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2F/当番ノート

長い花をスーツの胸ポケットにさしたおじさん

当番ノート 第39期

16920001
大学生の時、飲み屋で働いていた。大学近くのJR中央線の駅から歩いて数分のところにあり、都心から離れていることもあって、その辺りに住んでいる人や近くで勤めている人も多かった。みんなよくこの辺りのことを知っていた。どちらかというとお客さんに若い人はあんまりおらず、大人の男性客が1人で来るようなお店だった。

家族経営の小さなお店で、そこにアルバイトとして女の子が1人、交代で入っていた。自宅最寄りを通る最終電車がちょうどお店が閉まる頃に出てしまって間に合わない。なので、お店までは自転車で行き、終わるとまた自転車に乗って帰っていた(話は逸れるが、この私鉄の終電の早さに私も随分振り回された。都心から1時間近く離れているのに終電車が12時すぎに出ているおかげで、この近郊に住む学生たちは大分健全に遊ぶ羽目になっていた)。

表の道に面したところはガラス張りになっていて、木の格子のすき間からお店の中が見える様になっていた。
1階には12人ほど座れるカウンターの席があり、外からは分かりづらいのだが2階席もあった。2階にはソファ席とテーブル席があり、20人くらいは余裕で入れる広さだったので、グループのお客さんが利用したり宴会を開いたりしていた。年末には上も下もいっぱいになって大忙しの日もよくあった。テーブルにおいてあるベルが鳴らされると私は狭い階段を登ってオーダーを聞きにいき、料理やお酒を運んだ。

ある夜の20時過ぎ、2階の席を予約していたお客さんたちがやってきた。
1番奥の席に座ったおじさんはなんだかご機嫌な様子で、茎の方がわずかに緑がかった白い花をスーツの胸ポケットにさしていた。胸にさすには丈の長い花だったので、スーツに合わせていると少しちぐはぐな感じがした。
それからたまに姿を見せる常連さんと、初めて見る同僚らしき人たちも2階に上がってきた。合わせて15人くらいだろうか。それから最後に杖をついたおじいさんと、その後ろをおばあさんが一歩ずつ階段を登ってきた。
皆から「お父さん」「お母さん」と呼ばれていたので、夫婦なのだろう。2人は勧められた席に遠慮がちに腰掛け、周りの人に会釈していた。
私はオーダーをとり、瓶のビールを何本か開けて2階に持って行った。
そして宴会が始まった。

2回目か3回目に上がっていった時だろうか。ふとソファの席にシルバーフレームに飾られた、あまり解像度の鮮明でない写真があることに気がついた。
そこには1人の男性が写っていて、急いで用意した1枚の写真から、その部分だけ切り抜かれたというような表情をしている。それがお酒を飲み交わすみんなに囲まれて置かれていて、まるでそこに参加しているかのようだった。

おじいさんとおばあさんは老いているというにはまだ若かった。
知らない人たちに囲まれて、彼らから息子についての話を聞いていた。
振る舞いや表情から、彼らが東京ではないところから来たのだろうということがなんとなく分かった。

おばあさんがふと、「東京のおでん屋さんにはかしあげがあると聞いてきたんだけど、ここにはあるのかねえ」と訊ねた。
そのお店の売りはおでんだったのだが、私は恥ずかしながら「かしあげ」が何なのか分からなかった。(ちなみにここで働き始めるまで、ちくわぶはちくわの一種だと思っていた。元は東京のローカルな食材なのだそうだ。かなり余談)「かしあげ」は漢字で河岸揚げと書く。白身魚のすりみと豆腐を混ぜ合わせて成形し、揚げて作った練り物だ。名前の由来は魚市場のある河岸という意味で、東京の築地にある中央卸売市場の通称から来ている。 鹿児島名産の「さつま揚げ」があるように、「かしあげ」はどうやら東京発の練り物だそうだ。

それは実際のところメニューにはなかったのだけど、話を聞いたママはそれを作った 。
その後ろ姿がどうしてか、少しいつもと違っているような気がした。そう見えただけかもしれない。
常連さんがメニューにないものをリクエストすると決まってママは、しょうがないね、とでも言いたげな笑顔を浮かべ、そしてきっちりそれを作り上げた。ママの料理が本当に美味しいのは常連さんも私もよく知っている。だけどその時は、料理の腕にかけてだけじゃない、寂しさとも決意とも違う何か語るべきものがあるような背中をしていた。

他のみんなは揃っているのにその主役だけが不在というのは少し不思議だった。
彼だけが、もうこの世界のどこにもいない。
今も同僚たちが酔っ払い半分で大事に抱えている、シルバーフレームにおさめられた写真はきっといつかの普段の日に撮られた1枚なのだろうと思った。
彼は多分、そのための写真を用意することなんて、働き盛りの毎日の中で思いつきもしなかった。
それくらい突然だったと、常連のお客さんが私に教えてくれた。

おじさんが胸に差していた白い花。
スーツと長さの揃わないあの花は、誰かを祝う花じゃなく送り出すための花だったのだ。

彼らはすでに飲んできたにも関わらずよく食べ、そしてよく飲んだ。
11時過ぎに彼らは下へ降りてきた。そして足早に外へ出た。
毎日降り続いていた雨は随分止んでいてその時には小雨になっていたが、明日から台風が来ると天気予報は伝えていた。だからこの天気もきっとつかの間だろう。

胸ポケットに花をさした人は、帰る頃には何人かに増えていた。
スーツ姿をしたへべれけの企業戦士たちが一人また一人と帰っていった。
女の人たちは包まれた白い花を丁寧に傘の下で抱えるように持っていた。
カウンターから外を見ると、何人かがこっちを向き手を振ってにっこりと笑った。私たちも笑い返した。
彼らは胸をはって、ゆっくりとそれぞれ暗い路地の中に消えて行った。

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moku
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モク

モク

born in 1994, photography

Reviewed by
kuma

明るいかなしみ。それぞれの持ち場。定義できない祈り。ふつうの重荷。
美化された教義とは別の、ほかならぬ人生のまばゆさがここにあふれている。

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