出会い、とは

第37期(2018年2月-3月)

最終稿となった。
前回からの引き続きで’別れ’について触れたのち、当番ノートへの寄稿を総括したいなと思う。

出会いがあれば、いつか必ず別れがきてしまう。
気付く気付かないとは別に、だ。

人は、生死の概念から抜け出して永遠を手に入れない限り、別れからは逃れることができないだろう。

出会いは素晴らしいものだ。
別れは哀しいものだ。

出会いと別れが結び付いたものであると考えるならば、
出会いのどこかは哀しくて、別れのどこかは素晴らしいものなのかもしれない。

その浮き沈み、繰り返しと、私はうまく一緒に歩いていきたいと考えている。

どうやっていこうかな。
どう考えていこうかな。

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レビューを担当してくださっている辺川銀さんが、前回記事に対してこう寄せてくれた。
いつも明るいレビューで花を添えてくれている。


一方で、別れの意味を見つける行為はなかなかに苦しい。
大切だった匂いや声や、きらきら光る思い出、あれをすればよかった、もっとこうすればよかった。
どれだけ過去を見詰め、考えを巡らせても、たとえそこに意味を発見できたとしても、
もう過去には戻れないという事実が覆ることは決して無いからだ。
それでも別れに意味を与えられたら、きっとその先には、次の出会いが待っているだろう。

実に、最後の行は’別れの可能性’を示してくれている。

出会いをどれだけ大事にできるか、どれだけの色や形を感じることができるかは、
別れをどれだけ経験しているかで変わってくるのではないか。
別れを知っているからこそ、出会いの素晴らしさ、また内包する哀しさを想い、
出会いそのものを価値あるものに出来るんじゃないだろうか。
人は、人と人とで出会い、別れ、また出会いと繰り返す中で、自分にとっての出会いの価値を徐々に確立し、
成長したり、昇華していくのではないだろうか。

そう考えると、出会いと別れの連続性を怖がることはない、と思うことができる。

そのすべてが自分にとって、そして相手にとって糧となるものなのだから。

そうならば私は、より良い相手となりたいな。

出会えてよかったと思える人と出会えているから、自分もそう思ってもらえたらいいな。
いつか来る別れを感知し、感知されたとしても、たとえそれがどのような別れであったとしても、
それぞれが前を向いて歩きだせるような出会いに、身を焦がしていたいな。

そう思う。

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私の当番ノートへの寄稿は、以上で終わりとなる。

思い返せば目まぐるしい時間の中で、出会いと再会と別れを経験することができた。
文章にすることで、それぞれがどのようなものであるか考えることができたし、より感じることできた。

自分の中の兄の存在、出会いがくれたものが繋いだ言葉、再会を経て感じることができた自分の考え・位置・価値、
別れの哀しさだけじゃなく、出会いに意味・価値そのものに繋がるという理・・・

短い期間ではあったけど、私としては濃い内容だった。
とてもこの場所が有難いと思う。

当番ノートへの最初の寄稿で、出会いについて以下のように書いた。


私は、様々な出会いの全てを、愛しているし、憎んでいるし、時に全く考えちゃいない。
でも、私に纏わる物語は、いつだって「人との出会い」と共に形作られ、進んできたのだと確信している。

これからはこんな風に歩いていけたらなぁと思う。

様々な出会いの全てを愛し、意味を捉え、それぞれを大事にしていこう。
自分に纏わる物語をより良くするために人と出会い、別れ、考えて、
ほんの少しでも人の物語をより良くするために努力していこう。

回りくどい文章ばかりで読みづらく、分かりづらい内容ばかりでしたが、
これまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

また、これまで私の寄稿を支えてくださった運営の皆様、
レビュワーの辺川銀さんに多大なるを感謝申し上げます。

もしよろしければfacebook等で構いませんので、感想等頂けると幸いです。
主題が幅広い分、皆さまがどのように読んでくれていたのか、というのはとても気にしていましたので。。

改めて、この場所に、関わって頂いた方々に、感謝を。