迷ったときは戻る

第31期(2017年2月-3月)

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ひとはよく迷う。道迷いはもとより、会話においてもだ。
話題が迷走するのである。たちが悪いことに話している当人は迷っていることに気づかないことがしばしばある。
よく分からない結論にいたってようやく我に返り、はたと思う。

僕はなんの話をしていたのだろう。

相手の表情を見るに、こんな話をしたかったわけではなさそうだ。そして理解する。
僕は会話迷子だったのだ。
「泣いて馬謖を斬る」という故事に始まり、董卓と張飛のヒゲ話を繰り広げてしまったのだろう。黒々としたヒゲが後悔となって胸を締め付けてくる。しかしながら関羽のヒゲも捨てがたい。
いったい何を書いているのだ。文章においてもこのように迷子になる。

話の筋が混迷してきたが、つまるところ、ひとはよく迷うのである。

それは、秘境レースを走っていても同様だ。レースに慣れていても道を間違えることもある。
あるというか、当然のごとく迷うのだ。なぜなら秘境という未知なる大地にも関わらず、地図はない(与えられても道がないのであまり役に立たない)。
走っているときにコースを確認するための目印は小さなコーステープだけ。風にゆらめくテープは頼りなげ。それを追いかけてコースをたどって行く。
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余力が残っていると割と順調に見つけられるのだが、疲れてくると見通しのいい砂漠ですら目印を見つけられないことがある。ジャングルなどはなおさらで、生い茂る草木でまったく見つけられないことも。極めつけはテープが緑色だっとき。難度が高すぎて生還できないかもしれないと思う瞬間だった。

そこにきて、アスファルトの上を歩いているだけでスマホやクレジットカードを落とす迂闊なる粗忽者、すなわち僕が走るのだから、大変なことになる。
うっかりとカードを落とすくらいなのだから、当然のごとくコーステープも見落とす。森の中をウロウロすることになる。あっちへ行き、こっちに引き返しを繰り返していると、ランニングレースというよりはひとり探検隊の様相に等しくなる。

疲労困憊なところでテープを見失うと、引き返すのはとても億劫だし勇気がいる。前に進みたい、後続のランナーに追いつかれたくないという心理も働く。そして、引き返すことなく、ひょっとしたらこの先に目印があるはず、と都合のいい考えでそのまま進んでしまう。道迷いの泥沼である(ジャングルでは比喩ではなく本当の沼にもよくはまった)。そして途方に暮れるのだ。

まったく道の見つからない密林の中でも鉄則は同じである。「迷ったら戻る」に尽きる。
最後にテープを見た地点にまで戻る。それしかない。確かなところから続きを始めるのが一番の近道だ。
ただ、迷った挙げ句に我が道を進み続けていたら、本来のコースに復帰できたというケースもある。などと言い出すとなにが正しいのか分からなくなるが、そんなふうに迷ったときはやはり戻ればいい。