入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

それでも紫陽花は咲いていた #6 「魔女が書いたラブレター」

当番ノート 第25期

 P1040302-

 彼が魔女の家を訪れたのは、私が魔女の家で過ごし始めて一週間ほど経った、よく晴れた午后のことだった。

 「今日は新月の晩だから、食卓を飾らないとね。庭で花を摘んできてくれる?毒草には気を付けて」
 魔女は珍しく黒いワンピースに黒いエプロン、黒い靴と全身黒づくめだった。
 「新月の晩は黒い服を身に付けるのが魔女の決まりなの。もっとも、喪服みたいに全身隙間なく真っ黒である必要はないのだけれど」
 そう言って彼女はラピスラズリのブローチを胸元に飾った。黒い木綿のワンピースと相まって、天鵞絨の夜天に瞬く星に視える。
 ワンピースもエプロンも夜の森のような濃い黒なのに、胸や袖口にあしらわれた貝釦とエプロンの縁どりの刺繍のおかげで、暗い印象はなくむしろ魔女はとても上品に着こなしていた。
 「魔女は黒も似合うね」
 思ったままを口にすると、不思議ないろの眼を嬉しそうに細める。
 「あなたはまだ見習いだからね」
 そう言って魔女は、奥の部屋から小さな箱を持ってきた。
 箱を開けると、濡れたように黒い石を彫って作られたカラスのブローチが収められていた。精巧に作られたカラスは羽を広げ、今にも飛び立ちそうな姿をしている。
 「綺麗・・・」
 「黒瑪瑙で作られたカラスよ。魔除けの御守りになることもあるわ。今日はこれを着けていらっしゃい」
 左胸、心臓より少し上の位置に留めてもらったカラスは、窓から差し込む陽の光を受けててらてらとつややかに煌めいた。
 何だかあたたかいような、くすぐったいような気持ちがじんわりと溢れて思わず笑みがこぼれた。
 「ありがとう、魔女」
 心からお礼を言うと、魔女は淡い花が開くように笑った。

 魔女から借りたブローチを身に付け、小さな籠を持って庭に出た。魔女の言ったとおり何かに守られているような気がして、怖いことも不安なことも何一つないような気さえしてきた。
 庭にはすでに夏の花が溢れんばかりに咲いていて、しっとりと青い草いきれの匂いに満ちていた。午后に差しかかった陽ざしは眩しく、黄金いろの陽に私は眼を細めた。
 新月の晩はカーテンを開け放ち、夜天を眺めながらささやかなご馳走を食べるらしい。魔女はいつもより些か張り切った様子で、
 「新月の夜に誰かがいてくれることなんて滅多にないもの」
 とケーキやお菓子の下ごしらえをしていた。
 魔女が歓ぶことは私も嬉しい。テーブルの飾り付けを担当した私は、魔女が驚くような美しい食卓を作ろうと花々を吟味した。
 魔女の大好きな紫陽花も特に青いろが濃いものをよくよく選び、待宵草などを摘んでいるとき、不意に門が軋んで開く音がした。
 驚いて顔を上げると、気弱そうに眉を下げた優男が所在なさげに立ち尽くしていた。
 「あのう、すみません。こちらに『言葉の魔女』がいらっしゃると伺ったのですが」
 男は困ったように紅い苹果をひと口齧った。
 まるで磨かれたようにつややかに光る苹果だった。
 
 「言っている意味が分からない」 
 魔女の隣に座った私は、呆れたように呟いた。向かいの席には真剣な顔をした男がこちらを真っ直ぐ見つめている。魔女は柔らかい笑みをたたえたまま黙っていた。
 「僕のために、魔女にラブレターの代筆をして欲しいんです」
 ラブレターを代筆するとはどういった意味なのだろう。
 ラブレターとは、自分が想いを寄せた相手に自分の気持ちを伝えるために綴るものだ。そもそも代筆を頼むようなものでは本来無い筈だ。
 自身の言葉で綴らないなら、そんなもの全て嘘っぱちの気持ちにしかならない。
 当然魔女は断るだろう。そう思って私は隣の席を見た。魔女は笑みを消し、暫く何かを考え込むような仕草をしていた。
 「わかりました。お受けします」
 あっさりと言った魔女の言葉に驚き、その表情をまじまじと覗き込む。
 「そうですか、良かった」
 「但し、今はお代をいただきません。全てが終わった後、どうするかはあなた自身で決めてください」
 謎めいた最後の言葉に私は首を傾げたけれど、男は酷く安堵したように頷いた。
 「僕の好きな人は、図書館の司書をしているんです。毎週本を借りに行くんですが、本を扱う指先も、柔らかい茶色の髪も、とても素敵な女性だと思っていました。
 一度、短い話をしたことがあったんです。『北風の終わる国』という古い童話集を借りた時のことでした。
 分厚い布張りの背表紙を愛おしそうに指で撫でて、『この本、良い本ですよね。私も大好きなんです』って笑ってくれました。
 それ以来僕が図書館へ来た日は、そっと笑いかけてくれるようになりました。そうして私は彼女に惹かれていったのです」
 細く揺らぐ聲音でぽつぽつと話をする間も、彼は苹果を合間にかじり続けていた。丸ごと実をかじる口元から果汁が滴り落ちては、真っ白なハンカチでテーブルの雫を拭き取った。
 奇妙な人だと思った。
 「ではその女性に想いを伝えればいいんですね?」
 魔女の言葉に、男は深く頷いた。
 「では、明日同じ時間にまた此処へ来てください。その時お渡しできるようにしておきます」
 喜んで帰っていく男を見送ってから、私は魔女に怪訝の眼を向けた。
 「・・・いいの?魔女ならてっきり断るかと思った」
 玄関には夕暮れの気配が迫り、魔女はいいのよ、とつぶやいてランプに燈を灯した。
 「物事の善し悪しは、すべて本人が決めること」
 さぁ、と明るい聲で魔女は微笑んだ。
 「夕食の支度をしなくっちゃ。あなたにも手伝ってもらわなければね」

 陽がすっかり沈みきり、濃紺いろの夜天に夏の星座がまたたき始めるころ、夕餉はテーブルに並べられた。
 庭には螢がぽつぽつと飛び、昼間の蝉しぐれとは打って変わった静けさだった。
 昼に摘んだ花々を使って私が飾り立てた食卓を見て、魔女は歓聲を上げた。
 「こんなに美しく生けられた花は見たことがないわ。あなたにはこんなに素敵な感性が備わっているのね」
 深い藍の紫陽花と、満月いろの待宵草の花束を引き立たせるように、小さな洋盃にベロニカと白い月見草を添える。
 こんもりと束ねた花束は思いのほか大きく料理を載せるとテーブルが窮屈に見えたが、それでも魔女は至極嬉しそうだった。
 「そんなに褒めたって、料理や魔女の魔法みたいに役に立つ訳でもないし・・・」
 あまりにも魔女が大げさに褒めるので、恥ずかしくて口ごもる。魔女は黙らせるように私の唇にそっと人差し指をあてた。
 「世の中では、何の役にも立たないものの方がかえってずっと美しいのよ。そういう美しいだけのものにこそ、意味があるの」
 私は魔女の難しい言葉を全て聞き漏らすまいとしていたので、今度は素直に頷く他なかった。
 魔女はテーブルに、ローズマリーを添えてバターで焼いたにじますのムニエルや、焼きたてのパンを並べてゆく。
 かりかりに焼いた黒パンには黄金いろの蜂蜜を添えて、冷たく冷やしたレモネェドも忘れない。中央には魔女が焼いたふかふかのスポンジに、木苺のゼリーを挟んだレヤーケーキが並べられた。
 「さぁ、遠慮せず召し上がれ」
 魔女の作る料理はとても美味しい。ケーキもムニエルも例に漏れず、私は何度もおかわりをした。
 「昼間の男の人のラブレター、本当に書くの?」
 私は食事が一段落してから、ずっと気になっていたことを訊ねた。魔女はレモネェドを少しずつ飲みながら勿論、と頷く。
 「そのために彼は此処まではるばる来たんですもの」
 「納得いかないなあ」
 私の渋い顔を見て魔女はくすくすと笑う。
 「人それぞれに、特別な事情はあるものよ」
 月の無い晩、星がまたたく音だけを残して夏の夜は更けていった。

 男は昨日ときっかり同じ時間に、再び魔女を訪ねてきた。
 今日も紅い苹果を齧りながら所在なさげに此方を見つめている。
 「お待ちしていました。もう手紙は出来ていますよ」
 魔女は穏やかに言って数枚の便箋を男に手渡した。男はさっそく確かめるように、ゆっくりと中身に目を通す。
 「・・・ありがとうございます。素晴らしい出来だ。きっと彼女も気に入ってくれると思います。もう、封筒も用意してあるのです」
 そう言って男は、宛名の書かれた白い封筒を取り出して便箋を丁寧にしまった。
 「一つ、聴いてもいいですか」
 魔女から教わったとおりに淹れたハーブティーを出しながら、私は男に訊ねた。
 「何故自分でラブレターを書かないのです?」
 男は途端に気まずそうな、落ち着きのない顔で視線を逸らした。
 「僕はこの通り冴えない顔でぱっとしないし、何か特別良いところを持っている訳でもない。人とも上手く付き合えないし、友達と呼べる友達もなく、休日する事といったら読書くらいだ。・・・頭も良くないし、僕なんかが書いた手紙を渡したところで、彼女が最後まで読んでくれるわけない。ましてや、僕に振り向いてくれるはずないよ」
 しょんぼりと頭を垂れる男に私はなおも口を開きかけたが、魔女は私の手にそっと触れて制した。
 「彼女から、良いお返事を貰えるといいですね」
 魔女が優しく言うと、男は嬉しそうに顔を上げてはい、と頷いた。

 彼女から返事をもらえたと、喜ぶ男が訪ねてきたのはそれから数日後のことだった。
 「もっとあなたの事が知りたいと、返事に書いてあったんです。だからまた代筆をお願いしたいのです」
 男の申し出に私は驚いたけれど、魔女はまたしてもあっさりと了承した。
 魔女はいつでも黝(あおぐろ)い洋墨で、白い便箋に彼の指示する彼の姿、彼の気持ちをしたためていった。その姿はまるで、壊れ物を扱うかのように丁寧だった。
 「すてきな手紙ね」
 返事を書くために男から預かった彼女からの手紙を読みながら、魔女はそっと呟いた。
 「きっと相手の女の子は純粋で、彼の事を本当に大切に見てくれているのでしょうね」
 そんな奇妙な手紙の代筆が幾度か続いた。

 男が次に現れた時、彼はいつも以上に弱りきった顔で門の前に立っていた。
 いつもなら私が促せば慎ましく笑って門をくぐる姿が、今日はいつになくうなだれている。
 「彼女が直接会って、ゆっくり話したいと言ってきたんです」
 蚊の鳴くように小さな聲で言った後、彼は魔女の前で顔を覆った。
 「僕は彼女に近づきたい一心で貴女に手紙を書いてもらった。だけど気づいてしまったんだ。本当の僕を彼女が知ったら、彼女はきっともう手紙をくれないんだって」
 泣きそうな顔で途方に暮れる彼は、一枚の便箋を握りしめていた。花色の、可愛らしい便箋だった。
 私は魔女があの、花びらを伝う雨粒のような優しい聲で、何かを言い出すのを待った。
 優しく諭すような聲で、きっと彼女がなんとかしてくれるのだろうと思った。
 「それは今まであなたが彼女に見せてきたあなたが、全て偽者だったからよ。」
 魔女の聲ははっきりと、想像していたよりずっと硬質に部屋に響いた。真っ直ぐ男の眼を見つめる視線も、きっと結んだ唇も、まるで冬の薄氷のようだった。
 魔女のそんなきっぱりとした言葉を、私は初めて聴いた。
 男は呆然とした顔で魔女の顔を凝視している。魔女の顔にいつもの笑みは無かった。
 「誰かの姿を借りるのではなく、その手紙に、今度は本当のあなたで返事をしてごらんなさい」
 「・・・し、しかし・・・」
 「彼女だってとっくに気づいているはずよ。封筒の宛名と、中身の筆跡が違っていたことくらい」

 男が帰って行く時も、魔女は報酬を受け取ろうとしなかった。
 「彼、きっともう来ないよ」
 私が使われなかった便箋を片付けながら言えば、魔女はそれでいいのよ、と笑った。
 「魔女には最初からこうなることが分かっていたの?」
 「さぁ、どうかしら」
 まじょは首を傾げ、もう届くことのない恋文を細かく破いて、捨てた。

 

雨柳 優雨子

雨柳 優雨子

1991年東京出身。
青いもの、雨音、星空、鉱石、アンティーク、理科室、インクの匂い。
2014年からtwitterにて、「限られた文字数でいかに人を楽しませるか」を念頭に、原稿用紙と万年筆で『二百字小説』を一日一篇書き始める。
現在執筆でのお仕事を募集しています。
魔女になるため、目下修行中。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る