかり手をつないでいれば一人ぽっちで迷子にならずに済む、という訳だ。
 けれど僕はこの話を聞く度に思う。それは行方不明者を一人から二人に増やすだけなんじゃないかって。
 「ヒタキ、ちゃんと方角はわかってる?」
 幼馴染のとぼけたような聲に、僕は何度目かの溜息を吐いて方位磁針を確かめた。
 「ちゃんと確かめてるよ」
 この幼馴染は何処か抜けているのにちゃっかりした一面があって、昔からいつの間にか僕が世話係のような役割になってしまった。
 彼女の性質はひどく自由で面倒を嫌う。そのため一緒に配達する時は僕がコンパス係と帳簿の記録両方を引き受けていた。いつも一緒にいるという理由で配達のペアを組まされてしまっては、僕には断る術もない。
 「アトリもコンパスを一人で読めるようにならなきゃまずいよ。僕に頼りきりじゃなくてさ」
 「わかってるよ。でも配達だったら届け先の場処を覚えてしまえばいいし、冬はこうしてあなたがいてくれるから問題ないじゃない?」
 からりと笑う彼女の着た、厚手の銀色コートのフードが北風に靡く。揃いのコートを制服の上から着込んだ僕の頬にも、粉雪をまとう風は冷たく刺さる。
 遅くとも夜半より前には配達を終えられると思っていたのに、吹雪に遭ったのが禍だった。漆黒だった夜天は濃いプルシアンブルーに、そして今では東の裾からすみれいろの夜明けが覗いている。
 「大問題だよ。家でゆっくり眠ろうと思っていたのに・・・眠気と空腹で死にそうだ」
 「ちょっと、寝ぼけて落っこちたりしないでよ。この雪の中じゃ助けに行く方も命懸けなんだから」
 きつい口調で言われた僕は、一度頭を軽く振ると箒の柄をしっかりと掴み直した。
 僕の箒にも彼女の跨る箒にも、揃いのカンテラが下がっていて橙いろの灯が辺りを淡く照らしている。柔らかな光を受けて、風になびくアトリの長い三つ編みが動物のしっぽのようだった。
 アトリの箒は、僕や他の郵便局員とは違った素材で彼女が手作りしたものだ。
 僕の箒が楡で作られていたり、他の同僚の箒が榛でできているのに対し、アトリの箒は流木で作られていて、まるで白骨のように白かった。
 「この方が、潮風にも負けずによく飛びそうでしょう」
 というのが彼女の意見だったが、それが本当かどうかはわからない。奇妙な箒、周りの奇異の目とは裏腹に、アトリは至って満足そうだった。
 アトリにはそういう変わったところがあった。そして、『変わっている』と言われることを彼女は疎まなかった。
 「変わっているって、人とは違うことを嫌う人が傷つく言葉でしょう。私はそうじゃないもの」
 そう言って朗らかに笑う彼女は、僕から見ていても気持ちの良い性格だった。
 すみれいろの夜天から一つ、また一つと星が消え、黄水晶(シトリン)の薄明穹が東の天を撫で上げる頃、目的の家が見えてきた。
 こじんまりとした家には夜明け直後だというのに灯りが点り、煙突からは白くあたたかそうな煙が出ていた。
 いつの間にか砂糖のように舞う粉雪は止んでいた。
 僕たちは何時もの通りゆるく弧を描いて旋回した後、家の窓をコツコツと叩いた。硝子窓は白く曇っていて、室内はいかにも暖かそうだ。
 僕たちが家主が顔を出すのを待っていると、中から白い指が曇り硝子をなぞっていた。
 「いしゃっらいてっいはへかな?」
 「中へ入っていらっしゃい、だろ」
 鏡文字をそのまま読み上げる幼馴染の頭を軽く小突いて、玄関の深緑いろのドアを開けた。
 「青天郵便です。手紙のお届けに上がりました」
 いつもなら箒に乗ったまま告げる挨拶を、居間の扉を開けながら言う。
 「朝が早いんですね」
 アトリが言うと、魔女は今日はたまたま、と言って微笑んだ。
 「どうぞ掛けて。寒かったでしょう?ちょうど今スープを温めていたところなの」
 部屋の中心には古めかしい石油ストーブが置かれ、薬罐がしゅんしゅんと優しい音を立てていた。北欧風の毛糸で編まれたカバーが掛けてあるソファの上に、何故かかわせみが一羽とまってうとうとしていた。
 僕とアトリは大きなパイン材のテーブルに腰掛けた。テーブルには飴色に乾いた紫陽花が飾ってある。
 魔女へ手紙を届けたことは幾度もあったが、こうして家の中にお邪魔するのは初めての事だった。
 アトリは銀いろのコートを早くも脱いで大きく伸びをしている。彼女は仕事に来ている自覚があるのかと、近頃とても不安になる時がある。
 「さぁどうぞ、遠慮なく飲んで」
 キッチンから戻った魔女は、木の器に白いスープを盛って出してくれた。器と対になっている木の匙で口に運ぶと、あたたかくて優しい味のするじゃがいものポタージュだった。
 一晩飲まず食わずで過ごしていた身には何よりありがたい。
 「美味しいです、ありがとう」
 僕とアトリが交互に言えば、心底嬉しそうに笑って魔女も同じポタージュを飲んでいた。
「こんな所に住んでいると誰かと一緒に食事をすることも少なくて。どんどん食べて頂戴」
 スープのおかわりに、作りおきされていたバターパンまで貰い、満腹になった僕は暖かさも相まって早くもうつらうつらとし始めた。
 「ヒタキ、寝ちゃだめよ。まだ配達は終わってないでしょう」
 アトリはもともと夜型の人間だからか、一晩寝ずに飛ぶこともそこまで苦では無いらしい。僕はこの時ばかりはアトリの不規則な生活リズムが羨ましかった。
 「失礼しました。魔女さんへ郵便です」
 肩から下げた配達用の支給鞄は革製で、真鍮の金具はホルンの形を象ってある。僕はその中から一通の封筒を手渡した。
 魔女は白魚のように細く長い指で封筒を受け取った。それはそっけない白封筒で、濃紺いろの封蝋が捺されていた。宛名書きには確かにこの場所と魔女の名前が記されていたけれど、差出人の住所も名前も書かれていなかった。
 まるで何も余計な事を言うつもりはありません。貴女はこの封蝋だけで、私が誰だかお分かりでしょう?と魔女を試しているように感じた。
 魔女は僕たちが目の前に座っているにも関わらず、銀のペーパーナイフを取り出すと封筒を開けて中身を広げた。
 紙が擦れ合うかさこそとした、秘密めいた音が部屋に響いた。
 彼女は眉一つ動かさず、薄くやわらかな唇をきちんと結んで手紙に目を通している。一度目を通し、もう一度ゆっくりと読んでからほんの微かに溜息を吐いた。
 「誰からのお手紙でした?」
 アトリはよせばいいのに、無邪気に愚かな質問をする。アトリ、と咎めるように囁けば、はっと我に返って申し訳なさそうに黙り込んだ。
 僕たち郵便局員は、言ってみれば郵便という仕組みそのものだ。差出人が送る言葉を紙にしたため、封筒に入れて切手を貼る。それを郵便局員が受取人まで配達する。
 封筒や切手が受け取り人に言葉を届けるための手順の一つ、リレーのような物だとしたら、郵便局員はそのひと繋がりだ。アンカーのようなものだ。
 だからいかなる場合でも配達員は手紙の中身を見ない。たとえ葉書一枚でも、切手が貼られただけの新聞紙や紙切れが入っていてもだ。
 けれど、アトリのようにその中身に触れたがる人間は一定数いるものだ。
 山のように毎日届ける言葉たちの中に、自分に向けられた言葉は一つもない。無地、花柄、チェック柄、水玉、動物、星柄、様々な模様の封筒を鞄がぱんぱんになるまで詰め込んでも、その中に自分への文字は見つけられないのだ。
 手紙は、誰かが別の誰かに向けて綴った、その人の為だけの文字だ。
 肉筆で書かれた血の通った言葉だ。
 郵便局員はその重みや、ぬくもりを知っている。そしてそれを手渡すための仕事だから、軽率に手紙に書かれた言葉を欲しがる。羨む。
 そうして開封することはなくても、アトリのように手紙の内容を訊ねる配達員はなかなか後を絶たない。
 煙突掃除屋が梯子に縛られているように、郵便配達員は箒と言葉に縛られた人生だ。そう言っていたのは誰だったろう。
 その言葉が間違っているとは思わない。けれど、何かに縛られない人生なんて、果たして本当に存在するんだろうか。
 
 「友人からの手紙よ。風邪を引いたらしいから近々うちに来るつもりだって」
 窓を伝う雨音のような聲に、僕は我に返った。魔女はアトリの気持ちを知ってか知らずか、ほんの少し哀れむようににこりと微笑んだ。
 そして抽斗から紺色の飾り罫のついた便箋を取り出すと、硝子筆に青い洋墨を浸して何かを書きつけた。
 しばらくかりかりと紙を筆先がすべる音が聞こえた後、折りたたんだ紙を濃紺の封筒に入れ、銀いろの封蝋で封をした。
 「これを一緒に、同じ住所の元へ」
 そう言って魔女が差し出したのは、透きとおった藍柱石(アクアマリン)だった。
 「これは?」
 「喉飴に。家に来るまでせいぜい舐めておきなさいと、手紙に書いておいたのよ」
 悪戯っぽく笑う彼女の瞳は、陽が沈みきった後に迫る薄暮のような色だった。
 いつの間にか陽は昇り、白い光が窓辺から差し込んでいた。
 昨夜降り積もった雪のおかげで一面真白に見える筈の窓は、窓辺の棚にびっしりと置かれた古い壜の色で透きとおった青い光を投げていた。
 「雪の白も好きだけど、やっぱり眺め続ける色は青がいいわ。・・・紫陽花の季節が恋しい」
 魔女はそう言って笑った。

 
 郵便局への帰路を飛びながら、魔女から預かった藍柱石をよくよく眺める。
 「綺麗な水色ね。海の底の砂みたい」
 アトリは興味深そうに僕の手の中を覗き込む。それにしてもこんな鉱石が喉飴になると言うのだから驚きだ。
 天は昨日とは打って変わって晴れ渡り、淡く刷いたように何処までも透明な青が広がっていた。
 試しに鉱石の匂いをかいでみると、微かに潮の香りがした。