文字・タイムカプセル

第32期(2017年4月-5月)

二カ月の連載を振り返ると、これまでの自分のこと振り返ってしまった。

こうして、文章を書いているけれど、昔から文字を読むことは好きだった。
他の人が何を楽しんでいるかはよく分からない。
誰かを喜ばせようと行動することもほとんどない。
自分がしたいことをするばかりで、今もそうなってしまっている。

文字とは、絵本や小説が好きだったのではない。
ゲームの説明書をよく読んでいた。
家にはゲームの説明書が多くあった。
それと攻略本もいくつかあったと思う。

僕は読むだけだった。ゲームの説明書なら難しい漢字もなくて自力で読むことができた。
実際にそのゲームをやる機会はあまりなく、それで満足していた。

兄の影響で「週刊少年ジャンプ」を読むようになった。
毎週月曜日、兄がジャンプを買って帰ってくることが楽しみになった。

月曜日のうちに読み終わって、ジャンプをもう一度読み直す。
次の日も読み直して、次の日も読み直して、
最終頁の作者の一言も、読者投稿欄も、隅から隅まですべての文字を読んだ。

面白いから読んでいたというよりは、文字を読みたかった。
学校のテストの採点が終わって添えてある一言も、
誰も読んでいない学級だよりも読んだ。
カードゲームにかかれてているテキストもよく読んだ。
入会こそしないが通信教育の勧誘のために付録されているマンガも読んだ。
これらの内容はどうでもいいようなことだから、覚えていないのだけど、
読んでいたことだけは間違いない。

今でこそ、小説を読むことが多いが、それほど本は好きじゃなかったと思う。
そこにあるストーリーの面白さはあまり理解できないし、
知らない言葉が出てくると面倒だ。

文字を読むことが好きだった。
そこに好きだという意識はあまりなかったけれど。

特に一番好きなことは自分の書いた文字を読むことだ。
読み返すと、こんなことを書いていたのかと思う。
正直に言って、自分の書いた文章は書き終わった時点であまり思い返すことができない。
なんなら書いている途中で読み返しても新鮮な感じもある。
記憶のメモリが小さいのかどんなことを書いていたのか忘れてしまう。
私生活でもスケジュールが慌ただしくなったり、
階段を昇るうちに何をするつもりだったのか忘れたりすることが多い。

そんな状態だから、僕にとって文字を書くということは
そのときの感情やエネルギーを外付けのメモリに保存していることに近い。

文字を書いているときは、自分の中でエネルギーにあふれている瞬間で
集中力が格段に上がる。反面、それしか見えていないこともある。

そんなエネルギーで書いたはずの文字も、忘れてしまうから
いつ読み返してみても自分の文章を新鮮な気持ちで読むことができる。
それはおもしろいとかおもしろくないとかが基準じゃなくて、
自分がこんななことを考えている人間だと知るきっかけになっている。

文字を書くことはタイムカプセルを埋めているようだ。
タイムカプセルを埋めたことなんてないけど、きっと間違いない。
この場での連載も、ネット上にあふれるたくさんの文字に埋もれていってしまう。

だけど、僕はたまに掘り返しにくる。
文字を書くことのエネルギーも一緒に眠っているはずだから。