free 参る 夜明け前③

第27期(2016年6月-7月)

只今6月12日(日)の8:00。
凪、波風立たず穏やかに、と行きたいところですが今置かれている状況は
この連載の締め切りを前にただただ焦りながらパソコンの前。

今週はおかげさまでご好評いただいているネットでの ito の販売強化週間と言う事で、
倉庫に入荷して来た糸を通常在庫と別にネット用在庫として振り分けたり、
引き続き工場さんからオーダーいただく秋冬商品向けの原料となる糸の出荷。
そして嬉しい事にサレドンベイス在庫拡充してすぐにたくさんのお客さまから反応頂き
段ボールから糸出しては入れて、入れては出して、たまには崩れて降ってくる(笑)
な悪戦苦闘ならぬ良戦楽闘、嬉しい悲鳴。
こうなってくると本能的に、喧嘩するよりどうして目の前に山積みの課題を片付けていくか
と言う事に主眼が置かれ、お互い日々の仕事と平行して、時々刻々と入ってくる仕事には
自然とそれぞれの役割がすんと決まって。そんな休戦協定な一週間。

まだ初めて一年半の saredo -されど- 。前回二人の写真についてお話させていただきましたが
連載第一回の写真に写る様々な書籍やそれに纏わることがらはそれぞれ順番に、
ではなく、それぞれの点と点がつながり線となり、まっすぐに伸びて行き、
時には交錯してシナプスのように絡まり合い、saredo -されど- が生まれそしてこれから育ち、
持続しつづけるための、言わば歴史の礎。

今回はその中でも、書籍「ナガオカケンメイのやりかた」、残念ながら閉館となった
山梨の「清里現代美術館」、そこやその旅の途中で出合った人たちからいただき
未だ自分の中に突き刺さっていることば、などを自らの心の ito で繋げて行ければと思います。

まず僕はデザイナーでも何でもない一介の糸屋なんですが、奥さんが美術系の大学に
行っていたおかげで?美術やデザイン系の例えば展覧会のフライヤーや案内状などを
手に取れる環境で暮しています。それまでは開店休業中ながら自身もやっている
バンド関係のライブの会場で貰ったフライヤーなど、たまに観に行って貰ってきたのもあって
しばしば家の中はジャングルに。
結婚してから父と同居の家の部屋割りの関係もあって、二階に寝室、奥さんの部屋
(少し僕の本やレコード、CDなどの棚)、一階にリビングと言う住空間で、
どうしても一階に居る時間が多い中、面白そうな本や展示など、奥さんを通じて
共有することが増えて来たんです。
奥さんの持ってる「d design travel」の本見てまだ見ぬ土地の素敵なヒトモノカタチに
思いを馳せたり、実際に D&DEPARTMENT OSAKA のお店に行ってみたりしてるうちに
自然とこのお店の成り立ちについての本も手にしていました。

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「デザインの思想運動」、「ロングライフデザイン」、「デザインとリサイクルの融合」など
いままでデザインと言う言葉に抱いていた概念を180度覆すことばと日々の実践、
そして熱い想いに魅了され、この人が訪れた場所を自分も訪ねてみたいと思いました。
そして、d design travel 山梨 片手に山梨へは三度、三たびとも同じくこの土地へ
強く惹き付けられることになったこの場所へも伺って。

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清里現代美術館(KIMOCA、2014年閉館)はヨーゼフ・ボイス、アーノルフ・ライナー、
フルクサス一派の資料室、ジョン・ケージ、菅木志雄、松澤宥と言った国内の作家も含め
膨大な作品、資料を美術教師でもある館長伊藤(修吾)さんの弟(信吾)さんが中心となって
個人で蒐集、運営。館自体はそんなに広くはないが、作家毎に小部屋となっており
それぞれの密度が非常に濃い美術館でした。

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新展示室へお邪魔すると先の信吾さんに親切に解説をしていただけ入り口は平和と反戦を
テーマとした常設展示、入ってすぐジョン・ハートフィールドのナチス批判の
ヒトラーのフォトモンタージュが鮮烈なお出迎え。実はパンク・ハードコア音楽好きの
僕には嬉しい DISCHARGE / NEVER AGAIN のジャケットもこの人の作品を使用していると言う事実。
1930年代にこんな強烈なメッセージ性のある作品を世に出したパワーって凄い、しかも命がけ。
他にも個人が蒐集したとは思えない膨大な作家についての資料等のコレクションを
自由に閲覧可能で、特にライナーの「広島シリーズ」や、ボイスの弟子アンゼルム・キーファーの
作品集に衝撃を受ける。
特にキーファーは、植物や金属などを使ったオブジェ的な作品、絵画が経年劣化する事も
長期的なインスタレーションとして計算に入ってる?これを作る方も作品として受け入れ
展示する方も凄い。ただのジャンクアートと言う言葉では片付けられない絵画と彫刻の間、
作品を見た現在と過去と未来の時間を行き来する、清らかで澄み切った透明な神秘性を孕んだ
サイバーパンク的な近未来感に正に美術の彼岸を感じました。

と、美術のど素人ながらその当時書いた感想を再構成してみましたが、
現代美術とはただ単に難解、わからない、と構えるのでは無く、作家が作品として提示したものを
どのように見てどう感じるか、一つの方向角度ではなく多面的な方向角度から作品を見る、
感じると言う事は、現代の社会に置き換えてもどのような価値観の元にどう社会と対峙するのか、
と言うヒントというかきっかけのようなもの(になる)として現代美術を捉えて欲しい、
と言うようなお話しを館長の伊藤(修吾)さんから伺う事が出来ました。

個人的な主観も多々入っておりますが自身も感じ入り、原発についての考え方とか
共感出来るところもたくさん有り、3.11.以前と以後と言う線引きが果たして正しいのか
どうかはわかりませんが、確固たる自分があるようで無く根無し草のように彷徨う自らを
どのように思い(悩み、藻掻き)、人の事をどう想うべきかと言う事を考える
=思想を育むきっかけとなったことは否めません。

saredo -されど- はコンセプチュアルなアートではありませんが、自分たちの思うことを
コンセプチュアルに商い(飽きない)で表現して行くきっかけをお話しする回でした。

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