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2F/当番ノート

大人との出会い

当番ノート 第37期

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「大人」と聞くと、皆さまは何を思い浮かべるだろうか。
大学生のころの私は、自然と「大人の条件」や「大人とは」みたいなものを次々と連想してしまっていた。

仕事、自律、温厚、自由、制限、諦念、幸福・・・

考えれば考えるほど混迷していく思考の繰り返しだから、逃げたい一心であったが、
そうは言っても迫りくる自分の大人世代に向けて時間は容赦なく進むわけで。

今振り返れば、私は「モデル」を持っていなかったのだと思う。
いくら考えても、まだ経験していないこと、しかも「大人」という概念的なものに想いを馳せても、
答えが出ないのは当然であろう。

大学2年生の時だ。
そんなあれこれをぶち壊してくれた出会いがあった。
そしてその出会いは、自分の手で捕まえることができた、という感覚を持っている。

私にとって先生であり、目指すべき大人である鳥居さんとの出会い・そして再会について書こうと思う。

本稿で前段に当たる出会いだ。

———-

大学で色んなことを手を出して頑張ってみても、私はいつでもどこか納得いくことができていなかった。
ほら、また悩んでたんだ。
それは貧しい無いものねだりから来るものなのか、ただ合っているものに取り組めてなかったのか、
今ではもうわからない。
確かなことは、漠然と「将来のためになることが、今できているのだろうか」という想いに駆られていたことだ。
だが、そう言ったところ具体的にやりたい仕事があるわけではなかったし、もはや仕事をするのか、という
問いさえも宙に浮いたままであった。

何とか答えのようなものが欲しくて、見えない何かに想いを寄せて、私は様々な人が集まるところへと進んで参加した。

その時、奇妙な講義と出会った。
詳細な講義内容はここでは省くが、そこに集まる人は私が抱いているような疑問や想いに立ち向かい、声高らかに
「今私が思うこと」を謳い上げることができる人たちの集まりであった。

その講義主催のささやかなパーティーで、私は鳥居さんと出会った。

素敵なおじ様、といった風貌でにこやかに会場を見渡していた姿が、私をこれ以上なく気にさせた。
近付いていき、初めましての挨拶から始まったが、会話はあっという間に鳥居さんの仕事の話になった。

「近いうちに、本を出すんです。良かったら試作を見ますか?」

手渡されたのは、見たことのないサイズ感の本であった。
文庫、ではない、私の大きめな手に収まるサイズではあるが、少し縦長でしっかりとした作りと、新品のつるつるとした
触感に、懐かしいけど新しい感じがした。
楽しそうに、嬉しそうに本について語る鳥居さんを見て、私は一つの衝撃に打たれていた。

今まで自分が勝手に作っていた「大人」という像、もっと言えば、今まで見てきた大人のどれにも当てはまらない、
純粋な想いのようなものが表情から溢れていたからだ。

後日、鳥居さんは出版日が決定したという連絡をくれた。たまたま会った一学生に対しても連絡をくれる姿勢に、
また心が惹かれた。

発売日、本が並んでいる書店に赴き、本を手にすると近くのカフェで一気読みをした。

小説の内容も然ることながら、身体全体が打ち震えたのは、鳥居さんが書く「あとがき」であった。

簡潔に説明させて欲しい。
小説自体は鳥居さんの古くからの友人の遺稿であった。
その遺稿をどのような形にするか、という想いが、鳥居さんの心の中に残り続けており、25年の時を経て、文庫でもない、
新書でもない、新しい形の本として遺稿を世に出せたのが、この本である、という内容だった。

カフェのカウンターの端っこで、思わず「かっけぇ・・」と声を漏らしたことを覚えている。
大人になり、仕事に就き、その時自分に何ができるんだろうとばかり考えていた私は、何がしたいんだろう、と考えるようになった。
そして同時に、「鳥居さんのような、想いを形にする仕事をしたい!」と明確な目標となった瞬間であった。

こう思ってしまったら、もう行動するしかなかった。
何とか鳥居さんにもう一度会って、こんな思いを伝えたい、鳥居さんから何かをキャッチしたいと願った私は、その本を何十回と読み、
僭越ながらも、なるべく飾らずに、素直な感想を軸に、「もう一度会いたい」という旨の手紙を書いた。
正式な、しかし公ではない手紙なんて書くのは初めてで、たくさんの礼儀を調べたのを覚えている。
これで送ろう、と決めるまで10回以上は書き直したはずだ。

手紙を投函してから数日後、鳥居さんから「ぜひ会いましょう」と返事を頂いたとき、私は自室で少し踊った。

鳥居さんが連れて行って下さったのは、都内のドイツビール屋さんだった。
緊張しながらも、本を手にして読んで思ったことを話すと、鳥居さんは飾らず、大仰に語るわけでもなく、ありがとうと言った後、
様々な背景や想いを語ってくれた。あれほど真剣に人の話に身体からのめり込んで聞くのは、この先あるかわからないほどであった。

その後、二人だった飲み会は、店に入ってきたお客さんがどんどん加わり、経験したことのない会へと変貌していった。
誰もが’友達’という感覚で鳥居さんに挨拶を交わし、人種も職も年も違う人々が、自然と鳥居さんの周りに集まり、賑やかになっていった。
その時、私は気付いたのだ。
こういう人の周りに、人が集まるんだ、ということを。

自分が今後どのような大人になるかはわからない。
しかし、自分が大人として生きている時、「人として」この人のように在りたい、と感じることができた。

人としても、仕事としても、私にとって今も常に心にある「モデル」が持つことができたのだ。

———-

鳥居さんとはその後も、1年に1回ほどのペースで、数回お酒を共にさせて頂いた。
会って頂くたびに、広く、そして深くなっていく話たちに、私は何度も喜びを得た。

いくら考えても自分自身に落とし込めなかった概念は、鳥居さんとの出会いを持って昇華した。
冒頭で「自分の手で捕まえることができた」と書いたが、鳥居さんとの出会いは、本人の懐の広さももちろんのことであるが、
「手紙を出す」という行動を起こしたからこそだ、という自負もある。

さて、以上で出会いについては書き切れた。
鳥居さんとは、大学卒業後、数年の間お会いできていない。

会っていない期間で私は、他のいくつもの出会い・別れを経験し、会社に勤めて何人かの後輩を教える立場にもなり、
コミュニティも変わり始め、時間とお金の使い方もかなり変容した。

当番ノートへの寄稿の軸とも言ってよいが、次回書くのは、今鳥居さんに再会できたなら、私は何をどう感じるのだろうか、
というある種の挑戦である。
出会いには色や形がある、という考えを持っているが、出会いと再会では違う色や形になるのだろうか。

次回は、再会編を書く予定だ。
鳥居さんと会える予定があるだけで、わくわくしている。

小峰 隆寛

小峰 隆寛

IT企業に勤めるサラリーマン。
冬と古着とお酒と物語が好き。
毎日を即興性のある日々にすることと、「できないことをできるようになる」ことを大事にして生きている。

Reviewed by
辺川 銀

出会いを重ねた先に僕らは憧れを見つける。

憧れはいつもすこし遠くにある。手を伸ばしても届かなそうに見える。
それでも思い切って、ぐっと手を伸ばすと、憧れの方からこちらに、手を差し伸べてくれることもある。

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