想像について

第30期(2016年12月-2017年1月)

連載をしておいて何だけれど、合計9回の記事を書くにあたって、これだけは書かねばと思っていたことは初回の肯定についての記事で推敲を重ねて、だいたい書けたような気がしている。
それ以降はずっと伸び伸びした気持ちで書いてきた。
時々もらう、アパートメント読んでますよ!という言葉に何度嬉しくなっただろう。

服を作ることを通して、いろんなものに捻じ曲げられていないあるがままの相手を肯定するということ。
これはこの先もどんな形であれ、ずっとやっていきたい。

そう強く思うようになったのはそもそもどうしてだったのだっけ、とここ最近考えていた。
そうして少し思い当たったのが昨年のあるとき、ふっと頭を巡った想像のことだった。

自分が子どもを持って母親になることを、おそらく初めて、ちゃんと想像した時のことだ。

そんな予定は実際無かったし、今だって無いのだけれど。
その頃親になる知り合いが増えていたからかもしれないし、親という視点の本を読んだからかもしれない。
あるいは単に自分が前より大人になったのかもしれない。

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自分自身や世の中について、先が不安になるようなことがぽつぽつと起きていて、先どころか現在も不安で、混沌として、言葉が溢れていた。
将来のこと、自分より若い人、まだ生まれてもいない人のことを想像した時、もっと強くならなければいけないのでは、と、ひどく危機感を覚えた。

状況がどうであろうと子どもに向かって、「幸せになるために生まれてきたのだよ、あなたは生まれてきて良かったのだよ」と、絶対的な自信を持って言えなければならないんじゃないだろうか。
その言葉に嘘や揺らぎはあってはならないんじゃないだろうか。

たったいま自分や他人を肯定することができないで、例えばいつか育てるかもしれない自分の子どもに将来の希望を与えることが、その時できるのか。
めそめそしていないで今すぐ強くなれよと、誰かに叱られたような気がした。

不思議なもので、それ以降私は本当に心が少し強くなったように思う。
図太くなったとも言える。

後から思えば、人を肯定したいと思うとき、意識の奥底で子どもと向き合っているような概念がずっとあったようだ。
そういう覚悟みたいなものが自分の中にもちゃんとあったのだなと、ほっとしたような気もした。

真剣に未来を想像することは人を強くするらしい。
未来の、自分と他者との関わり方を想像することは、生きることを想像することなのだと思う。
先の見えない時でも、だからこそ。

連載もとうとう最終回。
文章のテンポも締めくくり方も、いまいち正解が分からないまま頭の中にあることを書き散らした2ヶ月間でした。
本当に楽しく書かせてもらいました。

遠く知らない人にも、なにか温度を感じ取れるものであったのなら幸いです。

お読み頂いて、どうもありがとう。
ご縁があったなら、またいつかどこかで。