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2F/当番ノート

故郷のこと

当番ノート 第37期

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故郷のことを思い出すことが増えた。
とくにアパートメントで文章を書くことになってから、何を書こうか、と考えるとき、何度も故郷の風景が浮かぶ。

でも、故郷の、何が書きたいのだろう。

天井に貼られた星座表。自分を宇宙人だと語った父の小話。毎日犬と歩いた散歩道。何でもない朝ごはんの風景。はげしい兄弟喧嘩。夏休みのプールとキッズウォー。
とめどなく、色んな風景が浮かんでは消え、どれに、どんな言葉を添えたらいいのか、分からない。

大好きだったけれど、大嫌いだった、故郷。
今も私の家族が暮らしている、故郷。

東京に来てもうずいぶんと時間が経った気がする。
今では、生まれてから長い間過ごしたはずの故郷に戻っても、なんだか勝手がわからず、どう過ごしたらいいのかわからない。
東北から東京に戻る高速バス。荒川を渡る時の風景が、好きだ。川の向こうに無数の、人々が住むマンションや家々が見える。なぜだかほっとする自分がいる。そしていよいよ、バスを降りて新宿の雑踏に立ってみると、空気がぴとっと肌に合って、日常の空気に包まれるような気がするのだ。

故郷を出ようと思ったのはいつの頃だったのだろうか。

幼い頃から、幸せになれないことを恐れていた。
いつの頃からか、家族が大嫌いになった。
いつの頃からか、ここではないどこかを夢見るようになっていた。
もっと広い世界、もっとすごい世界。
今はまだ仮の場所。次に、行かなければ。
そこに行けば、幸せになれる。

実家にいることが耐えられなくて、中学卒業と同時に家を出て叔母の家で暮らした。地元の狭い世界に耐えられなくて、大学からは東京に出た。

嫌いなものは、よく見ずに、次の場所へ逃げた。逃げることでしか自分を守れないこともあった。そのために努力をした。けれど、今いる場所を好きになる努力をしたことはなかった。

東京に来てしばらくして、このままの生き方ではもう
生きていけないと思った。時間はとてもかかったけれどどうにかやっと、変わることができたように思う。今は、今の自分でここで幸せになる努力をしている。

長いあいだ忘れていた風景が蘇ってくる。何かが押し出されるみたいに、胸の奥がギュッとなる。
庭にあったブランコの、プラスチックの椅子が割れていたこと。ばあちゃんといつも行った田んぼの横には蛇苺があって、水の流れる音がきれいだったこと。夜ごはんの後に母がむいてくれる果物が好きだったこと。

浮かんでくるのは、私が大好きだった頃の故郷。いや、好きだとか嫌いだとか、判断もつかない、自分とあの場所がまだぴったりとくっついていた頃のこと。私はあの場所で生きていた。きっとたくさん守られながら、育っていた。まっさらな目で見たあの頃の風景は鮮やかだった。
生まれた時に人生で初めて吸い込んだ空気は肺の奥に残っている、という話を思い出す。
あの頃に見た風景は私の一番底の方に染み込んでいて、ずっと消えないのかもしれない。

大好きだったはずなのに嫌いになってしまった。
色んな人が懸命に生きたはずの時間や守ってきた場所を、こんなものいらない、くだらないと、私は踏みつけて進んだ。
故郷に帰る度に自分の存在が人を不幸にしたのではないかと怖くなる。つらかった、確かにあの時私はあぁするしかなかった、でも、じゃあ、私じゃなければよかったんじゃないか。
大嫌いだと言いながら、どうしたってあの人たちの不幸は願えなくて、嫌いだ嫌いだと騒いでいたのが愛を求めた喚きだったのだと今ではわかる。

ほんの少し前まで、故郷は私を傷つけた場所でしかなかったはずだった。苦しかった思いが生々しくて、その延長上に生きていて、恨むことで自分を守っていた。
今、あの鮮やかな風景の方が真っ先に浮かぶのは、思えばとても大きな変化なのかもしれない。

まだ、間に合うだろうか。大切にしたい風景のあったあの場所のこと、そこにいた人たちのことを、今からでも、愛でることはできるだろうか。

私と故郷の関係は、これからど変化していくのだろう。焦る気持ちを抑えて、とりあえず。
用もないけれど東京のお土産を持って、来月辺り、帰ってみようか。それで今の私の目で、もう一度、故郷をちゃんと見てみたい、と思う。

鈴木 睦海

鈴木 睦海

1988年に、福島県白河市で生まれ、育ちました 今は東京で、役者というものをやっています

Reviewed by
猫田 耳子

「家族」にはそれぞれのかたちがあるように、「故郷」にも人それぞれのいろかたちがあるはずで。
愛するために必要な距離が3メートルのひともいれば、30万キロメートルのひともいる。
近いから良い、遠いから悪い、の話ではなく。そこには最適な距離が横たわっているというだけの話。

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