島で 四話

第28期(2016年8月-9月)

 カレーは、あおいが作ることになった。
 狭い台所では二人立つのが厳しいので、私はぼんやり後ろ姿を眺めていた。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、余っていた鶏むね肉。あおいは一口サイズが好きなのだと言って、どれも細かなさいの目に切った。だから、あおいのカレーはいつもじゃがいもが溶けがちなのだけど。焼き目を入れたあとは軽く煮込んで、カレー粉と小麦粉を入れた。
 手持ち無沙汰だった私は暇つぶしに動く。ご飯はたくさん炊いて冷凍しておいたものがあるので、それを食べる分だけレンジで温めておいた。あとは福神漬けをすこし。
 完成したカレーライスをちゃぶ台に載せたあおいは言う。
「ほら、外と同じカレーだよ」
 あおいの笑いを含んだ声には、からかいも混じっていた。
「あおい、ほんと、最低」
 私の低い声に、あおいはまた笑うだけだ。
 初めて出会ってカレーをごちそうした日に私がたずねたのを、あおいはいつまでも面白がったし、気に入っていた。「ねえ、このカレーは外と同じ?」。今日のあおいが作ったカレーとほとんど同じものだった。それでもあおいは奇妙な表情で、困ったようにしていたのを覚えている。島に来たという実感が初めてわいたときかも知れない、とも仲良くなった後で言っていたけれど。結局、思い出すとすぐに笑いだすから、あまり信用はできない。
「——みどりが反抗期?」
 あおいはこの洋画は何度も見たからとテレビに目もくれず、カレーとライスをスプーンで丁寧に混ぜていた。
「まあそうだね、ときこがいる時はそんな感じかも。でも、そんなのずっとじゃないの」
「違うよ、中学に上がってからだって」
 なるべく落ち着いてしゃべろうと思うのに、あおいの余裕への妬ましさがつい言葉にとげが出る。
「言われてみれば、みどりは会ったばかりの頃はもっと素直っぽかったね。でも、中学生ならそれこそそういう時期だし」
 反抗期が長そうだったあおいは、さして問題視していない。
「もう、あおいは相談相手に向いてないな」
「気付くのが遅いって」
「でもお母さんも仕事が忙しそうだから、最近話せてないし」
 島を取り仕切る仕事についていた母は、穏やかな島の中でかなり忙しいほうだ。祖父母もそうした仕事だったから自然に継いだようだったし、人と関わるのに抵抗がない人だから向いているようだった。一方で体の弱い姉や、不特定多数と関わるのを好かない私に仕事を継がせる気はなく、手が足りないときに呼ばれるぐらいだった。
 あおいはけろっと答える。
「おばさんが忙しいの、女だけ住むようになって十年目だからじゃない? なんか、お祝いだか知らないけど外から人呼ぶんだって。取材とかなんとか」
「えっ? 誰から聞いたの」
「店に来た役所勤めのお客さんが言ってた。おばさんから聞いてなかったんだ」
 聞いてつい、眉間に皺が寄る。
「それ、言っていい奴なの?」
「あはは、もうすぐ嫌でもわかるんだし、良いんじゃない」
「良いんじゃない、じゃないよ」
 軽く笑うあおいに、すっかり島の人間らしくなったものだと軽くため息する。
 直後に目を軽く伏せて柔らかくたずねられるのは、元からだったか島に来てからだったか。
「ときこは、外の人が来るのはそんな嫌?」
 ついウッと喉の奥から声を漏らした。
「そうじゃない。前も言ったけど、わかんないんだって。外との違いがわかんないし、外の人になんて聞いていいのかもわからないし」
「まあたしかにね」
 頷くあおいを見ながら、それに、と続けた。
「私が本当に不安なのはさ、女しか知らないみどりやめぐたちなの。外の人、男の人なんか急に来て、よくわかんない前向きな気持ちも後ろ向きな気持ちも持って欲しくないの」
「来ても女の人だって。心配しなくても大丈夫だよ。それに、みどりやめぐにはお父さんがいるんでしょ」
「そりゃ、いるよ。いるけど……普通の父親とは違うから」
 つい、うつむく。話のせいで、混ぜるばかりで食べられないカレーを見つめる。冷めていく。けれど話は続いてしまう。
「普通って何よ、って話じゃん。この島でいちばん憎まれるところじゃないの?」
「じゃあ一般的とか、よくあるとか言い換えるよ」
 あおいはわざとらしく目尻を下げた。
「そういうんじゃないって、わかってるくせに」
 あおいがときおりする、声を出さずに喉の奥だけで笑うときは好きじゃなかった。自分自身の正しさを確信しているときだから。
「っていうかなんでこんな話になってるの? 私が話してたのはさあ、みどりの反抗期についてでしょ」
「あからさまに話変えたね」
「変えたんじゃない、戻したの!」
 はいはい、と言うあおいは、仕方なさそうにする。
「みどりはなんで反抗期になったのか。年齢以外で答えよ」
「なんだよ、その条件。じゃあ彼女ができたとか」
「そう思う?」
「思わない。みどりは男好きになりそう」
 あおいはきっぱり言った。
「その言い方もどうかと思うけど……じゃあ他には?」
「友達かなあ」
「友達かあ」
「みどり、人の影響受けやすそうだしね」
 たしかにそうだ。みどりは流されやすいというより、感受性が強い。子どもの頃はなんだか馬鹿馬鹿しく思っていたその言葉が、大人になってからは妙に使いやすくなってしまった。
「友達、なるほどね。るりこちゃんと今仲良いんだけど、あおいはわかる?」
 あおいはわざとらしく肩をすくめて首を振る。

 るりこちゃんは、あおいと同じで外から来た子だ。みどりと同い年で、中学入学と同時にやってきた。家に初めて遊びに来たときすこし話しただけで、あとは何度か見かけたぐらいだった。
 今は知らないけれど島の子らしくない、白い肌をしていた。明るい茶色の瞳は大きすぎて、上手に目が合わせられなかった。長い黒髪は、癖も痛みもない。身長はそんなに高くなくて脂肪も筋肉もないから、触れたら壊れてしまいそう、守ってあげたい、なんてつまらない文句がよく似合った。
 でも島に来た理由は、父親からの暴力から母と逃れるためだと、彼女は言った。初対面の私に、平気な顔で語る彼女は奇妙だった。きっと、なんでもない出来事なのだと自分を納得させるためだと思ったけれど、彼女は優しく微笑んで囁いた。
「みどりには秘密ですよ」
 人形みたいに細い手首から伸びる一本指を、桜色の小さな唇に当てていた。
 甘くて、高すぎない声だった。まるで短い夢みたいな女の子。

「反抗期なんて時間が解決するって。今はあきらめな」
 考え込む私に、あおいは言う。
「ほら、早く食べて食べて。さっさと片付けないと冷めるしこびりつくんだから」
 急かすあおいも、大きな一口を食べた。
 カレーは食べた後が寂しい。二日目のカレーが嫌いだというあおいは、ふたり分きっかりの量しか作らない。だからいつまでもカレーのにおいだけが残るのだ。
 テレビはもうどうなってるのかわからない。ただ、知らない女優がしとしとと泣いていた。