suicide cats in seaside⑤

第28期(2016年8月-9月)

suicide cats in seaside①
suicide cats in seaside②
suicide cats in seaside③
suicide cats in seaside④

「こっちだよ。」

もう一度アマリの耳元で、洞窟の中で反響したような声がする。

ムジャンはどこまでも沈んでいき
アマリは遠のいていくその眼差しを捉えることしかできない。

毛むくじゃらを救済し、初めて目を合わせた時と同じ。
恐ろしい予感に包まれていく。

追いかけないと。だのに身体が硬直して動かない。

ムジャンが砂つぶほどの大きさまで見えなくなると、
アマリは我にかえり、急いでかれが吸い込まれていった亀裂の向こう側へと泳ぎ出した。

「あの子は泳げないのに。わたしったら。ああ、死んでしまうかもしれない。」

得体の知れない恐怖は、出会ったばかりの友人を失うことへの確信めいた不安に変わり、
アマリはまっすぐに闇を目指して泳ぎ続けた。

尾びれにざらりとした感触を得て、それが着地点に着いたことを教えてくれる。

あらゆる光が遮られた海の底の底に、どうやらたどり着いたようだ。

五感を頼りに、手探りで進んで行く。

「ムジャン?返事をして。ごめんなさい。ムジャン。」

幾度となく毛むくじゃらの名前を呼ぶが、返事はない。

完璧な闇に目が慣れていき、アマリはこの場所がなにを意味するのかを次第に理解していった。

あたり一面無造作に、たくさんの人魚の石像が落ちている。

石像の表情は怨念めいたも怒りに満ちたものもあれば、穏やかに微笑んでいるものもあり、
何か合図を送れば、今にも動き出しそうなほどに生々しかった。

”恋に破れた人魚は泡になり転生するか、呪縛した肉体のまま永遠に海底に沈み続けるか、どちらかを選ばなければならない。”

アマリがたどり着いた場所は
人間の魂を喰らえず、忘れることを拒み、生まれ変わることを拒んだ
かわいそうな”少女たちの墓場”だった。

見るに耐えない光景に、アマリは気が失いそうになりながらも、自身の使命を思い出す。

「そうだ。わたし。行かなくちゃ…。」

アマリは何かに取り憑かれたように、フラフラとまた海上を目指し上昇しようとした。

「あまり。」

名前を呼ばれ尾びれをぎゅっと何ものかにつかまれ、ふと我に帰る。

振り返ると毛むくじゃらがこちらを見上げている。

「ムジャン…。」

「あまり。行っちゃだめだ。」

「ムジャン。だめだよ、あなた泳げないのに。」

「ぼくはだいじょうぶ。」

「息ができなくて苦しいでしょ、一緒に帰ろう?」

「きみは生まれ変わらなくちゃ。」

「何を言ってるの?ムジャン。」

「忘れていいんだよ、ぜんぶ。」

ムジャンのその言葉の先にあるもの。

少女たちの墓場が意味するもの。

満月の夜を、14歳の誕生日を、

毎晩、何度も、繰り返していること。

点と点はつながり、真実の糸がアマリの前に現れる。
ゴウゴウという耳鳴りがアマリに襲いかかり、
心臓はばくばくと走り去るような鼓動を打ち、
アマリはただ、うつむくことしかできない。

「きて。」

ムジャンはアマリの手を握り、深海を歩き出した。

あらゆる希望から断絶された世界を、毛むくじゃらと人魚は手と手を取り合い歩いていく。

「ぼくのさかな。ぼくだけの、とくべつなさかな。」

「…ムジャンのさかな、ここに、いたの?」

ムジャンは歩くのをやめ、ある人魚の石像の前で立ち止まった。

「ぼくのさかな。ぼくだけの。とくべつな。」

それはアマリにそっくりな石像だった。

アマリの成長した姿と言ったほうが正しいだろうか。

穏やかな笑みをたたえたような表情にも見えれば、
今にも泣き出しそうな表情にも見える。

石像のアマリに弱々しい少女の面影はなく、
すべてを許し、すべての悲しみを背負いこんだ、聖母のようなまなざしで凍りついていた。

「真夜中に、きみが海から浜辺に上がるのをみた。」

「…….。」

「きみはひとりで一晩中、ずっと震えていた。そして朝になったら、消えてしまった。
 ふしぎに思って、次の日の夜にまたうみべに行ったんだ。
 きみは前の晩と同じことをしていた。
 ずっと震えて、朝になったら消えてしまう。次の日も、その次の日も。何度も何度も。」

「…….。」

「ぼくはきみの”いれもの”がどこにあるのか知りたかった。
 きみが朝になったら消えてしまうのは、きみのこころだけを見てるとわかったから。」

「これをわたしに見せるために?」

ムジャンは頷く。

「わたしはずっと、ここにいたの?」

「きみのこころを、返してあげたかった。」

少しの沈黙の後、ムジャンはそう告げた。

アマリは目の前にある、自分とそっくりな石像を見つめ、おそるおそる手を差し伸べる。

「ひとりで、ずっと、こんな暗い場所で。ごめんね、ごめんなさい。」

アマリは自身にそっくりな石像を抱きしめながら、大粒の涙を流した。

恋をしたこと。

世界中に祝福されているような、

素晴らしい日々を過ごしたこと。

歌を歌い、大海原泳ぎ、太陽が昇り太陽が落ちる瞬間を

共に過ごしたこと。

その日々は、なんの前触れもなく、

あっという間に、跡形もなく消え去ったこと。

恋をした記憶ごと愛してしまったアマリは、

泡になりすべてを忘れ転生することを拒み、海底にひとり呪縛することを選んだ。

冒険が大好きで、たくましい少女時代のアマリは、それを許さなかった。

乖離した魂はちぐはぐになり、少女時代のアマリは恋自体を憎み、毎晩自らの命を絶ち続けた。

「…わたしが忘れたら、あの人はいなかったことになってしまう。」

「いきものは生まれたり死んだりを繰り返してる。
 このしゅんかんにも。
 だれも覚えてない、だれも知らない命が、何度も何度も生まれては消えていってるんだ。」

「ムジャン、死ぬことだけを繰り返すのは、愚かかしら?」

「しぬことだけをくりかえすのは、かなしい。すくなくともぼくは。」

「そうね、そうだね。」

アマリの肩からは小さな泡が噴き出し、石像は足元から徐々に砂へ変わっていく。

抱き合った二つのこころとからだは一つに戻り、
アマリの命は終わりを迎えようとしている。

もう14歳の満月の夜を迎えることはない。

「もう少し、あなたと話したかったわ、ムジャン。」

「きっとまた会えるよ。ぼく、探すのは得意なんだ。」

「もう人魚はこりごりだわ。ムジャンのふるさとはどこ?」

「りんごの木がたくさん生えてるばしょ。」

「わたしたち、きっとまた会えるわね。」

「ちゃんときみのこと、見つけるから。」

「おやすみなさい、ムジャン。」

「おやすみなさい、あまり。」

ムジャンはアマリが泡になり消え去るその瞬間を見届け、ゆっくりと目を閉じる。

毛むくじゃらの身体は海上へ静かに上がり、ぷかぷかと浮かんだまま、二度とそのまぶたが開くことはなかった。

昇った太陽は、すべてを焼き尽くし、きょうをきのうに変え、安らかな死を与える。

死は夜を呼び、月は新しい命が誕生するのを優しく照らし、見届け、導く。

大きな風が、ビュオンと一つ、強く吹いた。

それはアマリとムジャンがいた海から、どこか遠くの知らない国まで届きそうな、

長く、大きな風だった。

風は海を撫で、砂浜を踊り、木々を揺らし、りんごの葉を一つちぎり、旅人の頭にふわりと落ちた。

「こんにちは、知らないお嬢さん。みょうちくりんな頭をしているね。」

「はじめまして。知らないねこさん。あなたもとってももじゃもじゃだけど。」

suicide cats in seaside  おしまい