父との記憶/不在の在

第39期(2018年6月-7月)

だれかを失った場合、われわれはその亡き人、いなくなった人が実体のない想像上の存在になってしまったことを悲しむ。
しかしわれわれがその存在をなつかしむ気持ちは架空のものではない。自分自身の奥底まで降りて行こう。・・・その不在はまさしく現実である。その人が死んでからは、不在がその人のあらわれかたになる。(シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵』 春秋社)

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19歳から21歳くらいの頃、私は大学生で、暇を見つけては色んなところに出かけていた。
ちょうどカメラを肌身離さず持ち始めた頃でもあり、どこかに出かけて撮ってみたいという事もあった。

21歳を目前にした秋、沖縄へ出かけた。当初の目的は石垣島だったのだが、ひょんな事から那覇で足止めをくらい、たまたま1日余裕ができてしまった。
その時に沖縄本島の東南部沖に久高島という島があって、1日往復6便の船が出ており、片道15〜25分ほどで行けることを知った。そこは「神の島」と呼ばれ、琉球王朝時代に神事がとり行われていた島だった。島の一部には神に仕える女性しか入れない場所があり、そこに立ち入ることは禁止されている。また今でも祭事が一年を通して行われているのだそうだ。この日本において今でもそんなふうに昔の習わしが残る島が(しかも沖縄本島からわずか数十分の距離に)あることを私はその時初めて知り、興味を持った。たまたま島に渡った日はマーミキグヮ(大漁祈願)の日だった。

14210037〔南国ならではの植物がたくさん自生している〕



色々な場所に行ったが、あの場所ほど不思議な場所はない。周りが海で断絶されているということもあるだろうが、島全体がとても静かだ。街灯もない道も多く、夜は数メートル先でも真っ暗になる。島には数ヵ所個人が営む商店があるが、それも夕方くらいで閉まってしまう。置いてある品数はもちろん少ない。夜は村の中にある食堂に行き、海ブドウや地元でとれた魚を煮付けたものをおかずにごはんを食べ、オリオンビールを飲んだ。オリオンビールは辛味が強くてさっぱりとしていて、本土で飲むよりぐっと美味しい。気候や風土に合った味があるのだと実感する。心地よく少し酔いながらも、私はその日の出来事について考えていた。

島に到着し、荷物を下ろしてすぐに借りた自転車で島を周ることにした。祭事が終わった後で、通行止めだった場所も既に解除されていた。島の周囲はわずか8.0km、自転車で十分周れる広さだ。集落を抜け、おおよそ海に沿って土を踏み固めて作られた一本道を走る。側方には普段見たこともない南国の緑が生い茂り、そのすぐ脇には小道や道とも言えないけもの道のようなものが、まるで島の奥に向かうようにいくつも伸びていた。
自転車を止め、その一つの小道に入って辺りを歩いてみた。10月になっても日差しは強く気温は高かったけれど、この島にはいやな蒸し暑さというものがない。そして相変わらず辺りは静かだった。
どれくらい私はそこに立ち尽くしていただろうか。自分より背の高い緑に囲まれながら、私はとても穏やかな気持ちだった。
その時だった。どこか近くで声が聞こえた。まるでささやくように歌うように、何人かで楽しそうにおしゃべりしていた。
あれ、人がいたのか。今の今まで気がつかなかったなあ…一体どこにいるんだろ?

数秒経って、そこに誰もいないということがわかった時、私は泣きそうだった。怖いとも不安とも違う、何か自分の力を超えたものに出会ってしまった時の驚き。畏怖の念と言えば一番近いかもしれない。
もう何年も前の出来事なのに、鈴の音のようなその“声”は、感覚として今でもはっきり私の耳に残っている。

14210009〔島のあちこちに猫がいて、みんな本当に美しい瞳をしていた。〕



その夜、夢を見た。
私は大きな橋の上のようなところにいた。あたりはとても明るく真っ白で、晴れているというよりはむしろまぶしい。まるで露出オーバーになってしまった写真のような光景。隣には妹がいて、私たちは手をつなぎながら一緒に歩いていた。後ろを振り向くと父と母がいた。二人はとてもおだやかな顔をしていて、にこにこと笑いながら私たちを見守るように二人肩を並べて歩いていた。最後にこんな風に四人で歩いたのはいつぶりだろう、今でも私たちはこんな風にいられるんだなあと思った。その時私は大学3年生、妹は高校3年生になっていた。なのにそれはまるで生まれたての子どもになって見守られているような、そんな不思議な心地だった。

目が覚めた時、私は箱から出したばかりの石鹸のようにまっさらだった。これまでつかえて淀んでいたものが、一晩のうちに跡かたもなく流されたようだった。

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ずっと不思議だった。
アルバムの中で生まれたばかりの私を抱いて笑っている父と母。
父に抱きかかえられて、お風呂に入れられている私。
和室に吊り下げられた電球のひもで遊んでいる私と、遊ばせているおどけ顔の父。

そのどれもが物心ついてからの私の「家族」に関する記憶とはあまりにもかけ離れていて、まるでどこか別の家の写真を眺めているようだった。

出来事はいつも前触れなく起こる。そういう時、いつも私は予期することも抗うこともできない。
その日はどこかに用事があって、母と一緒に朝から出かけた。父は部屋にいた。何も会話しないまま出かけたと思う。そうして夕方帰って来てみると父の荷物が全てなくなっていた。母も呆然としていた。
その晩、妹は眠っていたけど、私はずいぶん遅くまで眠れなかった。

それから毎日、その事について考えていた。何をするにも心に穴がぽっかりと空いたような、心が軽くなったような、地に足がついていないような日々だった。
それまでの自分は知らなかった、いや知らずにいられたような類の重石がこの世界にはあった。それは前触れもなく、ある日突然9歳だった私にずしりとのしかかってきた。

離れてみて分かることもある。
お互いの大切さや決して譲れないこと、家族であってもそれぞれに人生があること。
ただ、それを9歳のときに思い知らされることはあっても、受け入れ切ることはできなかった。

しばらく経ったある日、ふと自分がその前の日にその事を思い出さなかったことに思い当たった。ショックだった。

14230013〔久高島での一枚。10月でもかなり日差しが強い〕



今でも父のことはよく考える。父からもたまにメールが来る。展示をすると言えばわざわざそれだけのために数時間かけて来てくれる。
離れていても、どんな形であっても、家族は家族だと今なら思える。

それでも、私は「家族」が帰ってくるのを心のどこかでずっと待っているような気がする。

夢で見た光景は、現実には願っても叶えられないことだった。
それを分かっていても私は、そのための場所を(自分でも知らない間に)心の片すみにずっと空けていたように思う。そんなことをあの日、きっと久高の神様が思い出させてくれた。

忘れようが覚えていようが、決して埋まることはない。代わりのものもない。でもそれでいい。それが喪失というものの意味だからだ。
今も心のどこかにあるその場所に、いつかまた行けたらいい。

14230021〔島を出る前に港の前で撮った一枚〕

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moku
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