頑張れと言ってみること

第32期(2017年4月-5月)

頑張れっていう言葉はあんまり好きじゃなかった。
頑張っている人には頑張れなんて言う必要はない。
頑張ってない人にだけ言えばいい。

だから、頑張れという言葉は
「頑張ってないように見えるぞ」
という意味なんじゃないかと思っていた。

高校野球の応援は、今でもよく覚えている。
バックスクリーンに反射する掛け声、
グラウンドを揺らすブラスバンド。
湿気のある夏の球場にはたくさんの応援があった。

特別に野球が上手いわけでもなく、
状況を打開する力があったわけでもない。
僕が代打を告げられた最初の打席は、最後の打席になった。

高校野球を引退してからも、
応援の意味をぼんやりと考えていた。
プロ野球の舞台でも、甲子園でもなく
かっこ悪い僕を応援してくれる人がいたのはなぜだろう。嬉しかったけれど、わからなかった。

トライアスロンは個人競技だ。
野球のようなレギュラー争いもなく、
自分勝手にスポーツを楽しめると思った。

実際に自由に自分で出場するレースを選んでいた。
そうすると、自分が出ないレースを応援する機会が増えた。

自分でなんでもやりたかったから、個人競技を選んだはずなのに、なぜだか応援することの方が多かったかもしれない。

初めてトライアスロンのレースを見たとき、なんと言えばいいのか分からなかった。
頑張っているように見える先輩たちに、わざわざ頑張れなんて言う必要はない。頑張れなんて言うのは馬鹿にしてしまっているんじゃないか。

だけど、僕は頑張れと言った。
何か言いたくて、それしか思いつかなかったから。

レースが終わると
頑張っていた先輩がありがとうと言ってくれた。
応援してくれてありがとう。声をかけてくれて嬉しかった。そう言ってくれた。

僕自身がレースに出たとき、その人は頑張れと言ってくれた。確かに頑張れと言われて力が湧いてきた。それまでだって頑張っていたと思うけど、何か他の力があるような気がした。

「頑張れ」という意味じゃなくて
「頑張れと言うこと」に意味がある気がする。

もし、誰かを応援したくなったら頑張れと言えばいい。
もし、誰かに応援して欲しかったら頑張れと言えばいい。

難しいことなんて何もなかった。