CRAZY TANGO DIARY #1 恋の終わり、タンゴのはじまり

第39期(2018年6月-7月)

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 アルゼンチンタンゴにハマっている。聴くのと踊るのと両方だ。週に1回か2回はレッスンに行き、家でも毎日30分から1時間は練習をする。朝起きたらタンゴのCDかコンサートのDVDを流す。

 いったいなぜ? きっかけは?
 
 その質問に対して、端的に答えるならこれしかない。「嘔吐です」だ。サルトルの書いた小説のことではない。リアルな、肉体的行為としての嘔吐である。

 *

 ほんの3ヶ月ばかり前のことだ。同棲していた男と別れた数日後の真夜中に、私は心身のあらゆる限界を証明するような大量のゲロを吐いた。
 謎の寒気と発汗に襲われ、床でのたうちまわり始めてから数時間がたっていた。腹の底から突き上げてくる不穏な衝動を感知した瞬間、私は最後の力をふりしぼって台所のシンクに飛びつき、胃に入っていたものすべてをぶちまけたのである。横で誰かが見ていたなら、私のことを「千と千尋の神隠し」に出てきたカオナシのようだと思ったに違いない。そのくらい派手な吐きっぷりだった。
 シンクいっぱいに胃酸の強烈な匂いがした。両眼からは生理的な涙がぼたぼたこぼれ落ちた。

 吐きながら考えた。最後に吐いたのはいつだっただろう?

 5歳か6歳か、そんなところだ。少なくともこの二十数年、病気をしようが酒を飲もうが、腹を下すことはあっても嘔吐することはなかった。あまりに長いこと喉からものを出していなかったから、体調が悪くて多少吐き気がしたときなど、「うまく吐けるだろうか」と不安に襲われていたくらいだった。

 二十数年ぶりに吐いてみてよくわかった。
 吐いてみればなんとかなる。

 *

 カオナシは、ひとしきり吐いたあとは哀れな影法師のごとき存在に戻った。私も同じように、嘔吐のあとはいつもの私に――眼精疲労に悩まされる31歳のライター女に戻った。カオナシと違っていたのは、彼(性別なんてなさそうだけど)には千尋という追いかけたい相手がいたけれど、私にはもう、一緒に電車に乗る相手はいなかったということである。

 そう、恋人と別れたのだった。

 憎しみ合って別れたのではない。どちらかの大きな過失があったわけでもなく、生き方の選択の問題だった。一人になりたくて先に家を出てしまったのは私で、別れを言い出したのは彼だ。どちらのせいにもできない。
 別れまでの詳細は、いたってありふれた内容なので省く。ここで書いておきたいのは、その「解散」までの過程で私が久しぶりに一人暮らしに戻っていたということ、そしてとにかく疲労困憊していたということだ。

 最後まで全力で相手と向き合っていたから、恨みつらみや後悔のようなネガティブな感情はすがすがしいほどなかった。ただそれでもやっぱり、いきなりカラリと明るい気分になるのは難しい。自分の過去の言動にケチをつけようと思えばいくらでもつけられたし、「もっとしっかり話せたのではないか」という仮説だって完全には捨てきれない。

 そもそも彼と別れる前から――いや、むしろ付き合い始める前から、私は「一人の人間と、親密な状態を維持しながら一緒に生きていくとはどういうことなのか」という疑問を抱いていた。

 私は彼の前に恋人をつくったことがない。血のつながった家族ともめったに会わないし、友人だって少ない。28歳で彼と出会うまで、心身ともに、誰とも本当に親密な関係になったことはなかった。30も間近になってきたところで初めて異性と付き合ってみて、先述の疑問はますます大きく、深くなるばかりだった。それが「どうして私という人間がいるのか」と同じくらい無意味な、答えのない問いなのはわかりきっていたが、それでも考えずにいられないのが人間というものだろう。

 一人の人間と、親密な状態を維持しながら一緒に生きていくとはどういうことなのか?

 彼と別れたあとも、その厄介な問いとは決別できそうになかった。

 *

 疲労困憊の原因は、恋愛にだけあったわけではない。

 そのだいぶ前から仕事の上でも転換期を迎えており、悩みのネタは多かった。しかしそれと並行してライターとしての仕事は増える一方だったから、朝布団の上で目覚めれば次の締切のことしか考えられないし、熱があろうが頭痛がしようが机には座るしかない。頭も体もフル回転の状態が続いていた。体に良いと言われるものはいろいろ摂取していたし、マッサージなども受けていた。でもそんなのは焼け石に水だった。
 そしてその焼け石は、男と正式に別れて気が抜けた瞬間、爆発してゲロをぶちまけたというわけである。

 25年ぶりの嘔吐によって、私はようやく「これはやばい」と痛感することができた。体以上に、心の摩耗を感じていた。何を食べてもあまり美味しいと思えないし、仕事以外のことをする気力がなかなかわかない。このままでは駄目だ。このままでは私もカオナシのようになる。虚無から黄金を生み出しては人の気を引こうとする、人でも神でも妖怪でもない哀れな影と化してしまう。そんなのは困る。

 早急に、確実に、何かをしようと決意した。体を癒やすこともだが、何より魂を回復させること、心が素直に「楽しい、嬉しい」と叫ぶ何かをすることが必要だった。

 というわけで私は病院とともに、アルゼンチンタンゴの体験レッスンを予約したのである。4月の1日だか2日のことだった。

 *

 なぜそこで唐突にアルゼンチンタンゴが出てきたのか。

 以前から、何かダンスを習ってみたいとは思っていたのだ。一日の大半を椅子の上で過ごす人間の典型として、私も「体を動かす趣味」があった方がいいと感じていた。それもできれば楽しく、遊ぶように続けられるものがいい。あまりに金がかかったり、丸一日つぶれたりするようなこともちょっと避けたい。そうなると、手っ取り早いのはダンスなのである。

 女性に人気の高いフラダンスやベリーダンスは、すでにレッスンを体験済みだった。そしてそれぞれに面白かったが、「これだ」という決め手には欠けていた。
 次なる候補が、アルゼンチンタンゴだった。

 ここでタンゴが候補に入っていた理由は、もともと私が、タンゴ音楽をわりと好きだったからだ。好きになった直接のきっかけは、神保町にあるタンゴ喫茶「ミロンガ・ヌォーバ」である。20代の頃、私は3年ほどその近くにある金融会社に勤めていて、仕事上がりなどにちょくちょく寄っていたのだ。当時、タンゴのことなど何も知らなかったが、それでもなんとなく趣味に合うと感じていた。その理由も、今ならよくわかる。

 Google検索をすると、タンゴの教室は都内にいくつもあった。どこがいいのかなんてわからない。とりあえず、目についた教室に適当に申し込んだ。メールに返信が来て、レッスン日は三週間後の日曜日ということに決まった。

 *

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 そして体験レッスン当日。
 私は、映画「Shall we ダンス?」の主人公さながら、ビクビクおどおどしながら教室に足を踏み入れた。私の他にもう二人、男女の体験希望者が来ていた。夫婦で申し込んだらしい。
 
 タンゴシューズを貸してくれるというので、大足の私でもなんとか履けそうなものを探して装着する。ちなみにタンゴ用の靴のヒールは、8〜9cmが基本だ。その高くて細いヒールで床に立つと、視界の変わりように足が震えた。

 やがて私たちの前に草刈民代が――ではなくて、講師である男女のタンゴダンサーが現れた。タンゴのアジア選手権で何度も上位入賞を果たしているペアで、私生活でも夫婦らしい。男性の方は目測182、3cmの長身、女性の方はおそらく150cm台も半ばのかなり小柄な体格。当たり前だが、二人ともまず所作が優雅で美しい。
 男先生の方をじろじろ見ながら、もしかしなくてもこの先生と手に手を取り合って練習することになるのだろうか……と考えて怖気づいた。私は昔から長身のイケメンが苦手なのである。十代のときに、散々そのジャンルの男性にいじめられていたからだ。ちなみに、生涯で一番苦手だった男は186cmあった。

 私の勝手極まりない不安をよそに、レッスンは和やかに進む。

 まず習ったのは「カミナータ(Caminata)」。「歩き」だ。
 これはのちのち理解していったことだが、タンゴの基本は歩くことにある。タンゴはカミナータに始まりカミナータに終わる、とも言われるらしい。男女が音楽に合わせて、お互いの呼吸に合わせて抱き合いながら優雅に歩く――それだけでも、実は立派にタンゴダンスの美しい空気が立ち上がる。実際、先生ペアがアブラッソ(抱擁。男女が向き合って、踊るためのポジションをとったときの基本の体勢)でカミナータをすると、派手な動きなどしていなくても見ていてときめく。

 カミナータの次には、「オーチョ(Ocho。スペイン語の「8」)」という、膝をそろえて下半身をひねりながら移動する動きを教えてもらう。さらに、基本中の基本ステップである「サリーダ(Salida。スペイン語で「出口」を指す)」を教えてもらったところで、先生の「じゃあ私たちと組んでやってみましょう」という声がかかった。ついに長身男性と正面から抱き合うのである。神よ!

「はい、では順番に」

 男先生が無造作に私の方に両手を伸ばしてくる。アブラッソが迫り来る。私の右手があちらの左手の中にとられ、先生の右手が私の背中に回される。私の左手はあちらの肩甲骨を包む。8cmのヒールを履いた私は173cmの大女だが、長身の男先生の顔はそれよりさらに上にある。でかい。

 ポジションを取る直前の一瞬で、手の中と額が一気に汗ばむのがわかった。あちらはプロのダンサーで、何千何万回と女を”抱いて”きた猛者だからそりゃあ無造作にもなる。鼻をかむくらい日常的な動作であろう。しかし私は違う。でかい男が私の背中に手を回してくるというのは完全に異常事態である。背中など、武術の師範とマッサージ師以外にやすやすと触らせたことはない。しかも知り合って15分の男性などに! ここでもまた、気分は「Shall we ダンス?」の主人公だった。

 しかし、死ぬほど緊張したのは一瞬のことで、私はちゃんとサリーダをこなすことができた。意外なくらいあっけなかった。もっと言えば、それは予想以上に”気持ちのいい”アクションだった。

 社交ダンスもそうだが、タンゴも原則的に、リードである男性が先に動く。女性はフォロー、それを受けて動く立場だ。まず体の触れ合った場所から、向こうの体重移動を感じる。先生の胸が私の方に近づいてくる。その圧力を受け流すように、私は一歩後ろに下がる。先生の腕が私をゆっくり丁寧に横に運ぶ。それに従い、私もゆっくり横に足を踏み出す――。

 なんだ、この満足感は。

 何度かステップを繰り返したあと、私は自分が高揚しているのを感じた。胸の奥に、「これがやりたかった気がする」という感覚が生まれていた。向こうのやろうとしていることを感じ取り、応える。単なるその繰り返しでしかないのに。派手に回ったり、跳んだり跳ねたりしているわけでもないのに。

 レッスンの最後、先生ペアによるダンスを一曲分見せてもらったときに、その感覚は確信に変わった。

 彼らが、その二組の五体をからませながら見せてくれているのは、まぎれもなく「会話」だったのだ。
 二人の異なる人間同士(それは必ずしも異性である必要はないのだが)が、順番に自分の想いを伝え、全てを許し受け止め合う様そのものなのだった。

 リードである男先生は、決して相手に無茶振りをしない。美しい音楽に耳を澄まし、それに合わせて繊細に丁寧に自分の要求を伝える。そして女先生の方はといえば、絶対に相手から上半身をそらすことなくそのメッセージを受け止め、適切な振り幅で彼の周りを歩き、華やかな脚さばきで二人の世界を彩っている――。

 二人のダンスを見て、私は理解した。
 こういうやり取りを私もしたかったのだと。
 赤の他人と、自己満足を超えた領域で触れ合ってみたかったかったのだと。

 一人の人間と、親密な状態を維持しながら一緒に生きていくとはどういうことなのか?

 その問いに答えてくれる何かが、ここにはあるような気がした。それは、摩耗している私の心が切実に求めているものでもあった。

 タンゴを続けてみよう。

 レッスンが終わる頃には、私はそう決めていた。毎度男性と抱き合わなければいけないことへの緊張と不安はあったが、今回なんとかなったのだから今後もなんとかなるだろう、という楽観の方が勝った。

 嘔吐と同じだ。
 踊ってしまえばなんとかなる。
 

 *

今日のおまけミキタンゴ

 せっかくなので、これを読んでくださった方に音楽やダンスの方も知ってほしい。というわけで短い間ですが、毎回何かしら紹介していきたいと思います。

 第一回目は、タンゴ好きでない人にも多少知られているんじゃないかと思う名曲、「poema(ポエマ)」。曲名は知らなくても、イントロを聴いたら「ああ」ってなる人も多いのでは。

 うっとりするような曲調の示す通り恋の歌ですが、別れの曲です。歌詞が知りたい方はこちらをどうぞ。

 この曲が作られたのは1930年代前半。世界情勢的には、五・一五事件が起きたり、ヒトラーが国際連盟を抜けたりしていた頃。
 作曲・作詞は、当時パリにいたバイオリン奏者エドゥアルド・ビアンコと、バンドネオン奏者のマリオ・メルフィ。二人ともアルゼンチン人なんですが、ヨーロッパで売れるように、そちら好みを意識して作ったんだとか。本場アルゼンチンでも1935年に、「タンゴの王者」と呼ばれた人気指揮者・演奏家のフランシスコ・カナロが演奏して録音、人気曲となります。
 ちなみに、日本の誇るブルースの女王・淡谷のり子もこの曲をレパートリーとして持っていて、カナロ楽団と同じく1935年に収録を行ったそうです。

 この動画の歌・演奏は、現代のタンゴユニットである「Orquesta Romantica Milonguera(オルケスタ・ロマンティカ・ミロンゲーラ)」によるものです。私が通っている教室の先生によれば、「最近人気のあるオルケスタ」なんだそうな。

「それは甘い夢だった……」

 恋が終わった直後に聴くと、しみるかもですね。