偏愛総進撃第三回 壊れそうな時代に

第29期(2016年10月-11月)

ヒーローとは人を救うものである。と、我々は思う。ウルトラマンが怪獣の火から町を守るとき、仮面ライダーがダムの爆破を阻止するとき、スパイダーマンがビルから落ちる作業員を拾うとき、我々はヒーローをまなざす。それは憧れであったり、冷笑であったり、そうしたヒーロー達でも救えないものがいることへの非難であったりする。
ヒーローは強く、折れない。たとえ一旦折れても、不屈の意思をもって何度でも立ち上がり、我々を支え続ける。神話英雄的なそうしたヒーロー像は、多くの人が共通の前提としているものだろう。父の死や敗北を乗り越え戦う勇ましい男を描いた英雄叙事詩「宇宙刑事ギャバン」(1982)などは、そうした力強く頼もしいヒーロー像の代表例だ。
しかし平成以降、このイメージを破壊するような描写、作品が相次いでいる。近年の例で言うならば、仮面ライダーООО(2011)四二話における、ヒーローを呼ぶ市民の声に反発する形でヒロインが絶叫する「やめてよ!えいじくんは神様じゃない!」に代表される、ヒーロー側からの物語への反発。それはデウスエクスマキナであったヒーローを、「都合のいい神様」から人間の位置にまで引きずり下ろす試み。降りるための挑戦。

ヒーロー「を」救うのは誰なのか。
ヒーローが何かを救い続けなければならないとしたら、ヒーローの苦しみは誰に救われるのか。もっとざっくり言ってしまえば、心が弱いものは主人公たり得ないのか。
それが今回のテーマである。

ヒーローは悩むのか、苦しむのか、ではない。
先達の名誉のために言っておくと、ヒーローは、昭和の時代から悩み苦しんできた。悲劇の怪獣を爆破するかどうか。確実だが犠牲の出る作戦を承認するかどうか。戦いの中で生じる仲間の死をどう受け止めるのか。それぞれに決断があり、苦悩があった。
しかし、それらはすべて基本的にある程度プロとして割り切られていた。苦しみながらも成熟した大人として決断を下した昭和のヒーローたちは、その責任を受け止め、腹の底にしまってきたのだ。

そういった文脈を踏まえたうえで、仮面ライダー剣(2003)についての話をしたい。

「剣」は、世間的にはあまり評価の高い作品ではない。剣、と書いて、ブレイド、と読む。かなり無理がある。設定も盛られ過ぎている。マイノリティの人権問題をメインに扱った前作「555」に比べ、基礎設定の時点で「世界の支配種族を決めるため、その種族の神同士が全員でなぜか殴り合い(この殴り合いはバトルファイトという雑な英語で呼ばれる)を行うことになった」という荒唐無稽さである。主役の滑舌は悪く、時々セリフが聞き取れないことすらある。困った点をあげればキリがない。
しかし、それでも、私は本作を評価したい。
心の弱さを抱えたヒーローを、等身大に描き切った傑作。それが仮面ライダー剣だ。

「剣」は、四人の仮面ライダーによる群像劇だ。

・ 主人公である剣崎は、火事の唯一の生き残りで、サバイバーズギルトに苦しむ青年である。優しいが、無意識での希死念慮が強い。
・ 剣崎の先輩である橘は、戦いへの恐怖から、恋人の家の椅子でしか眠ることができなくなった男だ。善人だが他者の言うことを信じやすく、思い込みが強い。
・ 怪人の一人であり仮面ライダーでもある相川は、口下手で、かつて犯した罪から、罪悪感にさいなまれ続けている。贖罪として、少女を一人養育している。
・ 後輩であり、巻き込まれるように仮面ライダーになった睦月はコインロッカーに投棄された少年で、他者に心を開き切ることができない。

この四人が、お互いに自分のメンタルと戦いながら、必死に支えあい、傷つきあいながら人々を守ろうと揺れるのが仮面ライダー剣という物語である。
確かに、爽快感はない。ライダーたちは弱く、脆く、メンタルの調子ですぐに戦えなくなる。毎夜フラッシュバックする過去は彼らの足枷となり、余裕のない言葉は時に互いを傷つけあう。すぐに騙され、操られ、落ち込む。そして、ギリギリの状態で市民を守る。

だが、だからこそ、彼らは尊い。

最終回、剣崎は友を救うため、自分が犠牲になる判断を下す。それはもはや番組前半のような浅い希死念慮ではない。一乗寺烈のように戦うには、戦士たちはどこまでも繊細で優しすぎた。
(一乗寺烈が優しくないわけではない。彼は優しくて頼もしく、強い。しかし、優しさと強さの在り方が今とは違う)

昭和のヒーローたちであれば、違った決断をしたのだろう、と思う。
それが良かったのか悪かったのか、私はいまだに判断がつかない。
剣崎は、良かったと言うのだろう。静かに笑いながら。
他のメンバーは、どうだろう。橘は、睦月は、そして相川始は。

未来=悲しみが終わる場所、とopテーマは歌う。
結局終わったのは誰の悲しみだったのだろうか。

※2000年代の仮面ライダーに関して、個別エピソード単位の紹介は不可能に近い。仮面ライダークウガ(2000)から仮面ライダーディケイド(2009)までの作品はそれぞれが連続ドラマであり、一話完結型ではないためである。