はじめの一歩。

第26期(2016年4月-5月)


たからさがし。1回目のヒッチハイクの旅。
「なにもないよ」
「田舎だよ」
そう、聞いていた。
だからこそ、(と言ったら失礼かもしれないけれど)
鳥取と島根が最初の旅の目的地となった。
 
ただ何となく、《まちづくり》や《地域》に興味があった。
ただ何となく、日本のことを知りたくなった。
ただ何となく、旅に出たかった。

はじめの大きな一歩は「たからさがし。」と名前をつけたこと。
自分たちが知りたいことを、やりたいことを、
カタチにするために必要だと思ったから。
自分たちのために、つけた名前。
「何となく」の思いが強すぎて、名前を付けただけでは足りず。
作り方なんて知らないのに、ホームページまで2人で作った。
学んだことを形にしよう。見つけた宝を載せていこう。
はじめの一歩を踏み出すことも、
わたしは何かをしますって発信することも、
宝だと思いますって言うことも、
恥ずかしかった。

だけど、何となくやりたかったから、やった。
踏み出すと、もう走るしかなかった。

その次の大きな一歩は、鳥取と島根へ、旅にでたこと。
 
「たから」を見つける場所として最初にこの2県を選んだのは、
ちょっと気になるまちづくりの動きがあったことと、
人が多く流れないところこそ、宝が埋まってそうってことが理由。
9月の5日間の旅だった。
 
実家のすぐそばの熊本の田舎道からヒッチハイクをはじめて、広島、岡山を通り、鳥取へ。そして島根へ。
そのまま福岡へ向かって熊本の大学へ帰ってきた。

この旅で乗せてくれた方は19台。
仕事帰りのサラリーマンに、トラックの運転手、外出中の家族やカップル。
悩んだ末に乗せてくれた人、ヒッチハイク経験者の人、
心配して声をかけてくれた人、なにかワクワクすることに飛びついた人、
出会い方は様々だった。

どんな人も、どんな話も、刺激的だった。

普段出会う機会のない人たちと出会えるのがヒッチハイク。
見た目で判断する余裕もなく、車内での会話が暗黙に義務づけられるのがヒッチハイク。

金髪で、人を寄せ付けないようなきりっとした目をして歩く、高いヒールにミニスカートのお姉さんと、ジャラジャラ腰に何かつけたお兄さんの長い黒い車に乗ったときも、「人って見た目じゃないなぁ」と思った。
私たちの旅に興味をもってキラキラした目で話をきいてくれて、
「ヒッチハイクって見た目も大事なんやろな。やってみたいとは思うけど、俺らがやってても誰も乗せてくれへんで。」
なんて言ってた。
 
 
少しの出会いなのに、私たちのことを大切にしてくれる人たちが、たくさんいた。
降ろしてくれたときに別れを惜しんで、「もし捕まらなかったら、電話しな。迎えに来てあげるから。」って次の目的地のナンバーの車の人に一緒に声かけてくれたりもした。
「目的地まで無事についてほしい」
なんて、そんなあったかいことを感じてくれるなんて、嬉しかった。
いただいた栄養ドリンクやお菓子の差し入れや、「これで好きなもの食べて。」って渡してくれたお金。
幸せだとおもった。
ここまで、少しの出会いを大切にして、人を応援する素敵な人がいるってことを、みんなにも知ってほしい。
 
出会いはどんどん次に繋がってく。

実家のすぐ傍からヒッチハイクしたことで、実は共通の友達がいたり、知ってるお店の人だったりもした。
届くようで届かない人たちとの出会いは、日常と非日常の狭間のよう。
話題は前から知ってる熊本の場所や人のことでも、それを話す相手は「初めまして」で。ヒッチハイクで乗せてくれた車のなか。

ちょっと外にでてみたり、ちょっと仕掛けを作ってみたりすると、人と繋がれるんだって知った。
学校の友達でも、近所の人でも、ビジネスでもない。
一瞬の、説明しづらい出会い方なのに。だからこそ。
心は強く、繋がってく。
 
19台の乗せてくれた方々や、旅の途中で出会って話した人(サービスエリアで出会ったヒッチハイカーとか)のほとんどとは、今でも連絡をとりあっている。
年賀状は書いてだすし、たまにフェイスブックでやりとりしたりもする。
近況なんて報告しあうほど前からの仲じゃないのに、
気になって、連絡してくれて、応援してくれる。

「たからさがし。続けてる?」

そうやって繋がりが「たから」を教えてくれた。
見つけた「たから」を教えたくなって、また会いにいきたい人が増えて、
自分の「たから」を教えてくれる人も出てきて。

自分たちのために始めた「たからさがし。」の意味を
ちょっとずつ、変えてくれたのがこの最初の旅だった。
 
鳥取に着いて、夜に行った砂丘。
満月に照らされて、どこまでも続くかのような砂の波が、どんなわたしも受け入れてくれそうで。
思わず裸足で走りだした。
さらさらの砂に吸い込まれそうになりながらも、砂の山をひたすらのぼる。
頂上から海を見下ろした。
満月の光と砂に包まれて、海がさーっと音をたてるなかで、
「ほんとは、いつだって自由なんだー!」
って遠くの自分にも聞こえるように、叫んでみる。

同じような日々を繰り返すと、なぜか気付けなくなる自由さ。
どこで生きるかも、何を大切にするかも、自分で選んでいい。
感覚を信じるという自由さを、
旅を終えた自分にも、同じような日々を繰り返し始める自分にも、
聞こえるように、思い出せるように、
ずっと月を見ていた。
旅のどこかで出会った誰かも、同じ月を見てるんだって思ったら、どこまでも繋がれる気がした。
満月の鳥取砂丘は、「たから」。
 
鳥取から島根へ行く道の駅では、とうふちくわと出会った。
とうふちくわって日本では鳥取の東部くらいでしか作られていないらしい。
150年も続くその会社のとうふちくわは、レモンやいわしやチーズや明太子、とたくさんの種類があって、歯ごたえも、食べ方も色々ちがった。

すぐ傍の砂浜で座って海をみながら、そのちくわをむしゃっと食べてみた。
どの味のちくわも美味しい。
海を眺めて、スカートはぬれてリュックサックも砂だらけになって、風にゆられながら、こだわって作られたちくわを食べて、ぼーっとする時間には、なんとなく、「地球ってなんておもしろい遊び場なんだろう。」って考えてた。
素材と向き合って長い間作りつづけられている、とうふちくわは「たから」だし、海を眺めて砂浜に座れる時間も「たから」。
 
島根について一番最初に心打たれたのは、宍道湖の夕陽。
夕方になるにつれて、たくさん人が集まってきた。そこは、とても幸せな空間だった。
ただ陽が沈むのを待つ。
みんなの視線は湖の先。
静かでおだやかな空気のなか、子どもが笑う声が聞こえる。
広い宍道湖に赤い空が広がって、陽が沈みながら、ただただ景色の色が変わっていった。
島根の夕陽は赤と湖しかなかった。
陽が沈むと帰っていく人たち。
散歩途中のおばあちゃんや、部活帰りの高校生、そろって出かけた家族、仕事帰りのサラリーマン、飲み会に向かう大学生。
ここに住む人にとっては日常の景色が、わたしたちにとっては特別だった。
宍道湖に人が集まる夕方の空気は「たから」。

たからさがし。の旅は、なぜか、特別な旅の景色よりも、私たちにはない“日常”を教えてくれた。
 

島根や鳥取には「なにもない」わけじゃないことを、わたしたちは旅で知った。
当たり前のようにそこに存在する景色やモノや人は、私たちにとってはとてもあたたかくて、特別で、希望だった。
 
 
ただ知りたくて。ただやりたくて。ただ出てみたくて。
やってみた、たからさがし。
はじめの一歩は、「ただ何となく」だった。
言葉にできない「何となく」にだんだんと理由がついてきて。
「地域の宝を見つけるっていいね!」
「ここを目的地に来る人がいるなんて思ってなかった!」
「2人のおかげで自分の地域の良さに気付けた!」
なんてありがたい言葉をいただきながら。
たからさがし。の主語はわたしたち2人だったのに、
少しづつ、主語が増えてきたように思う。
いつだって根っこにあるのは好奇心だけど。
はじめの一歩からちょっとずつ変わってきたのは
人との繋がりと使命感。
 
「何となく」のはじめの一歩から、
なぜか生まれた“月に一度はヒッチハイク”のたからさがし。ルール。
次に私たちが飛び出したのは、熊本のおとなり、大分。
そして福岡、長野、京都、愛知、沖縄、と、
どんどん広がっていった。
 
「たから」って言うことの大切さを、
だからこそ意味もなく幸せだと笑える瞬間を、
旅して、人と出会って、応援してもらって、
私たちは知ってきた。
 
日常に戻っても。
“ほんとは、いつだって自由だー!”
鳥取の満月の砂丘で叫んだ声が聞こえてくる。
 

(たからさがし。吉永 早佑梨)