文章を書くということ

第31期(2017年2月-3月)

ローマ帝国五賢帝最後の一人、マルクス・アウレリウス・アントニウスは、治世の多くを外敵との戦争に費やしたが、その陣中において、あるいは宮廷において、自分自身を省みるため、また戒めとして、ギリシア語で『自省録』を著した。これはそもそも人に見せるために書かれたものではないため、タイトルは特になく、冒頭「自分自身に」と記されてあったという。
幼い頃より培われた古典的教養に裏打ちされた深い哲学的洞察の結晶であるこの『自省録』は、後世に多大な影響を与えた。彼は、セネカやエピクテトスと並んでストア哲学者と称されるが、プラトンが夢見た、世界史上最初で、おそらく最後の哲人皇帝が、禁欲を重んじ、知識と理性を尊ぶストア哲学者であって、当時最強の権力者であるローマ皇帝として、蛮族との戦いに明け暮れなければならなかったということは、なんとも皮肉なことであると思わざるを得ない。

「もっともよい復讐の方法は自分まで同じ行為をしないことだ。」(第六章・6)
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。」(第七章・59)

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この薄い一冊の本には、およそ人生を生き抜くために必要な多くの名言が散りばめられている。現在の日本でもてはやされている名言集とは一線を画するものであるが、この一冊があれば、他のものは必要ないように私には思える。
二千年近く前、皇帝としての忙しい最中、ただ自らのためだけに書き記されたこの『自省録』が、一冊の本として世に出回ることができたのは、我々後世の人間にとっては多大な幸運であった。

自分の書いたものが図らずも世に行き渡り、多くの人に影響を与えた例は他にもある。

カフカは短い生涯で多くの小説を書いたが、彼はそもそも職業小説家ではなく、保険会社勤めの人であった。趣味で小説を書き、そのいくつかは生前世に出たが、多くは死後、親友であり、彼の文学の才能を見抜いていたマックス・ブロートが、自分の死後、残った原稿はすべて破棄してくれというカフカの遺言を見事に裏切った結果、カフカという偉大な小説家が誕生することとなったのである。遺言を忠実に守り、原稿を灰にしてしまっていたら、一体二十世紀以降の文学の歴史はどのようになっていたのだろうか。

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ヨハネによる福音書の、冒頭の「はじめに言葉があった」という一節は、ヘブライズムとヘレニズムが生み出した、人類の宝とも言うべき言葉であるが、聖書のように、その教えを広く行き渡らせるために作られたものでない場合、その価値が思いがけず見出されるということは、善や悪を見抜く洞察力、あるいは美を認識する判断力が、およそすべての人間に備わっているということの証明になるのかもしれない。ということはつまり、人種や宗教を超えた、何か人間共通の普遍的価値を、まさにその価値が思いがけず見出され、広く世界に広まったということ、その事実そのものに求めることができるのかもしれない。

さて、なぜ人は文章を書くのだろうか?
日本文学史上、唯一の形而上小説と言われる『死霊』、その作者埴谷雄高は、『死霊』の第一章を発表して間もない頃、「何故書くか」という短いエッセイを雑誌『群像』に載せている。そこで彼は、自分の文学は妄想の産物であるとし、そして、なぜ妄想するのかとさらに問われれば、内的自由の追求であると書いている。
この短いエッセイは、『死霊』を書くに至った経緯を表明したものであるが、「内的自由の追求」という言葉を目にした時、何か私のどこかで歯車がしっかりかみ合った気がしたのを思い出す。

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人間が自由意志でできることはわずかしかない。『死霊』の登場人物の一人が語るように、それは、自殺と子供を作らないこと、これのみが人間に残された唯一の自由意志による行動であるとすれば、文章を書くという行動は、一体どのような意味があるのだろうか。性と食の欲望に支配され、人間である以前に動物である我々は、まさに自分自身の存在への抵抗として、様々な芸術、思想、そして宗教を生み出してきた。およそ人間の行動すべてが種の保存の為であるとしても、そこから生み出されるものには、何かそれ以上の価値があるのではないか。
妄想の現れとして言葉を紡ぐという行動があるとすれば、先の皇帝の言葉のように、自身の内を掘り下げ、そこから湧き出る善なるものの追求、その果てしない欲求、ここにこそ人間性を見出せるのではないか。無限に広がるであろう自身の心の奥底では、我々は何ものにも束縛されず、真に自由であるはずだ。
文章を書くということは、その目的が何であれ、人間性の追求、そしてそれは、自分自身を省みることに他ならない。

ここアパートメントでの私の連載は今回が最後である。私のような人間にこのような素敵な場所を提供していただき、とても感謝している。過去に見た映画についての記事が多かったが、自分自身の記憶の整理になり、そういう意味では、大変助かった。映画館に行き、映画を見た、その一作一作が私の大切な思い出となって残っていることがよくわかった。
自分を省みるということの重要性を改めて痛感した。

参考文献:
『自省録』 マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波書店(岩波文庫) 1956年初版
『埴谷雄高集 戦後文学エッセイ選3』 影書房 2005年初版