現在の庭

第34期(2017年8月-9月)

「蒐集」と書いて読みは「しゅうしゅう」だが、僕は最近まで読み方を知らなかった。

「蒐」の字面から、コレクションの完成のために生活を省みず私財を擲ち、修羅道を往く鬼の如きコレクターの姿を想像して、「収集」とは別個の単語だと認識していた。実際は、殆んど同じ意味で使われている。(似たような勘違いをしたことのある人もいるのでは?)僕の場合、初めて見た「蒐集家」という肩書の人物の写真の形相がそうしたイメージを刷り込んでしまった。東京で暮らし始めたころに行った展覧会で見た男。7、8年は前のことだろうだから、もはや誰かは思い出せないけれど。

東京に来てからの8年来、あるはそれ以前から、僕はCDとかレコードとか音楽を記録している物理媒体を収集している。収集しているとの自覚を得たのは比較的最近で(そうして「収集」と「蒐集」の違いについて調べようとしたのである)、それまでは、「素晴らしい音楽に出会うために集めているのであって、集めるために集めているのではない」と思っていた。しかしこれまで自他に向けて使ってきた言い訳「中古でCDを買う方が安い」「レンタル店には在庫がない」「棚に並んでいるものから選ぶ楽しみがある」等々は今や殆んどが駆逐されてしまった。「配信されていない音楽を聴きたい」という言葉が共感を得にくいほど、最近のストリーミングサービスは充実している。僕自身、気になる音源はまず検索する。それでもレコード屋に通うのを止められないのは、自分の足を動かして、モノを探して集めること自体が好きだ、ということなんだろう。

とはいえ、「知らなかった素晴らしい音楽に出会う」ことが無上の喜びであって、ネットサーフィンもレコード屋通いも所詮はその一つの手段だ、という確かな実感もある。と、言うより、そう思えるほどの、それまでの投資や足労を肯定させる素晴らしい音楽との出会いもある。

中古レコード屋というのは定期的に古い在庫を安売りするのだけど、大抵「対象商品○点をお買い上げで○%引き」という具合に、めぼしいものを1枚や2枚を手にしただけでは帰してくれない仕組みになっている。去年の秋口ごろのある日も、「対象商品が5品まとめ買いで40%OFF」とかになるセールで、数合わせの残り一品を探していた。

この「残り一品」を探すのは特に時間がかかる。一通り、心当たりのある棚に目を通してめぼしいものは既に手に取った上で1枚足りない場合、満足のいく買い物を完成させるための最後の1ピースを見つけるために、既に見た棚の中をもう一度探索する必要がある。先ほどは見過ごした未知の作品達の秘めたる魅力を嗅ぎ取らなければならない。

2回目の「プログレッシブ・ロック」のCDの棚の中に割引対象商品を見つけた。

粗末な厚紙のケースに、買ったまま剥がされていない値札というその装いだけに、先ほどは一瞥しただけで気にも留めなかったのであろう作品。ジャケットは一面灰色の大理石のマーブル模様、中央に男の写真、写真の上に黄色の文字で”invisible”とある。そして値札の備考欄に「アルゼンチンギタリスト」と書かれていた。その場で作品名を検索し、アルゼンチンでは有名な作品であることを確認して、2時間以上かけた買い物にケリをつけた。

写真の青年の肌は、汗塩か、土埃か、あるいは化粧の崩れたピエロなのか白く煤け、作り物のように赤い唇と、伏したまま虚を見つめている瞳からは、生気が感じられない。いわゆる「ジャケ買い」をしたくなるほどの印象は決して得ていない。「アルゼンチン」という但書きがなければ、きっとその作品を買わなかったと思う。

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僕、というより僕たち兄弟のアルゼンチンへの憧れは間違いなく、父が夕飯後の食器洗いを終えた後、家の大きなオーディオセットでかけていた「リベルタンゴ」のせいだ。

父は若い頃からオーディオが趣味で、独身の頃にはいくつもアンプを持っていて、レコードのコレクションもあったらしい。父は、働き始めた東京を離れ故郷の熊本に戻り、母と結婚し、兄が生まれ、僕の人生が始まる前の間に、それらの殆どを他所にあげてしまった。父が手元に残した音楽。僕がリビングにいる間にかけていたレコードの多くはジャズかローリングストーンズで、当時僕には良さが分からなかった。CD棚にはピアソラの”Tango: Zero Hour”とか、ブエナビスタ・ソシアル・クラブとかミッシェル・カミロ&トマティートとかラテン系の音楽もあって、たまにかかっていた。

僕が中学生だったある晩、父と兄がバンドネオンという神秘的な楽器の話をするので、僕は初めてスピーカーから流れていた「リベルタンゴ」に耳を傾けた。その頃自主的に聴いていたJ-POPやハード・ロックにはなかった、乾いた哀愁と情熱に心を奪われた。

いつもかかっていた「リベルタンゴ」は、チェロの音が印象的だったので、ピアソラではなくヨーヨー・マの一団の演奏だったかもしれない。いずれにしても、以来この「リベルタンゴ」は兄弟のお気に入りになって、熊本を離れた兄はいつからかバンドネオンを弾くようになった。僕はアルゼンチンに行きたくて、大学の第二外国語でスペイン語を選択した。

哀愁の何たるか、当時の僕は解っていたのか?あるいはその瞬間に発見したのかもしれない。未分化だった何かがその時分かれたのかもしれない。

買ってきた中で、ただ一つ名前も知らなかったバンド”Invisible”の作品を最初に聴くことにした。タイトルは”El Jardin de los Presentes”。僕の拙いスペイン語脳によれば、「現在の庭」だ。

紙のケースからはビニールが剥がされること無く、入れ口のある側面だけが裂かれている。前の持ち主にとって、その扱いが丁寧だったのか粗略だったのか分からない。期待すべきや否や、分からない中で聴く楽しみもある。

実家に比べて10分の一の体積も無い、ささやかなオーディオセットのプレーヤーにCDを入れる。再生ボタンを押してすぐ聞こえてきた声に、耳が釘付けになった。洗濯でもしながら聴こうと思っていたことは忘れた。38分間、ただただ背もたれの無い椅子に座って、耳を澄ました。

あのとき聞いた哀愁より、もっと痛切な、空虚を劈くような歌声。それを静かに、繊細に包む憂愁のプログレッシブ・ロックのバンドサウンドと、歌声に寄り添うあの哀愁を込めたバンドネオンの音色。

声の主であるルイス・アルベルト・スピネッタは、60年代から40年にわたり一線で活躍した、「アルゼンチンロックの父」とも呼ばれる御人。インヴィジブレはスピネッタがアルメンドラ、ペスカード・ラビオーソを経て結成したバンドで、”El Jardin de los Presentes”はインヴィジブレとして最後の作品になる。76年、アルゼンチンで軍事政権が樹立するまさにその期間に制作された。その後の弾圧から逃れるために仲間の音楽家達が亡命する中、スピネッタは自らの名で、弾圧からの自由や戦争への批判を歌い続けることになる。

僕と殆んど歳の変わらないスピネッタの声が湛える悲痛な響きは、その歴史的な現在への深い失望と怒りが生んだのだろう。僕は全く不意を突かれて、その声に堪えるしかなかった。

現在までに、我が家のスピネッタの作品は11枚に増えた。こうして、偶然の出会いがコレクションを加速させる。

ところでネットも無かった時代の父は、どうやって音楽を探していたのだろう。最近判ったことには、どうやら父が東京にいた頃通っていた店と同じレコード屋に僕は通っているらしい。父も同じように、偶然を重ねてコレクションを増やしていったのだろうか。蒐集家の血、なのか、期せずして趣味は伝承される。

僕は父の趣味について、片鱗しか知らないはずなのだけれど。