終わりのない夏

第34期(2017年8月-9月)

大学生のある時期、とにかく朝日が見たかった。
2015-11-07 06.13.43-2

真直ぐな水平線に浮かぶ太陽。熊本にいたときは地理的に見えなかったし、憧れだったのは確かだけど、帰省帰りの大きな荷物を抱えたまま、真夜中に何キロも歩いて見に行くほどの衝動に僕を駆ったのは、フェネスの”Endless Summer”だった。

僕が買った”Endless Summer”はオリジナルのジャケットじゃなかった。オリジナルのジャケットはもっとこう、刹那的な夏のイメージが頭の中を頻りに交通している感じなのだけど、僕の買ったデラックス板のジャケットでは、茜色の水平線の上に太陽が静止していて、寧ろ時間が引き延ばされているような印象だ。

ノイズ系の音楽の入門にと思って買ったこの名盤をひとたび聴いて以来、僕の頭の中の夏のイメージに、このジャケットの中の太陽がこべり着いて取れなくなってしまった。

8月の終わりに朝日を見に行こうと思ったら、選択肢は一つだった。実家から東京に戻るのが8月30日だったから、最終便で羽田に降りて近場の水平線を目指すのだ。写真が趣味の先輩に聞いたら、羽田の近くなら城南島海浜公園が良いと言われて、午前4時に友達と公園で待ち合わせた。

終電で立会川駅まで来て、そこをスタート地点に歩き始めた。最寄り駅とも言い難いし、今となってはなぜそこを選んだのか分からない。適当に、公園の方角に向かって2時間も歩けば着くだろうと踏んで、大きな団地を抜けて、公園で深夜のランニングに励む人とすれ違い、そこから伸びる白い橋を渡って、新幹線の整備場を見下ろして、運送会社の集積所を望みながら……

おかしい。この記憶は改竄されている。地図上で覚えている景色を辿っていくと、僕は一度立会川から大井埠頭の東側まで抜けて、旋回して立会川方面の八潮まで戻ったことになる。これらの記憶の後、八潮5丁目のローソンに立ち寄ったことだけは確かだから。しかし実際、このとき僕は無自覚に迷子になっていた。ローソンにたむろしていた若い女性2人組が、僕の大きなスーツケースを見て話しかけてきた。

「この辺ですか?送っていきましょうか?」
「いえ、大丈夫です。城南島海浜公園ってどっちですか?」
「はぁ?歩いていくんですか?」

尚更車に乗ることを薦められたのだけれど、丁重にお断りした。知らない人の車に乗ってはいけない。しばらく道なりに歩いていると、後ろからクラクションが鳴った。

「そっちじゃないですよ」

取って食うわけじゃないんだから、と言われて渋々車に乗り込む。なぜわざわざ追いかけてまで乗せてくれたのか、そのとき僕は不遜にも怪しんでしまったけれど、八潮の団地が僕にとって異界の迷宮だったように、向こうからすれば僕は異界から来た冒険者に見えたのだろうか?一体何者で、何しに来たのか質問が飛んできて、大学生であること、熊本から戻ってきたばかりであること、別にキャンプに来たわけではないこと、このあと友達と待ち合わせていること、とにかく待ち合わせていること……ただ朝日を見に来ただけとは、なぜか言えなかった。

公園に到着すると、友達は自転車で既に到着して、ベンチの上に堂々と仰臥していた。彼を起こすでも無く、対岸のお台場の明かりを眺めながら一人で”Endless Summer”を聴いて朝日が昇るのを待っていた。

待ちかねた太陽は、あっさりと昇った。日頃の職場に出勤するようにさばさばと。「おー。昇りましたねー。」なんて、感想でも何でも無いことを友達が言っている横で、僕はその朝日をカメラに収めるタイミングを計り兼ねていた。あのジャケットに印刷された、じりじりと永遠に間延びした時間はどの瞬間だったのか。手当り次第に撮ってみたけど、カメラにも、僕の目にもその瞬間は訪れなかったのだった。

帰り道は二人とも、大きな荷物を転がしながら、遮るものの無い埋め立て地の広い歩道をとぼとぼと歩いた。

夏休みを過ぎたら、もはやそれは夏ではなくただ早く過ぎて欲しいだけの暑い日々だけど、だからこそ8月の終わりが「終わらない夏」を感じられる瞬間だと思った。でも太陽は、8月だろうが9月だろうが、自分の仕事をする。傾斜を強める太陽から逃れられず、僕はただただ早く、この道のりが尽きれば良いと思って歩いた。

突然の「朝日を見に行こう」なんて呼びかけに応えて、白い自転車でやってきてくれた彼に、あのとき僕は”Endless Summer”の話をしただろうか?大井競馬場の駅で別れたときに「ありがとう」一言でも言っただろうか?今思えば、生産性の無い無茶な遊びに、わけも話さぬままに人を巻き込んでしまった。

そんな我が儘とも知らぬ間に付き合ってくれた人達の心の内が、永遠に宙吊りのままの夏の思い出。