場所について思うこと

第30期(2016年12月-2017年1月)

学生時代に住んだ寮の小綺麗で無機質な感じに愛着が持てなくて、反動のように古い部屋に移り住んだ。
物件の下見で一歩足を踏み入れてすぐに、ここに住みたいと思った和室に引っ越してきて、もうじき2年経つ。

外から日が差すと、ここへ住んで良かったでしょ、と部屋が語りかけてくるように感じる。

疲れきって畳で寝てしまったときも、友達を招いたときも、映像の撮影で十数人のスタッフがぎゅうぎゅう入り込んだときも、部屋を布と糸だらけにしながらミシンを踏んでいたときも、しょうがねえなあと見守られている感覚があった。

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この部屋はずっと好きなのだけど、ここももうじき去ることになる。
日本語しか話せないのは窮屈だなあ、そんな思いもあって(もっと色々ごちゃごちゃあったのだけど割愛して)、今の部屋を引き払って一度実家へ帰った後に、語学留学をしようとしている。

未来の一定期間、身を置く場所を選ぶときに、たいがいネガティブな感情から決めてきた。
それだけが理由ではないにしても、大きな要因であるのは間違いなかった。

中学にあまり良い思い出が無いから、少し離れた高校へ通う。
田舎は嫌だなと思ったから東京へ行く。
なぜやっているのか分からない勉強は苦痛だから、専門学校に入る。
アパレル業界を愛せないと思ったから、衣装や個人の仕事をする。

夢や理想の何かを追って今の場所へ来たのか、我慢が足らずに色んなものから逃げてばかりいるのか傍から見て分からないな、というような感覚は、物心ついてからずっとある。

愛せない場所に居続けたり、心から好いていないもののために動くことがいつもちっともできない。

やむにやまれず飛び出した先で出会った、好きな人たちやもののおかげで生きてこられたと思う。
どうやらそうやってしか、今のところは生きて行きようもないみたいだとも、思う。

それにそういう人やものとは、ずっと繋がることができている。

我儘な生き方だし不真面目にしか見えないよな、とずっと肩身が狭かった。
自分が心を砕くことができるものを根気よく探し続けるのは罪ではない、と思えるようになったのは最近のことだ。

選んだ場所というのは、こっちおいでと私を呼んでくれた場所でもあるはずだ。
まだ見ぬ土地で、きっとまた愛しいものに出会える。

さようなら、また会おう。
もう一度会えるまで、共にした時間をよくよく覚えておこう。

もしできるなら、それを生きる糧にしてくれたらいい。
自分も、きっとそうするだろう。