入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

もう何も考えられないくらい走ると……

当番ノート 第32期

大学2年生の夏休み。
神戸から東京へ走って帰ろうとした。

そこに比喩とかはなくて、走って帰ろうとした。
荷物はハードカバーの本が入らないくらいの小さなリュック一つ。

中身は、スマホの充電器と
何万円かチャージしたSuica、財布
それと、Tシャツとランニング用パンツ

ほとんどノープランで、
なんとかなるかなあと思っていた。

結論から言うと、そんな甘いことはなかった。
神戸から三重県伊賀市で諦めた。
3日目のお昼頃、距離にして110キロくらい。

失敗の要因はたくさんある。
その中で1番大きなことは、野宿を試みたことだと思う。
挑戦初日は、幸運なことに大阪でトライアスロンで知り合った先輩の自宅に泊めさせてもらった。約30キロ走った疲労もそこそこ回復できた。

翌日は朝から走り続け65キロくらいで、伊賀についた。夏だから野宿をしようと当初から決めていたので、野宿を試みる。眠ることはできなかった。
夜は思いの外寒いし、何より怖かった。
公園のような場所は、深夜でも人が歩いて、その気配を感じて眠ることなんてできない。むしろ警戒してしまい、目が冴えてくる。
疲れているはずなのに、人生でこれ以上ないくらいに疲弊しているのに、眠ることはできない。

寝ることを諦めて、深夜にまた走り出そうとすると、奇跡的に24時間営業のファミレスを見つけた。そこで寝た。

そんな状態で次の日に走れるはずがない。
走るというか、10キロくらい足を引きずるように歩き続けた。あまりにも遅いペースに愕然として、無理っぽいなと思う。
まったく足が動かなくなると、走って帰ることを諦めた。

諦めてからが地獄だった。
最短ルートを求めて田舎道を使っていたから、
一番近くの駅までもそれなりに距離がある。
体力と精神のピークはすでにきている。
そして、諦める決意をしたことによってモチベーションと存在しない。その場で寝ていたかった。

その道中で考えていたことは
参覲交代って大変だなあということだ。
走るわけではないから、条件は異なるけれど、
ほぼ同じ道を、むしろ舗装もされていない道を、
自分の足で進んでいくことの大変さは身にしみて分かっている。
日本史の教科書で学ぶ参覲交代の意味と
自分で勝手に汲み取った参覲交代の辛さは
決して同じものではない。

これをやってみて気づいたことは他にもある。
それはどれも当たり前のことで、
AイコールA
みたいな、新しくもなんともないことだ。
だけど、そのときに気づいたことは
すごく大事なような気がしている。

夜は暗い
誰でも知ってることだと思う。
だけど、走っているときに思った。
夜は暗い。そして怖い。
闇を言葉じゃなくて、身体で感じた。
伊賀市

足を前に出すと進む
疲れ果ててまったく進むことができないとき、
足を前に出すと進んだ。何時間のうちに何回か繰り返すとけっこう進んでいる。普段なら数えるまでもなく、一瞬で通り抜ける程度の距離だったけど、あのとき進まなかったら進んでいなかった。

走り続けていると、ずっと同じことを考えていられる。
普段の生活の中で、1日中同じことを考えている日って
あまりないんじゃないだろうか。

そして、考え切ると当たり前のことしか思い浮かばなくなる。考えて考えて、生み出されたものは
考えなくてもいいようなもの。
どうしてそれが出てきたのだろうか。
どうしてそれが大切なことのような気がするのだろうか。

もう、おそらく走って東京まで帰ろうなんて思うことはないだろうけど、その先を考えてみたくはなる。
当たり前が転がっている世界を走り続けたら、
ゴールすることができるだろうか。

ムコーダ マコト

ムコーダ マコト

作家・トライアスロンライター
1994年5月生まれ
第5回阿久悠作詞賞佳作
第7回倉橋由美子文芸賞佳作
2016年8月世界ロングディスタンストライアスロン選手権出場
2017年3月野外演劇『常陸坊海尊』出演
小説を書いたり、トライアスロンをしたり、役者をしたり、
たくさんのことをしたい。

Reviewed by
浅井 真理子

「頭ではわかっている」ことがある。それが心からわかるようになるときって、どんなときなんだろう。どうして途方もない距離を走ったとき、心からわかることがあったんだろう。目的地に着くことよりもずっと貴重なものを手に入れられたことが、読んでいて嬉しくなった。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る