食卓のレモネードと豆腐

第33期(2017年6月-7月)

「いま、とある事情で共同生活してるのですが個性的すぎてもうストレス溜まってきました。寮で暮らしてて朝から夜まで一緒です。1人部屋ですが友人が乱入してきて断れないので夜更かししてしまいます。どうやったらストレスを感じずに楽しく共同生活を送れるでしょうか。」

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2年前の夏、友達3人と車でアメリカを横断した。そのとき、一本道、ひたすら地平を追い続ける車中で、暇を明かすべく「究極に真摯なお悩み相談」なるものを試みた。SNSでお悩みを募集して、車内で1つにつき30分ぐらい議論して、回答をまたSNSにアップする。意外と多様な悩みが集まって、議論は諤々盛り上がり(ときに対立し)、「究極」だったかはともかく、車内アクティビティとしてはなかなかナイスなアイディアだった。

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それを、久しぶりにやろうということになった。先週末。横断を共にした友達が引っ越したと言うので、新居にお邪魔して食卓を囲み、鯖サンドを食べているときだった。急な思いつきだったため、お悩みはYahoo!知恵袋からピックアップすることにした。

でもさあ、それってそもそもさあー、この人の悩みの源泉はそういうとこにはないと思う、云々。喉が乾いたら、レモネードの素に炭酸水をつぎたしながら、どこの誰とも知らない人生に口を出した気になるのはちょっと楽しい。勝手に議論した挙句の回答は、知恵袋に還元した。

食卓は、そういう機能を持っているものだ。と思う。くだらない話題、間延びした返事、不必要で非生産的な会話を育てる、機能だ。会社のデスクとも、カフェのローテーブルとも違う。もっとだるくて、時間制限のない、椅子の上であぐらをかいたりするような。食べ物や飲み物が手慰みに、会話のすきまを取りもってくれる。

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下宿も、食卓がコミュニケーションを司っていた。

大家のおばさんが暮らす母屋と、下宿生それぞれの自室がある棟は別だったのだが、朝ご飯と夜ご飯はいつもおばさんが作ってくれて、母屋で食べる。

朝は7時前から8時半くらいのあいだ(私は朝起きれない人間なので、あんまりまともに食べずにダッシュで登校していたけど)。夜は下校後の18時から20時くらいのあいだに。というのがおよその決まりで、20時を過ぎても食べに来なかったら、おばさんが母屋と居室をつなぐインターホンを鳴らしてくれた。

「食べにこんの?」「……爆睡してました。今から行きます」

休日や試験期間中、部活がない日は、陽が高いうちから食卓に入り浸った。おばさんがヘナで髪を染めているのを横目にバナナを剥いて、「今日の晩ご飯は何ですか」「カレーしようかな思て」「はーい」。

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あるいは他の下宿生と一緒に、物言わず本を読んだり、宿題の端に牛乳をこぼしたり、椅子の上のクッションから飛び出た糸を引きちぎったり、ピアノを弾いたり、携帯をいじったり、扇風機にあーーっと叫んだりした。それから、この食卓は近所の人たちの溜まり場でもあって、その隣に居座っていたおかげで、私は耳年増になっていった。

壁時計が6時を指すころには、近所の人々は帰っていく。私たちも本を閉じ、ピアノにいったん蓋をして食事の支度をする。次第に残りの下宿生たちもぞろぞろ母屋に集まって、晩ご飯が始まる。

「みんなでいただきます」とかいう風習は無くて、来た人から順番に食べる。食べ終わったらもちろん自室に帰って良いのだけど、大概みんな椅子でだらだらしていた。食卓の椅子は6個。下宿生は総勢10人くらい。足りなくなったら予備の椅子を持ってきて、食卓のまわりに無理やり詰め込んだ。私はしばしば、卓の四つ角を股ではさみながらカレーを食べていた。

食卓での会話は雑多だった。学校の先生へ文句を垂れたり、模試の問題が意味不明だったことに怒ったり、好きな歌手の新曲を賞賛したり。どんな進路を選ぶべきかということ、学校でどんな事件があったか、どんな嬉しいことがあったか。「あの人が豆腐だったとするじゃん」と謎の比喩でもって恋愛相談がなされることも茶飯事だった(相談事に下宿は便利だ。10人の同年代+人生経験80年のおばさんの知恵が借りられる。ちなみにおばさんは、宝塚に憧れる少女時代、戦争を経て、人生で一度だけ大きな恋愛をしたあとお見合い結婚した)。そして豆腐の比喩で語られたその人は、以降下宿内で「豆腐」とあだ名されることになる。「先輩、今日は豆腐とどうでした?」「豆腐が全然メール返してくれない」など。

そんな駄弁は毎日毎日、延々と続いて、夜12時をまわることもあった。

10人もいれば性格や嗜好は多様だったし、中1から高3、最大5歳の年齢差があると人生のフェーズも微妙に違う。でも、同じ学校に通っているという土壌、毎日話しているからこそ分け合える温度。あらゆる前提を共有しているからこそ、それに「上乗せ」するだけで良い会話。

下宿を思い出すとき、一番に浮かぶのは、蜘蛛の巣の隙間から覗く窓外の山並みでも、毎日8時間くらいを共にしていた枕でもなく(この枕は今でも使っている)、どうしてか絶対に、食卓なのだ。もちろん、食卓があたたかい場所であったのは、ひとりになれる自室が確保されていたからこそだとも思うけど(冒頭のお悩みのような共同生活はつらい)。

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いまでも下宿に帰省すると、私は(というか卒業生はみんな)すぐに食卓に馴染んでしまう。応接セットよりも、食卓に。緑色の合皮の背もたれに身体を預けて、机を覆うビニールシートに頬杖をついて、素焼きの小さいカップにちまちま牛乳を注ぐ。8年離れても、ごく自然に。

たぶんどこよりも、おかえりー、という言葉が似合う場所。だから私は、下宿というよりむしろこの食卓で育ったような気すらするのだし、東京に来てからも、そういう「食卓」を囲んで心地良く過ごせる人は、つい信用してしまうのだ。