古典作品にみる鎌倉④ 喫茶養生記1

第30期(2016年12月-2017年1月)

今日も鎌倉の話です。
鎌倉駅より徒歩10分、扇ガ谷にある寿福寺は1200年の創建。
北条政子の招きにより栄西(ようさい)というお坊さんが建てたお寺です。

【寿福寺の総門。開基(創設者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西です】

【寿福寺の総門。開基(創設者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西です】

この栄西、学校の日本史の授業では、「臨済宗の開祖」とか「『喫茶養生記』を書いた人」というふうに習った方も多いと思います。実際に栄西の功績というのは長い日本の歴史の中でも注目すべき点がたくさんあるのですが、学校の授業というのは味気ないもので、人物名やできごとばかりを追っていくことに終始してしまいますね。

僕は塾講師を16年やっているのですが、今のこのご時世に日本史や世界史のような知識偏重の受験教育が必要なのかな、と時々思うことがあります。たとえばスマートフォンでちょっと調べれば情報は得られるわけで、瑣末な知識を詰め込むことに膨大な時間を費やすことが、これからの時代にはたしてふさわしいのかといつも考えてしまいます。これから社会に出る人には、人工知能が今後ますます発達していく時代にそぐうべく、たとえばプログラミングの学習に時間を割いた方がよほど有意義ではないかと思うのですが…

とは言いながらも、僕の専門分野は今では誰も見向きもしない「国文学」で、塾講師の傍で「鎌倉と古典」をテーマに月1ペースで講座を開いているわけで、そんな自分の立場を踏まえつつこのアパートメントでは今日も古典の話をします。

今日のテーマは、先ほど挙げた『喫茶養生記』です。

【栄西像はいくつか存在しているのですが、どの像もこのように面長で角張っているのが特徴です】

【栄西像はいくつか存在しているのですが、どの像もこのように面長で角張っているのが特徴です】

喫茶養生記が書かれたのは1211年。栄西の最晩年の作品になります。執筆の意図ははっきりとしないのですが、この書が世に出回るきっかけとなったのは1214年2月4日。鎌倉幕府3代将軍、源実朝が二日酔いで苦しんでいた時のことでした。この実朝という人物は、源頼朝の次男に当たるのですが、源氏の血筋にありながらも幕政にほとんど興味なく、歌詠みに耽っていたり宋(当時の中国王朝)の文化へひたすら関心を寄せたりしていたのです。

実朝は二日酔いでへべれけ、お仕えの人々もどうしていいのか分からず困り果てていたところに、話を聞きつけて1杯のお茶と茶の効能を認めた書物を持って参上したのが栄西でした。そしてこの茶書こそが喫茶養生記だったのです。栄西に勧められ茶を服した実朝は頭痛も治まりご満悦だったそうです。

この喫茶養生記、上下巻の2部構成なのですが、上巻にはお茶の効能、そして下巻には桑の効能が書かれています。ですから中世の時代には『茶桑経』なんていう呼ばれ方もしていたんです。

それにしても、なぜ「桑」なのか…
鎌倉時代、まだお茶の葉は日本では貴重品種でなかなか手に入りませんでした。そこで茶の代用として桑茶が飲まれていたと言われております。桑茶は最近、美容と健康に良いということで見かけることも多いのですが、お茶に比べて少し臭いが強く、少しとろみがあるような気がします。

【喫茶養生記の冒頭です。崩す時で書かれているので多少読みにくいのですが、昔は印刷技術もなく、書写で複製していました】

【喫茶養生記の冒頭です。崩す時で書かれているので多少読みにくいのですが、昔は印刷技術もなく、書写で複製していました】

喫茶養生記の序文は以下のようになります。

茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山谷之を生ずれば其の地神霊なり。人倫之を採れば其の人長命なり。天竺・唐土、同じく之を貴重す。我が朝日本、曾て嗜愛す。

(茶は末代における養生の仙薬であり、人類の寿命をのばす優れた方法である。山谷でこれが生えるところは気高く霊妙な場所であり、茶を採取して飲む人は長命である。インド・中国では茶を貴び重んじ、我が日本でも昔は好んで嗜んでいたものである)

そもそもこの書物の題名『喫茶養生記』。「喫茶」によって「養生」するとはどういうことなのでしょうか。「養」の字は「羊」と「食」に分けられます。古代中国では羊は見た目良いものの象徴でした。ですから「美」は羊のように美しいこと、「義」は羊のようにカッコよいこと、そして「養生」とはひつじのような美味をいただき、長命を願いうことを意味していたのです。

栄西が日本に初めてお茶をもたらしたと言われることがありますが、実際これは違います。栄西自身がこの書き出しに「我が朝日本、曾て嗜愛す」と述べる通り、日本には鎌倉時代よりも前に中国より入っていたのです。

お茶に関する記載で確認できる日本最古の文献は『日本後紀(にほんこうき)』。815年4月22日に、嵯峨天皇が近江に行幸途中に立ち寄った梵釈寺(ぼんしゃくじ)というお寺で、永忠(えいちゅう)という僧都よりお茶を献上された旨が述べられています。

他にも平安京の大内裏に茶園が造営されていたことや、日本天台宗の開祖である最澄が805年に持ち帰った茶樹を植えたことに始まる日吉茶園(大津市坂本)などが確認されます。

序文の続きをもう少し。

伏して惟れば、天、万像を造るに、人を造るを貴しとなす。人、一期を保つに、命を守るを賢しとなす。その一期を保つの源は、養生に在り。
(謹んで考えてみると、天は万象を創造するにあたり、人を造ることを第一に重要とした。その一番大切とする人間が一生を送るためには、命を大事にすることが最も大切であり、その根本は養生にある)

命を大切にすることは今も昔も変わりません。命を守るためには養生こそが大事だと栄西は説いています。さらに続けて…

其の養生の術を示すに、五臓を安んずべし、五臓の中心の臓を王とせむか。心の臓を建立するの方、茶を喫する是れ妙術なり。厥の心の臓弱きときは、則ち五臓皆病を生ず。

(その養生の手立てというと、それは五臓を安泰にすることである。肝臓・肺臓・心臓・脾臓・腎臓の五臓の中では心臓が最も重要であろう。心臓を健全に保つ方法は、喫茶が一番良い。心臓を疎かにすると、五臓は力を失い病気になる)

なぜ心臓の健康を保つために、栄西は喫茶を勧めるのか。それには栄西なりの考えがあるのですが、それは次回説明することにします。