横浜アリーナと武道館

第33期(2017年6月-7月)

プレイリスト作りが難航している。

職場の向かいの席の人から、RADWIMPSでひろやすさんが好きな曲を詰め込んだリストをくれという要望をもらったので、ハイ喜んでと答えたものの、いざ並べてみるとしっくりこない。好きな曲だけだとやっぱバランスがね。リストには流れってものがあるし。緩急とか。その人の音楽の好みも考慮しないと。「前前前世」は入れとくべきか。

RADWIMPSってバンドが好きです。というのを触れ回って8年くらい経つ。本当はもっと前から好きだけど、これを趣味として積極的に自己紹介に起用しはじめたのは大学に入ってからだ。

RADWIMPS(略称RAD)は、映画「君の名は。」で「お茶の間」にも知られるようになったが、私くらいの世代にとっては中高生のころよく聴いてた懐かしーバンド、というイメージが強いだろうか。ふたりごととか。トレモロとか。いいんですかとか。カラオケのリモコンの履歴100に絶対入っていた。

確かにRADは中高生がよく聴くバンドだ。今も昔も。珍しいほどファンの年代が変わらない。ファンが卒業しては入学してくる、換気性にすぐれたバンドなのだ。と、これは本人たちも自認している。

ただ私はいつまでも卒業できずに、のらくらと留年を繰り返し、教室がライブハウスからアリーナに移ったあとも、その隅っこで手を挙げつづけている。手というか拳を。身体を揺らしながら。

RADを知ったのは15歳のころ、中学3年生くらい。小学校からの幼馴染がRADの3枚目のアルバムを熱烈に勧めてきたのだった。その数ヶ月後に「有心論」という曲が出て、私はその歌詞にぽかんと穴を開けられた。

当時、歌詞画という画像が流行っていて、私は早速、外国人の男の子が淡い色調の中で意味深にうつむいてる横に「誰もはじっこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろ」と手書き風フォントであしらってある歌詞画を携帯の待ち受けにした。

とはいえあくまで好きなバンドの一つにすぎなかったRADが、完全に私の趣味の一カテゴリを成すようになったのは、17歳のときだった。

***

それは、下宿に入ってて良かったなあと思うことランキング番外編1位、くらいの出来事なのだが、ある夏の日、下宿の同級生と二人で、こっそり横浜に出かけたのだった。親には内緒で、下宿のおばさんには「帰省する」と言い訳して、学校の夏休み特別授業は1コマくらい休んだような気がする。

今思えば、稼ぎもないくせに大嘘つきの馬鹿野郎だが、どうしても行きたくて、岡山駅から夜行バスに乗った。RADの一夜限りの特別ライブ、試しにチケットに応募したら取れてしまったのだ。横浜アリーナのセンター立見Aブロック、整理番号40番と41番。

岡山のとあるコンビニでプレミア級のチケットを発券してしまった私たちは、ある程度綿密に計画を立て、門限も詮索もない下宿のお陰で、8月の終わりの夜、まんまと町を抜け出した。

ライブは、素晴らしかった。私は背が低いので、開場になると人波をするするくぐりぬけて最前列のど真ん中にたどりついた。弾力ある柵にしがみついて、3時間。

あの日、少し雨が降った日、
それはまるで、まるで夢の景色のように、美しい舞台だった。*

とでも言いたくなるような鳥肌のセットリスト、演出、声の調子、アンコールは4度も。RADのツアー広島公演は観に行ったことがあったけど、それとは比べ物にならない。

さんざん目を見開き続けてライブが終わり、なぜここにいるのかわからないような放心状態で、私はふと後ろを振り返ったのだが、途端、かろうじて握っていた気力も手から離れていった。

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たぶんそんなにたくさんの人間を、いっぺんに視界に入れたのが初めてだったのだ。数を、数字としてではなくて、そのまま塊として感覚したのが初めてだったのだ。

横浜アリーナは、広かった。

しかもこの人たちの大部分は、私と同じように、いそいそとCDを買って何度何度も再生して、ここに辿りついた。私が田んぼの前で、彼岸花に遠慮しながら口ずさんだ歌を、この人は埼玉とかの田んぼで、この人は高知とかの海で、この人はどっかもっと都会のマンションで、同じように歌ったことがあるのだ。そんな各々の成り行きが、ここには1万数千人ぶん並行して流れている。

中には、音楽雑誌の記者や同業のミュージシャンもいただろう。一夜限りのライブだし。横浜だし。1ヶ月後にこの空間は記事となり、1年後にそのミュージシャンとの共作がリリースされるかもしれない。それは、まさに私が立ち会った、このライブが起点となってのことなのだ。

そういう好意や期待が一方的に注がれたステージで、バンドは演奏していたのだと思うと、くらくらした。

放心したまま、帰りにラーメン博物館に寄った(横浜の名所をそれくらいしか知らなかった)けど、ちっとも食べられなかった。その夜は安い宿に泊まって、翌日新幹線で下宿に帰った。次の日は定期テストで、車内で一生懸命世界史のノートを開いて勉強しようとしたもののまるで入ってこなかった。

ろくに食欲がわかないのが数日続いて、それで、やっぱり高校を卒業したら東京に行こうと思った。

***

いまだに強烈な記憶だ。

転機というには陳腐、ありふれたエピソードだと思うけど、私自身にとっては特別な出来事で、だから今でも私はRADから逃れられない。好きな芸能人に対して「もはや母性」と言う人たちに近い感覚かもしれない。「推しキャラは何をしてくれても有り難し」。「長年追っかけてるアイドルのグッズを購入するのは、お布施みたいなもの」。

もう単なる好きではなくて、思い入れゆえに勝手に借りがあるような気になっている。新曲はとりあえず納税のごとく購入。

最近のライブでは、らっどさいこーって叫んでる中高生を横目に、君たちもこれを聴いて育つのね〜良きかなよきかな、という境地だ。実際、先月武道館での公演に行ってきたのだが、あれがかつての私のように何かの引き金になった人もいるだろう。

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もちろん、新曲も素直に良いなと思うし、才能や人気に驕らないバンドだから毎回のライブも楽しい。でも、評価も好みすらも度外視した「無条件の好き」を表明することは、ときに歯がゆい。それを自分のアイデンティティの中に取り込んで、利用しているような気になるから。まあ、RADに限ったことではないけども。

人に伝えるための好き。見せ方。見え方。褒められ方。面白がられ方。だんだん趣味も習慣も経験も、そういうものに変質していくような気がして怖くなる。だって横浜アリーナで失われた食欲も、こうして小さなエッセイのネタになるのだから。

そんなことを疑っているから、同僚に渡すプレイリストはなかなかまとまらない。これを入れるのが正解、無難、そこにちょっとの意外性。相手の受け取り方を気にして、ここでも趣味は道具だ。

そうじゃなくて、そもそも私はRADの何が好きなんだっけ。人生を揺るがされただなんて、そんな劇的な露は払って、私が心底良いと思うもの、すごいと感じるもの、つまり吐きたいくらい好きだと思うものはどこにあるのだったっけ。

せっかく「ひろやすさんが好きな曲を」と言ってくれているのだから、相手のことを思いやらない答えを出したい。

プレイリストは難航している。

*補足元ネタ