桜の木の下から

第37期(2018年2月-3月)

私は今、家の近所の小さな公園の、大きな桜の木の下のブランコに座って、カツサンドコッペパンを食べながら、この文章を書いている。風が吹くと、落ちた花びらたちが踊るみたいにころころと走るのが、綺麗。

食べているカツサンドは、さっき、住んでいるアパートのすぐ裏の通りにあるちっちゃなパン屋さんで買った。本当にすぐ近所なのだけれど、初めてパン屋さんがあることに気がついた。いつも何時からやっているんですか?と何の気なしに聞くと、パン屋のおじいさんは、ふふふ、と恥ずかしそうに笑ってから、いつも遅くてね、一時頃からと思えば間違いないです、と言った。恥ずかしがる顔って、なんでだか、素敵で可愛いんだなぁ、と思った。

1歳くらいの女の子がお父さんと公園に来る。こてん、と転ぶと、お父さんが、あらら、と言って助けてあげる。女の子は、当たり前にその手を受け入れる。女の子は、ひらひら落ちる花びらを指差しながら、ぽてんぽてん、と歩く。若いカップルらしき男女が、公園にやって来る。ベンチに座って、ご飯を食べた後、彼女が静かに、ギターを弾きながらきれいな声で歌い始める。彼が、彼女の、写真を撮る。好きな人にカメラを向ける姿が、美しくて、泣きそうになる。

昔、ミミ子、と桜に名前をつけたことがあった。私の通った小学校は、山のてっぺんにあって、校庭がやたら広くて、校庭の周りには桜の木がたくさん植えられていた。きっと理科の授業だったのだろう。班ごとに桜の木の観察をすることになって、私たちは小さな一番元気のない桜の木を選んで、たくさん実がなるようにと、ミミ子、と名前をつけた。4月の半ば、ミミ子は周りの木と比べるととても地味だったけれど、それでも綺麗な花を咲かせて、そのあと、ちゃんと、さくらんぼの実をつけた。ミミ子はその時にはすでに大変な病気にかかっていたんだと思う。私たちは、元気になってほしいと願って、授業の観察が終わってからも、たまに様子を見に行っていたけれど、結局、小学校を卒業する頃には、ミミ子はいなくなってしまった。

最後のアパートメントの記事。なんだか全然、書き進められなくて、更新を1日伸ばしてもらった。

母のことを、書いてみようと思ったのだ。でも、書いても書いても、うまくまとまらなかった。私と母の関係は、とてもとても悪くて、私はある時から母が一番嫌いな人になって、多分、今も、そうなのだと思う。母とのことが、今の私の、真ん中を作っていることは間違いなくて、それで得てしまったもの、失ったものを、私はどうにかこうにか、したくて、今を生きているのだと思う。
人にはそれぞれ、真ん中を作った何かが、あるのだろう。
アパートメントで文章を書いていて、不思議な発見だったのは、書きながら、他の人たちはどんな人生を送っているだろう、と考えていたことだ。外に向けて文章を書く、というのはほとんど初めての経験だったのだけれど、それは、私の感じることや見解を、ぽん、と素直に置いてみる、という感覚に近かった。それは、対話ではないのかもしれないけれど、私はこうだけれど、みんなはどうだろう、どうですか?という思いが、いつも頭の片隅にあって、そうやって文章が書ける時、私はワクワクしていたように思う。

自分のことや、自分の意見をひとに伝えることは、勇気のいることで、こわい、と思う。私はよく、うまく言葉にすることができなくて、それで、だんまりして、恋人に、怒られる。骨が折れるし、もう、いいや、とコミュニーケーションを諦めてしまうこともある。でも、そこから一歩踏み出して、人と向き合うことを、努力してみたい、と今思っている。だって、その方が、きっと、ワクワクする世界になると、感じているから。

東京は、桜が満開ですね。みなさん、どんな気持ちで、どんなことを感じて、桜を見ていますか。いつか、どこかで、お会いすることができたら、その時は、お話することができたら、うれしいです。
読んでくださって、ありがとうございました。